Whyに答えはないんだと思う~愛犬を突然失って~
なかなか、愛犬マーキーの突然の死について書けなかった。。。
今月7月5日に愛犬のマーキーは天国へ行きました。
私と長男が日本にいる間、次男が1か月のサマーキャンプに行っている間の突然の事故。
旦那さんと13歳の娘が家に居て、アメリカは独立記念日で国民が愛国心を持ち、家の前にはアメリカの国旗を掲げ、のんびりとBBQでもしながら友達を呼んで過ごす週。
7月3日に旦那さんに会いに香港時代の親しい仲間4組がやってきた。家に泊まってそれぞれが小学校中学年の息子たちを連れてカナダ、北カリフォルニア、シンガポールからやってきた。
旦那さんは友達のもてなしで娘と皆を連れてビーチへ終日出かけて行った。写真を見るにみなのんびりと懐かしい思い出話に花を咲かせている様子だった。
終日出かけるからと5歳になった愛犬のマーキーのおしっこのことを思って裏庭のドアを開けて出かけていった。
家の庭はこの辺りでは大きくて、誰が来ても「Wow,大きな庭ね!」「庭が広くてこれを独り占めできるマーキーはなんて幸せなワンちゃんなんでしょう!」と言われ、マーキーはいつも日向ぼっこをしたり、たまに来る小動物を追いかけまわしたり、思う存分、庭は彼の住処として楽しんでいた。
それがそれが。。。マーキーの事を思って庭のドアを開けていき、今までだって長く家を空ける日は裏庭のドアを度々開けっ放しにして外出をしていた。
なのに。。。その日に限って。。。家に帰ってくるとどこにいても嬉しさで尻尾をびゅんびゅん言わせながら私たちを出迎えに玄関まで駆けつけてくるのに、娘が探しても出てこず、ゆっくりとしたいときにいつあの場所で、顔に傷があって、お腹にはゴルフボールくらいの大きさの血の塊があるマーキーを見つけて、緊急の病院へ連れて行ったそうだ。
緊急手術をして一旦は落ち着いたものの、7月5日の朝4時にマーキーはこの世を去った。
野生の動物、アライグマとかもしかしたらコヨーテが庭に入ってきて、マーキーはきっと私たち、私たちの家を守ろうと戦ってくれたのではないかと思う。
カリフォルニアはとても田舎だ。私たちはロスの隣の群に住んでいるけど、ウサギ、リスはいつも庭の木や壁をうろうろしていて、あらいぐまもたまに見かけるし、コヨーテはどんよりとした日や朝方、暗くなってくると出てきた入りする。それでも今までこんなことが起こったことはない。堂々と動物が家の庭に入ってきたことはない。でも聞いたところコヨーテは2メートル以上もある壁も悠に越えられるとのことだった。
ドクターからは「恐らくマーキーは庭に入ってきたなんらからの動物に噛まれて、恐らく狂犬病にかかって亡くなった」と言っていた。
マーキーは”コロナ犬”で、誰もが経験したことのないパンデミックで気持ちも落ち込み、中々前向きになりづらい頃。5月生まれの娘の6歳の誕生日会をしてあげられない代わりに前から欲しいとせがまれていた犬をシェルターまで見に行った。
あの頃は、そんな状況で、ペットを飼う人も増えていた。
家族で犬を飼うのは初めてだから、即決せずにちょっと軽い気持ちせ迷子になったり、捨てられていた犬の救護センターのようなところに軽い気持ちで見に行った。
そこで出会ってしまったのが、マーキーだった。兄弟他に3匹と一緒にメキシコのティワナとアメリカのボーダーでうろうろしていた兄弟だったそうだ。
出会った頃はまだ7か月だった。うちの兄妹でどの犬にする?って感じで見ていたら長男と娘が気に入った犬がマーキーでベージューの色の犬が良かった次男を口説き落としてマーキーが家に来ることになった。マーキーはマーキュリー(水星)の略。
向かい入れる子犬に私たち親は緊張の方が増し、子供たちは嬉しくてうれしくて仕方ない様子で喜んで家に帰った。
あれから5年近く。それはそれは私たち家族を温かく見守り。たくさん楽しませてもくれた。
今、これ以上書くと涙でPCの画面が見えずに書けなくなってしまうので、マーキーとの思い出はもっと先、気持ち的に書けるようになったら書いていこうと思う。少しずつ。
今日言いたいのは、少し前向きな気持ちになった昨日。
生き物の死にWhy?をなんどもなんども考えても無駄なのかもしれない。ということ。
マーキーの死から毎日のようにWhy?を頭の中で巡らせてきたけれど、何度考えても答えは出てこない。
「なぜ、あの時に庭に出たのか?」
「いつも開けている庭のドアを何故閉めなかったのか?」
「何故、友達が来てビーチに行ったのか?」
「なぜ、私は日本にその時に行ったのか?」
何度、何故(why)を考えても答えは出てこない。
これがマーキーの寿命だった、運命だったとも考えたくはないけれど。。。
まだまだ、これからの人生にWhy?は常についてまわるのだろう。
でも過去に戻ってWhy?を繰り返し考えての答えは誰も返してくれないんだろう。
もしかしたら、そしてきっと恐らく時が少しずつ、あの時のWhy?を薄めてくれるのかもしれない。。。
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