「ずるい」という人へ
「障害者への合理的配慮はずるい」
「専業主婦はずるい」「働かない人はずるい」
と口にする人たちは、想像力が決定的に欠けている。
健康で何の不自由もなく生まれてきた時点で、
「すでにこの世界の中では大きな優遇を受けている」
という事実にさえ気づけていない。
専業主婦が「働いていない」とされることについても同じで
背景をまったく考慮しない無理解が根底にある。
たとえば、介護が必要な高齢者や、
発達障害や病気を抱える子どもを支える必要がある場合、
家族の生活を安定させるために
誰かが家庭に専念せざるを得ない状況がある。
こうした場合、その「誰か」となるのは多くの場合妻や母親だ。
また、夫が転勤族で頻繁に引っ越しを強いられる場合や、
医療職や警察官のように不規則な勤務時間の環境での仕事であれば
家族全体を支える役割を専業主婦が担わなければならないケースも多い。
こうした背景を無視し
「専業主婦は働かずに楽をしている」と決めつけるのは
あまりにも浅薄だ。
さらに言えば、専業主婦の「無償労働」には、家事や育児だけでなく、
家族の精神的な安定を支えるという重要な役割が含まれる。
この無償労働がなければ、
社会で「働いている」とされる人たちの生活は立ち行かない。
専業主婦の存在は、社会の根幹を支えているのだ。
「障害者への合理的配慮」についても同様だ。
それは、障害を持つ人が社会に参加できる最低限の条件を整えるためのものであり、特別待遇でも特権でもない。
社会が持つバリアを少しでも下げ、平等に機会を得るための手段だ。
それを「ずるい」と感じるのは、自分が当たり前に享受している環境が、
すべての人にとって同じではないという現実を直視していないからだ。
「ずるい」と非難するのは簡単だ。
しかし、それは他人の背景や環境を想像し、
理解しようとする努力を放棄した態度でしかない。
自分が当たり前だと思っている環境や条件は、偶然の産物に過ぎない。
たまたま運が良かっただけ。
不平等の世の中で、優遇された立場にいるという事実に
無自覚なままでいることこそ、「ずるい」のではないか?