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頭を撫でる
彼が人に優しい素振りをすると、それを見ていた大人は「優しいね~」とにこにこしながら褒めて(?)くれるので、彼は人に優しくすることが大好きだ。
スーパーで泣いている子どもを見つけると、いきなり寄っていって頭を撫でようとする。
それ、その子の親が見たらちょっと怖いから。知らない子にさわるのはやめようね。
などと言ってみるのだが、残念ながら重度の知的障害では理解ができない。
なんで?泣いてる子どもの頭を撫でてやるのは「優しい」ことなんじゃないの?と言いたげな顔をする。
撫でられた子どもはきょとんとして泣き止んでしまうから、微妙に成功体験になっていたりして、それを否定するのが難しい。
ある時、ママはあなたが小さいときに、知らないおじさんに頭を撫でられてると「拐われるんじゃないか?」と思って怖かったです。
と、正直に言ってみたら、それが理解できたかどうかは別にして、一人で頭を撫でにいくのではなく、私の顔を見て「イイコイイコしますか?」と聞くようになった。そういうときには、その子の親も近くにいることが多いので、「お母さんが一緒にいるから任せよう!」と言うようにしている。
たまに、そのやりとりを聞いていたお母さんがにっこりと「イイコしてやってくれる?」などと言ってくれることがあり、そんなときにはよろこび勇んで「イイコイイコ」とあたまを撫でにいく。泣いている子どもはビックリして泣き止む。
泣き止んだ子どもとなぜか握手をして、ブンブン手を振りながら「ありがとうございました!」などと言っている。
その子にしてみたら「おやつを買ってほしくて泣いて訴えていたら、知らないデカイお兄さんが満面の笑み浮かべながらやってきて、頭を撫でられた!ビックリだ!なんか怖いぞ。でも泣いたらまた頭を撫でられそうだ。ここはがまん!」とか思ってるんじゃないだろうか・・・。ほんと、すみませんねぇと言いたい。
彼は小さいときに感覚過敏が強くて、頭を撫でられなかった。主治医に「紙ヤスリで地肌を擦られる感覚なのかもしれません」などと言われたら撫でてやれない。それはご褒美でもなんでもなく、ただの嫌がらせにしかならないからだ。
でも、わりと周囲をよく見ている子どもだったので、慰めてもらう褒めてもらう→頭を撫でられるという図式はあったのかもしれない。
自分が何かできたときに私の手を頭に乗せることがあった。複雑な顔をしてすぐに外してしまうのだが「頭を撫でて欲しい」という欲求はあったのだろう。
小学生の頃は泣いている下級生の頭を撫でて「頑張らなくてもいい!」とか「イイコイイコ」とか「幸せになろうね!」とかとんちんかんなことを言っていたようだ。自分は撫でてもらえなかったのに、泣いているときには頭を撫でるのだということは理解していた。
そういう話は学校の先生が教えてくれるのだが、そのたびに「不憫さ」が募ってこっちが泣きたくなったものだ。
成長につれて鈍感になってきたので、今では頭を撫でてやれる。なにかいいことをしたり、ちょっと沈んでるときには頭を撫でてやるようにしている。
もう、私より背が高くなってしまったので「イイコイイコする?」と聞くと自分で頭を差し出してくるという感じだが・・・。まだまだイイコしてほしいんだなぁと思う。
過敏でスキンシップができない、甘えられない子どもというのは、ほんとに不憫なものだと思うが、親が親であるかぎりいつかは甘えられるようになる。
その当時、誰もそんなことは教えてくれなかった。そんな日がいつかは来るかもしれないし、来ないかもしれないからだとは思うが、もしも誰かが教えてくれたら、あんなに泣かなくてもよかったかもしれないなぁと、最近思った。