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自分だけが頼り ①

子どもが特別支援学校の高等部のとき、地震などの災害が起こったときのために、防災リュックなるものを準備して持っていくことになった。

着替え、食料、水、落ち着けるようなグッズなど一般的なもので、家の防災用品の中から彼の分だけを出して持っていった。

そのときに説明会があって、万が一災害が起こったとき、学校としてはどこまで生徒を守れるのかという話もあった。

当然だが、学校の先生だって家庭があるし自分の生活がある。自分の家も被災しているのに、職務で生徒を守るのにも限界はある。最長2日ということだった。

2日以内に迎えに来てください。と言われたことに対して、2日も離れてたら子どもがパニくるんじゃないかと心配する人が半分、たった2日じゃ無理だから最低でも一週間くらいは預かってほしいという人が半分いた。

前者に対しては、直後から迎えに来てもらえるならすぐに連れて帰ってもらってOK。ただし連れて帰ったことが学校にわかるようにしてください。という短い説明があった。

教員の誰かに確実に知らせる。混乱していて教員がつかまらない時は、よくわかる場所にメモを残すなど。
私たちは迎えに来るときに紙と油性のマジックを持ってこなくてはならないことを知った。

揉めた原因は、一週間以上の預かりを希望した人が多かったからだ。

障害を持っている子どもを連れて帰ったら自分の家のことが後回しになってしまって、家族全員が困る。というのが理由だった。

確かに、うちだって家が地震で倒壊したら、彼がいて邪魔されるよりはいない方が、さまざまな処置は早い。

放置するわけにはいかないので、おそらく「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせながら、彼の心が折れないようにゆっくり復旧に参加させることになるだろう。
それで私ひとり分の人手はなくなるわけだから、復旧は遅れる。

でもね。それはないんじゃないの?
自分の子どもなんだから、自分が責任もって保護しないと誰が子どもを守ってくれるの?
と、言いたかったのだが、言えなかった。

いざというときに助けを求めても、誰も助けてくれないことを「当たり前」と思ってしまう考え方に自分自身が慣れてしまっている。ということに気づいたからだ。

ここに至るまで、確かに学校の先生や福祉の関係者の皆さんは助けてくれた。ただ、それは彼が平常時の場合であって、困った時の最終手段は「お母さん、お願い」

それでも彼は目を見張るほど成長したし、彼が困っていることを理解できるのが私だけなら、私が手を出すことは吝かではない。それしかないとも思う。

何かあれば親がいる。親が彼を守ってやらないと。そう思ってきた。それは私には「当たり前」のことだった。

私が生きていたらそれでいい。もしも私や旦那さんが家屋の下敷きになって死んでいたり、動けない怪我をしていたら、彼はどうなるんだろう。

災害があった場合、福祉施設の利用はストップするだろう。もちろん相談業務など成立していないだろうし、どこが利用できるかなど把握できるわけもない。

災害難民となった障害をもつ人を収容すると決められた場所はない。居住地域で受け入れてくれる可能性はあるが、学校で被災すると、居住地域と離れた地域が収容してくれるとは考えにくい。

私たち家族は災害が起こったときにどうするかをずっと考えてきた。基本的には自宅避難だ。

彼が集団の避難所で落ち着いていられる可能性がほとんどないから、家が壊れても車があるかぎり、私たちは自宅避難をする。

両親が行動不能な時、彼を迎えに来てもらって地域の避難所に収容してもらえる手筈は、お隣さんと民生委員さんにお願いしてある。

でも、家から離れたところで被災して、親が行動不能だった場合、彼がどうするべきなのかを教えていない。というかそれを教えてやれるほど成長していない。

結局、私たち夫婦は死ねないということだ。
何があっても死ねない。どちらか片方が生きて動ける状態にあるということが必要なのだ。自分で何とかするしかないから。

たぶん、小さいお子さんをもつ親はみんな同じだろう。まだまだ子どもをおいて死ねない。「子どもが自分の判断で様々な危機を乗り越えられる」までが子育てともいえるんじゃないだろうか。

私たちの子どもは、たぶん、一生それができない。


無理心中とか安楽死という言葉がよぎるのは、こんなときだ。

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