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はじめまして。自己紹介
17年以上従事していた訪問看護師を2024年10月末で辞めました。
今、振り返るとわたしはバーンアウトの状態だった様です。
バーンアウトとは、長期的なストレスや過重労働によって引き起こされる深刻な心身の疲労状態です。
わたしの場合、訪問看護の運営という過酷な業務により、心身ともに限界を迎えてしまいました。
バーンアウトとは?
仕事への意欲の低下
心身の健康状態の悪化
パフォーマンスの低下
このような状態に陥った結果、マネージャー業務から一時的に離れることになりまして、わたしを取り巻く職場環境が悪化し、最終的に退職を決意するに至りました。
看護師という資格を持ってマネージャー業務を任せられるのだから、さぞ優秀な看護師さんじゃないですか?と思われている読者の方はいると思いますが、そうでもないです。
落ちこぼれ看護学生
実は、看護学生時代に妊娠をして、看護師と母親という二つの道を同時に歩むことになった過去があります。
出産予定が卒業や国家試験と重なり、臨月で受験したものの不合格。
出産後1年の浪人生活を経て、ようやく正看護師の資格を取得できたのです。
振り返ると、出産後わずか1年でここまでやり遂げたなぁと感心します。
しかし、正看護師になっても新卒採用の門は狭く、1歳児の子育てをしながらということもあり、就職先を見つけるのは一層困難でしたよ。
ようやく託児所付きの病院に採用されましたが、基本技術の不足に加え、指導してくれる先輩もおらず、1か月で退職です。
病院勤務は独特な人間模様
次は精神科病院にチャレンジしました。ちょうどその頃、結婚生活が破綻して実家に戻っていたため、実家近くの病院を選びました。
約1年間、ここでも最初は基礎技術の不足に苦労しましたが、師長さんも同僚も親切で、「技術は実践で身につく。まずは患者さんとの関わりや疾患について学びなさい」というスタンスだったため、働きやすい環境でした。
長く勤められるはずでしたが、病棟内の派閥問題に直面することになりました。どちらの側につくべきか悩み、人間関係を上手く渡り歩けない性格もあって、違和感を感じて退職を決意。
いざ訪問看護の世界へ
次は人間関係の悩みから解放されたいと、看護学生時代から興味のあった地域医療の道へ進みました『訪問看護』です。
20代後半で訪問看護の世界に入り、未就学児の子育てと両立できるようパート勤務で始めました。
所長さんが看護技術から考え方まで丁寧に指導してくださり、「あなたは手がきれいよ(ケアが丁寧という意味)そこがあなたの才能ですよ」という励ましの言葉を頂けたのが、訪問看護師として歩んでこれた核となりましたね。
訪問看護師は私の天職だと心から思えた時期もありました。
しかし、長年親しんだこの世界で、次第に心身ともに疲弊していったのです。
努力をすれば結果がついてきて、役割も期待も大きくなっていったのは確かです。その一方で、ただ利用されているだけではないかという思いが拭えなくなり、体が出すサインのおかげで気づくことができました。
もう私にとって、ここは必要のない世界なのだと。
17年以上にわたり訪問看護師として地域医療と向き合ってきました。
48歳シングルマザーとして、子育てに奮闘しながらキャリアを積み重ねてきた一人の人間です。
訪問看護の現場で得た経験は、わたしの人生における貴重な財産です。
利用者様(訪問看護では患者様の事をそう呼ぶ)やそのご家族との関わりを通じて、医療の本質や人としての在り方について深く考える機会を得ました。
これから創るわたしの世界線は?
2024年10月に一つの区切りを迎え、現在は新たなチャレンジの途上にあります。これまでの経験を活かしながら、自分らしい働き方と生き方を模索しています。
医療や介護に関する知識と経験を持ちながら、常に学びの姿勢を大切にしています。人との繋がりを大切にし、互いに支え合える関係性を築くことを心がけています。
これからも、自身の成長と周りの方々への貢献を意識しながら、新しい可能性に向かって歩んでいきたいと考えています。
良かったら応援のほど、よろしくお願い致します。