きょう まどから ふくかぜは
5月の終わり。
この時期になると、彼女のきらきらとした笑顔を思い出す。
知人 と呼ぶのが憚られるくらい、ほんの数回しかお会いしていない。
生後半年の息子を連れ引っ越した先でお会いした彼女は、わたしより一回りほど年上で
文字通りの、きらきらとした笑顔で 必ず出迎えてくれた。
睡眠、社会との繋がり、家族以外の大人との会話。
初めての育児は、人が人らしく生きていくために必要な要素を
いとも簡単に、これでもかという程ピンポイントに握りつぶしてきた。
そんな毎日の中での束の間のランチで、彼女は私の息子に離乳食を与えながら
「あたたかいごはん食べなー!美味しいうちに先に食べてね!」と満面の笑みで言った。
息子をかわいいねえ、かわいいねえ、と愛で続けながら。
そんな風に言ってくれる人の存在が、純粋にとても嬉しかった。
お店の誰かが盛り付けてくれた、美しい前菜。
ボリュームたっぷりのメイン料理。
冷めていても、きっと美味しい。
それでも。
子どもを気にしながらかきこむ、味わえているのかもわからない食事ではなく。
家族が食べ終わってからいそぐ、つめたい食事でもなく。
ほんのり湯気があがる、あたたかい食事がうれしくて。
彼女から与えてもらった気遣いを、私も誰かにきっとしよう、とひっそり思った。
2年前に空の向こうへ飛び立った彼女は、お別れの場に手紙を遺してくれていた。
〝 最期に会いに行けばよかったんじゃないかな、なんて思わなくていい。
わたしがいなくなった後、目を閉じて、思い出してくれればそれでいい 〟
これからも生きていく人たちへ向けた、気遣いの溢れる、彼女らしい言葉だった。
最期まで、周りの人へ向けるやわらかい優しさ。
手紙が読み上げられた時に頭の中を駆け巡ったのは、彼女のきらきらとした笑顔だった。
谷口國博 著・高砂淳二 写真
「きょう まどから ふくかぜは」
彼女と会って話をすることはもう叶わないけれど、彼女のいない世界で、わたしの毎日は今日も続いている。
この写真絵本にも、地球の上を駆け抜ける風のつながりが描かれていく。
今日の風は、どこからふいてきた風だろうか。
どこかの国の、美しい海のうえからか。
どこかの土地の、木々の隙間からか。
どこかで寄り添う、動物たちのそばからか。
世界中の写真と共に語られるやさしい言葉は、読めば読むほど想像がふくらむ。
自分の眼の前に広がる空も頬をなでる風も、どこかと繋がり、どこかへひろがっていく。
この風の先に、彼女の笑顔もきらきらと溶け込んでいるように思うのだ。