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南アフリカでの走馬灯体験から始める自己紹介

あなたがもし自伝を書くとしたら、1ぺージ目はどこからはじめますか?私だったら、17歳の時に南アフリカで走馬灯を見た日からスタートします。

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10代 走馬灯を見て生かされている意味を考えた

当時南アフリカ共和国(以後、南ア)に留学していた私は、キャンプに連れて行ってもらい、ターザンごっとしようと木の登りそこからロープにつかまって「あぁ~あ」ってしようと思った瞬間!!

アフリカなので天然記念物級の大きな木の1番上から、手が滑り落ち、頭から真っ逆さまな状態で木から落ちてしまいました。

家族や友達、ホストファミリーの顔が次々と浮かんできます。

いわゆる走馬灯。客観的に見えている自分と呼吸が苦しくなる自分。

「死にたくない。死にたくない。死にたくない。」

呼吸が苦しくて意識がもうろうとしていく中でそう強く思いました。

しばらくすると、肺のあたりの激しい痛みと共に目が覚めます。地面に頭がめり込んだらしく、顔や髪の毛は泥まみれ。

そして目の前には金髪の白い服をきた美女が・・・海外だからやっぱり三途の川とかじゃなくて、エンジェルが迎えに来てくれるのか。さすが海外!

んなわけない。天に召されていたら今この文章を書いているわけがありません。

金髪の美女は、女医さんでした。

開口一番、「ミラクルだわ~!!!」かろうじて聞き取れた単語です。肋骨1つ折れず、3日で退院する奇跡の生還を乗り越えて、思いました。

生かされた命。後悔しない人生を送らなくては。

とういうことで前置きが長くなりました(笑)

改めまして・・・

後悔しないような人生送りたいと思っているまゆまゆと申します。

自己紹介で「南アフリカ留学ネタ」は必ず聞かれるので、私がなぜこんなにも自分らしく楽しく生きることに執着しているか先にご紹介しました。

昨年から親の介護をする必要があり、長く住んだ東京を離れて、宮城にUターンで戻ってきました。現在は、本業も週4で継続しつつ、自分の"好き"を形にした複数の仕事をする「複業」スタイルで場所と時間の制約があっても自由に働き方をしています。

主にTABICAやアクティビティジャパン、HISを中心としたプラットフォーム体験企画を通じた場づくりをしています。

オンラインスナックのママ
オンライン旅行のガイド
社会人向け講座企画やファシリテーション

本業では、在宅勤務で産業翻訳や簡単な動画の映像翻訳をしていて、どの仕事もすべてオンラインで完結しています。

一見一貫性がないし、よくある戦略の選択と集中の逆で、選択と分散しているように見えるかもしれません。

自分の中の軸として共通しているのは

人と人、情報と情報、日本と世界の懸け橋になる

自分の好きや得意や自分らしさを活かしている

この2つかなと思います。


このスタイルは、外に働きに出ることができなくて1つのことに絞りきれない器用貧乏な私が、自分や家族との生活リズムを壊すことなく、過去の最高にストレスが少ない日々を過ごしています。

自分らしく働く旅のスタート地点に立ったところです。

そんな私は皆さんに何か提供できる情報やネタがあるかなと考えていた時、一番悩んで時間とお金を投資したのは「働くこと」に関すること。

10代、20代、30代前半は、自分探しの旅をずっと続けていました。

自分でいうのもなんですが、いわゆる「器用貧乏」というやつで、人に頼まれたり割り当てられた仕事はある程度そこそこできるようになる。でも、どれもそこそこ。結局自分は何が得意なんだろう?何がやりたいのだろう?と毎日が自問自答の日々でした。

20代 自分探しの旅を続けた結果…転職5回(笑)

日系大手からベンチャー企業、そして外資系など、一瞬だけフリーの英会話講師をするなど、様々な規模や形態の会社で働きました。また学生時代からの夢だったNGOで国際機関や政府系の方とも仕事をしました。

職種も経営企画に海外人事、プロジェクトマネージャー、営業、総務、講師業など、主に組織や人材教育に関わる仕事が多かったと思います。

色々な経験はしたけど、転職5回は日本だとマイナスイメージが強い。

その都度、自分なりに考え、やどかりが次の大きな貝殻を探すようにステップアップはしてきたつもりですが、それでもどこか満足はしきれてはいませんでした。

30代前半 自分を抑えて働いていた

そうこうしているうちに、頑張りすぎや相性の合わない上司とのストレスで、ダウンし、一時休職。

まゆまゆさんは繊細だよね。とか、色々気にしすぎだよね。丁寧すぎるよねって言われて続けて三十〇年。自分では当たり前だけど、人から見たらストレス耐性の弱い自分にも自己嫌悪な日々でした。Noと言えないし、人から頼まれると断れない。でも、なんだかいろいろ頼まれる。

気にするなって言われても、人が気がつかないことも色々なことが透けて見えたり、雰囲気で色々察知してしまう、人との違いにも悩んでいました。

どこか人に言われたことを気にしすぎて自分の軸がなかったように思います。

30歳で一度結婚も考えましたが、方向性の不意一致でさよならをしちゃいました。

そうこうしているうちに、親の体調が崩れ手術も必要となり、仙台と東京を往復する日々が始まりました。東京での行き急ぐような忙しい生活にも少し疲れていた頃でした。

そうだ、東北に戻ろう。

そう決心しました。

元々は田舎が嫌で外に出ました。狭い世界が嫌でした。


でも、今は家族を優先しようと。

30代半ば 介護とキャリアダウン

そうしてコロナに先取りしてはじめた在宅勤務。しかし、介護との両立は辛い時もありました。介護や世話する時間が不定期だけど、仕事の時間は決まっている。精神的にも介護する周囲も辛いのに、仕事では自分を活かせていない働き方にストレスは募る一方。幸いフレックス制ではありましたが、前とは違う職種や仕事にも正直戸惑いがありました。年収もグッと下がりました。

そして言われた一言。

「在宅だとアサインできる仕事がない。かき集めないと」

もうこれは戦力外通告されたような気持ちに…

思えばこれが本当の意味で自分らしく働いたり、自分が提供できる価値は何かを本気で考えるきっかけになりました。

在宅勤務前は営業職でしたが、東北エリアには顧客もいなかったので、営業としての仕事はできなくなり、その代わり事務方に回ることに。

苦手な事務作業も正直そこそこにこなすことはできました。でも、苦手な分野を毎日続けるのは苦痛で仕方なく、苦しい日々が続きます。結局やっぱり介護とキャリアの両立はムリなのか。仕事もやめた方がいいのか。でも、外に働きに出ることが出来ず、転職もとてもできない状況。

自分には価値がないんだろうか。
結局自分には何ができるんだろうか。

それこそ自分探しの旅の泥沼にはまっていました。

そんな中、社会はコロナの感染拡大、一気に社会の様子が変わりました。

30代後半 オンライン化の波に乗る

2020年の4月頃。1度目の緊急事態宣言が決定し自粛ムード漂う中、TABICAというサイトでオンラインスナックをはじめました。スナックの実店舗を持っているわけではないのですが、自分が飲みたかったらです笑

でも、同じようにずっと外に出らなくてストレスが溜まっている人もいるのでは?と思い、オンラインでの「場」をつくりはじめました。少人数でしっぽり語る。カウンターで隣になった人と一期一会のような会話。

そんな中、オンライン飲み会を主宰しているママさん8人と一緒に企画したオンラインスナックはしご酒が大盛況に終わり、オンラインスナックのママという立場も定着してきました。

その後、自粛ムードがあけたタイミングでスナックもやや下火になり、オンライン旅行や色々な企画口座などをしているうちに、来て下さるゲストさんも増えていきました。

ここでは、本業では丁寧すぎると言われていたこともゲストさんには喜ばれ、時間がかかると言われたいたことは自分のペースで自分の時間の中でやりくりできて、誰にも文句は言われないので、特に問題にはなりませんでした。こうしたらいいんじゃないかとアイディアを形にすれば、またゲストさんが来て下さる。

そして何より、人の話を聴くことが、全く苦にならず人よりもどうやら得意らしいことが分かり、そうすることでどんどんゲストさんも喜んでくれ、リピーターさんも増えてきました。

今 知識ゼロからでTABICA2020MVPを受賞

大学の講義の依頼が入ったり、個人的に仕事を頼まれることも増えるようになった頃、2020MVPとしてオンライン体験を受賞しました。

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毎週コツコツ好きなことを続けていたら、8か月で84回のオンライン企画を実施していました。
SNSなど使っての集客もほとんどしなかったのですが、ありがたいことに新しい企画を出せばきてくれるリピーターがさんもいて、自分が好きなことで楽しい、ゲストさんも楽しい、そしてお小遣いが入る(笑)というWin-Win-Winの感情と経済の循環ができてきました。

組織で働くのも嫌いじゃないと思っていたけど、どこかで人から受けてしまうストレスを感じていたました。また器用貧乏が役に立ち、企画~提案~実施~コミュニケーションなどの全体プロセスを1人で処理するのも全く苦ではありませんでした。

親の介護をしながら、毎日1~2時間程度から始めることができ、宮城という地方にいても、オンラインで世界中のゲストさんとつながることができます。

こうして、嘘みたいに"好き"が仕事として成り立つようになり、「自分探しの旅」から、「自分らしく働く旅」に変わりました。

それ以外にも長期的に何歳までもどこにいてもできるように、現在は事務から社内翻訳者へ役割を変えてスキルを磨き、"好き"を形に変えた複数の企画の仕事で今の働き方が出来るようになりました。

今日 こうして始まった「自分らしく働く旅」

まだまだ私も旅の途中。

それでも、少しでも働くことに悩んだことから得た学びや経験から得た情報を皆さんに発信することで、自分らしく働くヒント時々好きな旅の話をお届けできたらと思います。

自分らしい働き方をみつけることで、みんなに幸せになって欲しい

そんな願いを持ちながら・・・

noteでも発信していけたらと思います。

stand.fmで音声配信でもよろしければどうぞ

こんな私ですがどうぞよろしくお願いします♪

それでは、また♪ See you next time!

まゆまゆ





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