祖母と過ごした8月15日の想い出
正午が近づくと、いつものようにテレビをつける。
画面には追悼式典の様子が映し出され、
黙祷を知らせる時報が流れる。
そして、それに合わせて、
12時ちょうどに村のサイレンが鳴り響く。
祖母は静かにテレビに向かって手を合わせ、
頭を下げて目を閉じる。
隣で私も同じように目を閉じる。
子どもの頃から、
夏休みの8月15日はこうして過ごしてきた。
蝉のミーンミーンという鳴き声と、
家の横を通る国道を行き交う車の音だけが聞こえる中、
私たちは静かに想いを馳せ、
祈りを捧げる。
8月6日、8月9日、そして8月15日。
毎年繰り返されてきた、夏の日の思い出。
大人になってからも、
お盆休みには帰省して祖母と同じように過ごすのが、
私にとっては当たり前だった。
しかし、会社勤めを始めると、
それが「誰にとっても」の、
当たり前ではないのだと気づいた。
今日という日は、
私たちにとって重要で、
想いを馳せて祈りを捧げるものだと信じていたけれど、
社会生活を送る中では、
たった1分でさえ
立ち止まることがないのが普通だ。
だから、
時間がある時は、そっと一人で席を立ち、
静かに目を閉じるようにしていた。
普通に会議の予定が組まれ、
普通に仕事をしている自分がいる。
それでいい。
むしろ、それがすごいことだと思う。
何でもない日常を追われるように過ごしながらも、
その日常がどれほど尊いものか。
それでも、
渋谷のスクランブル交差点で、
一人だけ立ち止まっているような気持ちになることがある。
大切なものや人の想いは、
目に見えるものだけで測れない。
何をするかは、
実はどうでもいいのかもしれない。
ただ、いつもの日常の中で、
今日だけは共通の祈りがあり、
それを忘れていないことを
感じたかったのだろう。
自分の大切に思うものの
優先順位を下げなくてはいけないこと。
その中で、何も感じていないふりをして過ごすことが、
私の中で違和感として積み重なっていく。
だからこそ、
自分が大切にしているものを大切にし、
自分が過ごしたいように、
自分の時間を使えるようになりたい、
という思いを強く感じるようになった。
私が黙祷を捧げるもう一つの日、
それが3月11日。
東京ではその時間も普通に仕事をしていたが、
福島に来てからは職場全体で手を止め、
みんなで黙祷をした。
フリーになって南相馬に移り住んだ後も、
その時間になると黙祷のサイレンが鳴り響く。
それがとても心地よく、
その時間を持てることが癒しとなっている。
今住んでいる家にはテレビもなく、
今日ここではサイレンの音も鳴らない。
それでも、今日も12時ちょうどに
私は目を閉じた。
終戦の年、ハタチだった祖母は
どんな気持ちで
毎年この日を過ごしていたのだろう。
今となっては聞くこともできないけれど。
ただ、私にとって
きっとこれからも祖母の思い出と共に、
この日はあるのだと思う。