インタビュアーは書き手か。
ある日、見知らぬアドレスのメールが届いた。
開くと、夢野寧子さんからだった。
村雲さんの記事を読んで、あらためて私にお礼を言いたくなったと、名刺に書いたアドレスへ直接メールしてくださったのだ。
そのことだけでも、山手線で踊りだしたくなるほど嬉しかったけれど、
ある一文を読んだら、泣きたくなった。
昨年の五月からインタビュアーになって、まだ1年とちょっとしか経っていない。誰に教わるわけでもない。手探りで「いいインタビューとは」と自分なりに考えてきた。
インタビューは取材した人の答えをそのまま書き起こせばいいわけではない。記事として緩急がつくように読者の興味を引く構成を立て、口語では伝わっても、文語では伝わりにくい興奮や機微を、整える。補足情報を入れ、その人を知らない人、その作品を読んでない人にも伝わるようにする。そして、いい質問をたくさん用意する。その場で話を広げていく。
インタビューする人のことはいつも、大好きになる。この人をみんなに誤解されたくない、この人のいいところを正しく伝えたい、すごいところをお披露目したい。この人の宣伝したいものがたくさんの人に届いて、売れてほしい。その努力が実ってほしい。そう思って、せっせと原稿を書く。
ある人にインタビューしたら、その方はとても楽しそうにお話してくださった。「そこを聞かれたことがなかったのでとても嬉しかった」と言ってくださった。心を開いてくださった手ごたえがあった。
原稿を提出した。
すべて、その人によって書き直されて戻ってきた。
赤字を部分的に入れるのでも、「ここの表現を和らげたい」というような伝え方でもなく、原稿が書き換えられて戻ってきた。
その人は怒っていなかった。良かれと思って、そうしていた。まだデビューまもない人だった。
落語家に取材したわけではない。しゃべりのプロではない。だから、口語ではうまく真意を伝えられなかったんだろう。私はなるべくその人の言葉から拾うようにしていたけれど、文章で自分の話したことを読んだら、もっとブラッシュアップしたくなったんだろう。取材時に私が聞いた言葉ではない言葉に書き換えられていた。
たぶんそういうことなんだと思う。とてもいい方だったから。でも、とてもショックだった。
私は、インタビュアーも書き手であると思っていた。
第一に聞き手であるべきだろうけれども、書き手でもあると思っていた。
でも、その人にとっては、私は、聞き手でしかなかった。もっと言うと、その人の言葉を「書き写す人」「記事化する媒介者」でしかなかった。
もし、その人の小説が編集者からすべて書き換えられて戻ってきたら、その人はどう思うだろう。私をその人と同じ「書き手」だと思っていないから、やってしまえることだ。
だから、夢野さんの言葉は泣けた。
私を「書き手」と認めてくれた。
メールには続きがあって、それは、noteにあげた私の小説「大森さんちの家出」の熱い感想だった。夢野さんはここでも私を「書き手」と認めてくれていた。
あの日、書き換えられた原稿が悔しくて悲しくて眠れなかった私が、報われた。
インタビュアーはいい聞き手であることが第一だ。それは変わらない。でも、書き手でもあることに誇りと責任を持って、これからも記事を書く。
私の名刺にはキャッチコピーが入っている。
声高に言うことではないから、白抜き文字でこっそりと。
「あなたのお話、大切にします」
大切に聞き、大切に書く。
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