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バリ島での妊娠と出産



今の旦那と付き合い始めて、約1ヶ半が経ったころ。
大切な友人の愛するご主人が亡くなったので、
友人達と一緒に車で3時間以上かけて、
葬儀が行われる場所まで赴くことに。
途中クネクネの山道が続き、普段ならめったに
車酔いしない私も、この時ばかりは気持ち悪く
なってしまいました。
車内では、半分冗談で「妊娠してるかもね」
なんて話していたのですが、心の中には
「これは、妊娠しているに違いない」と、
謎の確信が鎮座していました。
無事に葬儀を見届けて、我が家へ帰ってきた
その翌日から、ひどい風邪のような症状に
見舞われました。
万一、妊娠していたら、下手に薬も飲めないなと
思い、すぐさま旦那に妊娠検査キッドを買って
きてくれるように頼みました。
私には、「妊娠してるだろうな」という予感が
あったので冷静でしたが、旦那ソワソワを隠し
きれない様子でした。
いざ、検査キッドに尿をかけると、
一瞬で妊娠を示すラインがくっきりと
浮かび上がりました。
結果を見せた時の、驚きまじりの幸せそうな
旦那の表情は、今でも忘れられません。




それから、すぐに、産婦人科について
調べ始めてくれた旦那。
最初に訪れのは、いわゆる日本の産婦人科とは
ほど遠い、小さな診療所でした。
それは、薬局の奥にありました。
時はCovid 流行の真っ只中。
感染防止のために、ソーシャルディスタンスを
保たなきゃいけないと、世の中が騒ぎ立てていた
時期にも関わらず、待合室のベンチには
ところ狭しと順番を待つ妊婦さんたちの姿。
それまで外でバリバリと働いていた
バリの男性たちも、家族と共に過ごす時間が
増えたせいでしょうか。
Covid ベビーブームが到来していました。
すっごい数の妊婦さんたちが一堂に会していて、
仮にここでコロナに感染しても致し方ないと
思うほどの、大盛況ぶりでした。
いよいよ私の順番がやってきたのですが、
感染防止のために診察室への入室は妊婦本人しか
許されないとのこと。
「ええー!待合室のこの状況、見てみなはれ」と
ツッコミを入れたくなりましたが、
仕方がないので一人で入室しました。
案の定、不安は的中。
ドクターのバリ訛りの英語と専門用語の連発で、
ぜんぜん理解できない。
大切なことを、おっしゃってるのはわかる
のだけど、全く聞き取れない。
こりゃ、致命的だ。
旦那に申し出て、次からは総合病院の産婦人科に
行くことになりました。
こちらは、先の診療所に比べると、
格段に現代的で、機材も揃っていました。
ドクターは日ごとに入れ替わるのが、
インドネシア流のようで、
一度目に行った時は男性のドクター、
二度目に行った時は女性ドクターでした。
私にとっては、出産経験のある女性ドクターに
診てもらう方が、心強いし安心だったので、
出産当日まで、この女性ドクターにお世話に
なることに決めました。
診察に行くたびに、お腹の中でたくましく
育っていく娘は、元気な心臓音、強そうな背骨、
よく動く手足を私たちに披露してくれました。
(と言っても、画像は相変わらず悪くて、
私の目にはよく分からなかったのですが)
日本での産婦人科事情を知りませんが、
私の通ったバリ島の病院では、妊娠周期に合わて、
お母さんの体に必要な栄養素が摂れる
サプリメントを、毎度処方してくれました。
おかげさまで、母子共にとても元気に
過ごすことができました。




そして、妊娠中に驚いたことがあります。
自分が妊娠していると、自然と他の妊婦さんたち
にも目がいきました。
私自身は、そんなに体重が増加することもなく、
月齢が経っても妊婦だと気づかれないくらい
だったのですが、ほとんどのバリの妊婦さんたち
は、みんなすごい増量してるのです。
みんなコロコロでした。
妊娠中は、お菓子だろうがなんだろうが、
食べたいものを好きなだけ食べるみたいだし、
家族もそれを勧めているそうなのです。
昔、フィットネスビキニという競技に出るほど、
筋肉と栄養学にハマっていた私にとっては、
バリ島妊婦さんたちの食事や体の管理には、
びっくりさせられる点がたくさんありました。
一方、日本では味わえなかったかもしれない、
喜びに溢れた素敵な驚きも体験しました。
私も臨月近くになると、さすがに誰の目から
見ても、“妊婦さん”として認識されるように
なりました。
どこに行っても、私のお腹を見たみんなが、
ほほえみかけてくれるし、誰もが優しくして
くれる。そして、みんなが祝福の言葉をかけて
くれる。
自分だけが子供の誕生を待ち侘びているん
じゃなくて、みんなが私の子供の誕生を喜んで
くれてる。
そんなふうに、全く見ず知らずなのに私と娘にも、
大きな愛を与えてくれるバリ島の人たち。
なんて素敵な島、なんて素敵な人たちなんだろう。
こんな素敵な場所で、子どもを授かれたこと、
出産できること。本当に恵まれてるなと、
大きな幸せと感謝を感じずにはいられません
でした。




そして、いよいよ迎えた出産の日。
早朝から、おしるしと呼ばれる出血があり、
徐々に陣痛と思わしき症状が現れ始め、
旦那と共にタクシーで例の病院へ向かいました。
そして、通された先は、保健室にあるような
簡易的な診察台が4台並んだ大部屋でした。
ベッドの間は、カーチンで仕切られていますが、
隣の人の声は丸聞こえ。
ベッドの向かいにナースステーションが
ありました。
私は、そのうちの一つに横たわり、簡単な
メディカルチェック、コロナのテストを受け、
子宮口の開き具合などを確認されました。
まだ動けるうちは、大部屋を自由に歩き回って
良いとのことだったので、私は部屋の中をウロウロ
と探索しました。
その中には、テレビなどで目にしていた、
いわゆる分娩室らしき部屋がありました。
「私も、この分娩室で産むことになるのね」と、
気合いが入ります。
それから自分のベッドに戻り、陣痛の感覚が
どんどんと短くなっていくのを待ちました。
なかなか陣痛が激しくなってきたので、
近くにいたナースに、
「いつ、あの分娩室に移動するの?」と
尋ねたところ、なんと、今寝っ転がっている
ベッドで分娩するとのこと。
背もたれの角度も変えられなさそうだし、
踏ん張るための手すりもない、ただのまっすぐな
だけのベッド。
「マジか。。」と思いましたが、やるしかない。
そうしてるうちにも、とてつもない痛みが
襲ってきます。
腹も痛けりゃ腰も痛いわ、冷や汗出まくり。
陣痛って、堪らんですね。
「うう〜。うぉぉぉぉ〜。」
どんなに、ひどい雄叫びが室内にこだましようと、
そんなこと構ってられず、うなり続ける私。
一方、私の横では、旦那がずっと心配そうな
眼差しで、私に声を掛けてくる。
「ハニー。ほら深呼吸だよ。吸って〜吐いて〜」と。
側から見たら、夫婦愛溢れる素敵な光景。
しかし、陣痛にのたうち回る私の心中は、
穏やかになんていられません。
「おい!!こんなに腹が痛ぇ時に、
流暢に深呼吸なんて出来る奴がどこにいるんだ!
お前は、今にも下痢が漏れそうな腹痛時に、
深呼吸なんぞできるのか?おい、言ってみろ!
結局な、男なんぞ、何にもわかっちゃいねぇ!
お前らには、この産みの苦しみは、
一生分からんのじゃぁーーー!!
うぉりゃゃぁぁぁーーー!!」
と、怒りのような、鍛冶場のくそ力のような、
なんとも言えないパワーが湧いてきて、
夫の胸ぐらを掴みながら、いよいよお産の時を
迎えたのでした。



先生とナースたちは、さすがプロフェッショナル
ですね。
私たちとは反対に、至って冷静に色々と指示して
くれました。
「はい、今息を吸って、、、イキんで!」
一度目にいきんだ時は、イキミパワーが
足りなかったせいか、失敗。
気を取り直して、二度目のイキミ。
その時、同じくバリ在住の大先輩ママが
言っていた言葉を思い出しました。
「あんな、赤ちゃん出すってな、
200メートルのうんちを出すんと同じような
もんやで、ほんま。」
なるほど!200メートルのうんちを出すのならば、
まずはしっかりと息を吸い込んで、きばり続ける
ための酸素体内に蓄えておくことが必要だ!
私は思い切り息を吸い、体中に空気を溜め込み
ました。
そして、イキムとは、うんこを出す時のキバリと
等しいのか。
頭の中で、200メートルのうんちを出すイメージを
思い描きながら、思い切りフルパワーできばり
ました。
すると、突然、チュルンっと何かが出てきました。
「こっ、これはなんだ?」
ドクターとナースたちに、
「おめでとう!もう出てきたよ!」と言われて
初めて、無事に出産したんだと知りました。
赤ちゃんって、最後はこんなふうにチュルンと
突然出てくるんですね。
私がヘトヘトに疲れてベッドに横たわっている間、
娘は別室できれいに身支度され、
私のところに戻ってきました。
涙の初対面。
美しい感動のシーンを思い描いていたけど、
実際は「なっ、なんだ、これは?!」という
不思議な感覚でした。
初めて目にした娘は、まるで不思議生命体のよう。
この生命体が、さっきまでお腹の中にいたなんて
信じられない。
感動というよりも、神秘的な驚きに満ちた
初対面でした。
すぐに、おっぱいをあげてみることになり、
娘を胸元に近づけたところ、勢いよくスイスイと
吸い始めました。
私の胸からも、早速オッパイという名の液体が
分泌されている。
「本当にすげぇ!人間の体って、すごすぎる!」
驚愕の神秘体験の連続でした。




病院内には、出産を終えたママたちのために、
大部屋と個室とが用意されていました。
値段は高くなりますが、私は迷わず一人部屋を
選択しました。
室内には、私のベッド、その横に赤ちゃん用の
ベッド、そしてソファが置いてありました。
私が部屋に移動したわすが数分後、
娘もそこへ連れて来られ、ベビーベッドに
寝かせられました。
「あれ?日本の産婦人科だと、出産直後の
赤ちゃんたちは、看護婦さんたちがいる部屋(?)
に集められて、そこで過ごすんじゃなかった
かしら?」と思ったのですが、いかがでしょう。
インドネシアでは、生まれたすぐから、
赤ちゃんとママは一緒に過ごすようです。
超初心者ママの私には、おっぱいのあげ方も
よくわからないし、何もかもちんぷんかんぷん。
何度もナースコールを押して、都度いろいろと
教えてもらいました。
そして、翌日。
お風呂の入れ方とヘソの緒の扱い方を、
ざっくりと習って、そのまま退院。
インドネシアだけじゃなくて、日本以外の
国々では、基本的に出産翌日には退院する
みたいですね。
日本みたいに、一週間近く、病院で手厚く
ケアしてもらうのって、逆にレアなこと
のようです。




病院で過ごした一日半は、お産という大仕事や
未知の体験の連続で、感動や余韻に浸る時間など
ありませんでした。
でも、自宅に戻り、これまでの日常の中に、
娘という新しい存在が加ったことで、
「本当に人生の新しいページが開かれたんだなぁ」
という思いが込み上げてきて、
しみじみと喜びと幸せを感じました。
正直なところ、インドネシアの医療事情には、
不安な点も多かったのですが、結果的には、
むしろ安心して出産に挑むことができました。
だって、少子化が進む日本とは反対に、
出生率の高さは世界随一のインドネシア
ですから、病院だって、ドクターだって、
みんなだって、子供が生まれることに
すごく慣れてる。
新しい生命の誕生を、当たり前のこととして
自然と受け入れるこの島の在り方に、
とっても救われた、素晴らしき妊娠&出産体験
でした。

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