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〜バリ島おもしろスピリチュアル〜プロローグ



「スピリチュアル」という言葉を聞くと、怪しい、気味が悪い、キモい、ちょっと変わってる暗い人がこぞって好きなもの、弱い人が頼るもの、ダサいなど、いくつものネガティブなレッテルを貼っていた外向きの私。
でも、実際は恋愛成就や仕事での成功を祈願して、神社やパワースポットに足を運んだり、こっそりパワーストーンのお数珠みたいなブレスレットを持ち歩いていたりしていた本当の私。
いつも他人からどう見られるかを気にして生きてきた私にとって、「スピリチュアルに対して自分が持っているアレコレのバッドイメージを、自分にも持たれてしまうこと」は、死活問題でした。
本当はスピリチュアルと呼ばれるものにだって頼りたくなる時もある自分を、恥ずかしさのあまり、ひた隠しにしてきました。
そう。私は、正真正銘の“隠れむっつりスピリチュアル”だったのです。



しかし、今は晴れて、スピリチュアルが大好きだと公言できるようになりました。
なぜならば、スピリチュアルであることの本当の意味を知ることが出来たからです。
私は、自身の恋愛依存症を克服することを目的に、潜在意識が現実を創造する仕組みを学び、それから実際に自分の内側と向き合い、自ら恋愛依存症を克服しました。
この経験によって、自分が「これが私の現実だ」と認識しているあらゆる現象は、本当に自分の意識が反映されたものなんだということを、心の底から納得させられました。
それと同時に、“自分の内なる力”というのもを、まざまざと見せつけられました。本当に私たちには現実を創造する、“創造主”としてのすごい力があるんだって。
ポジティブに感じる現実もネガティブに感じる現実も、余すことなく自分の意識で創り出しているのならば、できる限りポジティブで幸せな現実を創造するにこしたことはないし、いよいよ死を迎える瞬間には、「ああ、楽しかった!もう、心残りは何一つない。胸を張って三途の川を渡るぜ!」と、おさらばしたい。
そうやって『十分に幸せに生き切ることが、スピリチュアルな生き方なんだ』と知った時に、スピリチュアルに生きることの方が、不幸な人生で終わるよりも数億倍も望ましいし、そういう幸せな人生を望むことって、極めて自然なことだよなぁと思ったのです。
だから、何も恥ずかしがることでもなければ、隠すことでもなかった。



他の章でも綴っている通り、私たちの潜在意識の中には、自らつくり出した思い込みや、その他にも親や学校教育によって植え付けられた様々な価値観や信念なども、たくさん存在しています。
それらは、ポジティブに働くこともあれば、時に生きづらいなぁというネガティブさに働きかけることもあります。
私たちは、もともと現実の創造主なのですから、そういうネガティブに感じる作用を及ぼす思い込みや信念や概念でさえ、自分の力でニュートラルに戻していくことが出来ますが、やはり私たち人間は、パワーに満ち溢れた時もあれば、落ち込んだり活気を失う時だってある。
そんな風に、私たちがどんな状態にあろうと、いつも見守ってくれたり、応援してくれたり、背中を押してくれたり、導いてくれたりするのが、神様だったり、ご先祖様だったり、その他の目には見えない存在だったりするのですよね。
また、私たちの内なるパワーを呼び起こしてくれる場所や物だって、確実に存在している。
そんなことを、実体験を通して、ドラマチックに、時にはコミカルに、私に示し教えてくれたのが、ここ神々が宿るバリ島だったのです。

『スピリチュアルに生きるとは、決してフワフワと浮き足立って生きるのではなく、しっかりと本来の自分自身と繋がり、自分を守ってくれている存在とも繋がり、最強無敵な状態で最高に幸せな人生を生き切る。』



これに尽きると思うのです。
こういったワタシ的スピリチュアル論に至るまでに、実際にバリ島で私に巻き起こった不思議なエピソードや、スピリチュアルな観点から見たバリ島の魅力について、これから綴っていきたいと思います。

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