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自己紹介
noteは記事を読むのと、ある方の配布物欲しさに登録して、記事を書くことはしていませんでしたが、交流を広める意味でも投稿を始めることにしました。
まずは自己紹介をしておきます。
2022年に還暦を迎えたニットデザイナーです。
1997年手編み師範の資格を取得後、手編み講師として活動を開始しました。
2019年にオリジナルバッグの講座を開講し、その際のブランド名として「Filierフィリエ」と付け、屋号も変更しました。
夫と2匹の猫と共に名古屋市内に在住しています。
26歳で結婚後、2年以上子供ができず、産婦人科である検査をするも「着床しにくい奇形」ということしかわからず。その後、不妊治療は考えずに、そのまま放棄。
パート勤務するも、30才を前にして何物でもない自分が嫌で習い事を始めました。
編み物が好きだったので、ニッター募集の広告に惹かれて編み物教室へ入会。
資格講座を勧められ日本編み物文化協会の手編み師範、機械編み指導員を取得。
ニットデザイナーの元で働き始めるが、交通事故と、ストレスによる鬱病発症でリタイヤ。
鬱病克服後、少しずつ仕事に復帰し、イオン直営手芸店パンドラハウスの派遣講師や視覚障害者デイサービスセンターなどで講師を務めてきました。
コロナ禍前までは編み物講師をメインとして活動していたため、多くいただく質問は「どうして編み物講師になったんですか?」でした。
ハンドメイド作家さんでよく目にするきっかけは趣味で作品作りをしているうちにママ友さんやご近所の方から教えて欲しいと言われて始めた・・・というもの。
私はまずそこから違っていました。
子供ができず、ご近所づきあいもほとんど無かったからです。
実は、私がハンドメイドで色々手がけてきたのは、仕事にしたいからではありませんでした。(爆弾発言!?)
編み物の資格の勉強をする前から
1.欲しくても売っていないものは作る
2.自分の体に合う既製品がない
3.単に作ることが楽しい
4.オンリーワンを身につける喜び
という理由があったからです。
師範まで進んだのは、上に書いたように、30才を前にして専業主婦でしかない、何物でもない自分が嫌で、自分の人生の中で、何か一つでも自信を持てるような芯になるものが欲しかったからなのです。
「手に職」とはよく聞く言葉ですが、知識や技術、経験は金銭などのように他者から奪われることがない、自分だけの財産になりますから。
それに、講師科を学んで講師の資格を得ても、基本の製図しか引けないため、自分がやりたいことは全くできなかったので、上の資格の勉強をすることにしました。
その過程で、出来るなら資格を活かして仕事にして行けたらと考えるようになるのに時間はかかりませんでした。
目標が無いと難しい挑戦に挫折してしまいそうだったからです。
趣味ならば自分が作りたいものだけ作っていられますが、仕事となると苦手だからと逃げられません。
更に、人様に教える立場であれば、広く知識を持っていないと、お伝えできないことがたくさんあると悟ることになったからです。
資格の勉強は、階段を上がるようなもの。
上がれば上がるほど視野が広くなり、多くの物が見えるようになり、自分が未熟であることを痛感することになります。
知れば知るほど、もっと深くなり、知識も経験も増えていく。
経験すればするほど、新しいアイデアも湧いてくる。
師範取得後に「自由に作れるようになった」と自信がついたのも課題をやりこなしたおかげです。
思い通りに作品作りをするのは、今でも難しく感じることはありますが、登山やマラソンのように、徐々に克服できるようになると信じて取り組んでいます。
長くなりました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
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