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叶わないこともあるけど。それはそれで良い。

親子の話。好きな、好きだった人の話。
※暗いの話なのですが。

かつて、とても私を愛してくれた人がいて、実際私も彼が好きでした。
でも、自ら身を引きました。
もちろん、本人には言わなかったのですが。
彼は好きだけど、私は彼の大切な家族を大切にしてあげられる自信がなかったから。
あのままもしも結婚したところで、おそらくあの時の私では幸せにもなれず幸せにしてあげることもできなかった。だから、後悔もない。
後に、彼が結婚したことを聞いて、私はほっとしました。ああ、幸せになれてよかったと。

私は、子供を産まないと決めています。
理由は一つではないのですが、一番大きいのは、私が親に愛された実感を持ったことがないから。
(念のため、言いますが、私の両親は愛してくれたと思います。大切にもしてくれました。ただそれが、私の望む形と違ったということ。)

私がそうであるように、恐らく私の母もその母親(つまり私の祖母)に愛された実感はなかったのかもしれません。単なる推測でしかないですが。
子供の頃の記憶が途切れ途切れの私でも、いくらかははっきりと覚えているようなこともあるのですが、割ときつい言い方をされてきたと思います。中高生のころ、私はとても母が怖かったのです。特に成績には厳しかった。でも、母はよく言ってました。
「私が子供の頃、あなたのおばあちゃんは、今の私よりずっと怖かったのよ」
おそらくそれはその通り。
私の時代にしては、母のやり方はキツかったし、同時に母の時代にも、祖母のやり方は、キツかったのだと思います。

また、父は父で、私に対してとてもキツかった。
これは、言えない、かけないレベルで苦笑。
(私は書くのも言うのも嫌ではないが、見る人が辛いと思うので書きません)

初めて好きな男性ができて、抱きしめてもらった時のことを今でもよく覚えています。
「なんでそんなに体に力入れてるの?嫌だった?」
って、聞かれました。
抱きしめてもらっても、どうしていいかわからないから、そのまま固まってたんです、私。
すごく嬉しかったけど、抱きしめられた経験がなくて、緊張してたんだと思う。高三の時の話ですけど。
私が覚えてないだけなのかもしれないけど、親に抱きしめてもらったという記憶がなくて。

そんなこんなでなかなか困難な幼少期を過ごしてきました。
婚約者がいたこともあったり、その方と別れたり、その後もいろいろと。。。中国では、多くの友人たちを失うような出来事もありました。(連絡がつかず、生きていたとしてもわからない状況という意味です)かれこれ15年経っても、わすれらないけど。

話が脱線しましたが。
私が子どもを産まないと決めているのは、自分のような、愛された実感の持てない子どもをこの世に送り出したくないからです。
パートナーの愛を受けて、そうならない可能性もなくはない。でも、ほんの1ミリでも自分の子どもがそう思う可能性があるなら、それは負わせたくない。だから、産む意思はありません。
親が愛してくれたことは、今ならとてもわかる。でも、だからといって、今に至っても愛されてる実感はもてません。


彼のことは今でも好きなんだろうなと思います。
10年くらい経って、再会する機会があって、すごくホッとしたのを覚えてます。

私には今、かつてないほど結婚したい人がいます。といっても、私が憧れてるだけで、現時点では縁もゆかりもありません。
ただ、なんとなく、いつか私が誰かと結婚することがあるとしたら、この人だけだろうなって思います。根拠もなく。

家族に恵まれていたのかどうかわからないし、とてつもなく辛いこともたくさんありましたが、その時々、本当にいろんな方に支えられてきました。その時々、どういうわけか、必要な助けをくれる人に出会ってきました。
私の性格の問題なのか、長く関係が続くような友人にはなかなか出会えてないけど、その時々必要とする方に出会えてきたことは私にとってはかけがえのないことです。


望めば叶うと思えるような生き方ではなかったけど、必要なものは必ず手にしてきたと思ってます。
仕事にしろ、人間関係にしろ、ご縁や運命に身を任せてきた結果、少なくとも後悔はない人生を歩んできました。
だから、希望は捨てない。叶うかどうかはわからない。でも、それが私の人生に必要ならばおそらくどこからかやってきて手に入る。そう思うのです。
その時々、これ以上なく懸命に生きてきた自負があります。だから、いつ死んでも後悔しないと言える。それは今も同じ。(ですが、、、真似しないでね。辛いから)

いつか、彼が私の人生と交わってくれたら、とても嬉しい。でも、もし交わらなかったとしても、それはそれでいい。それが、私が懸命に生きた結果だから。

できることならやりたかったということは、たくさんあった。でも、私にとってそれは必要なことではないから、やらずにきただけ。
私なりに懸命に生きた結果。
やれたらよかったけど、そもそもその選択肢が私の前にはなかっただけ。それは、私にとっての後悔ではない。
私にとっての後悔とは、やれたのにやらなかったこと。それは、一つもない。全ては私なりに考えて選んだ結果。だから、やれたのにやらなかったのではなく、やらないと決めたことなのです。
だから、私の人生に後悔はないのです。
楽しかった、戻りたい過去もないけど苦笑、いつも人生で1番幸せなのは、今現在という私の生き方を私は誇りに思います。


おわり。

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