物事を多角的に見ようとすること
=私が北京盧溝橋にある抗日戦争記念館で感じたこと=
私は今から2005年と2006年の2回、いずれも夏に抗日戦争記念館にいったことがある。
このタイミングで2回行ったことが、そして、それぞれのタイミングで見たものが、私の人生に与えた影響は大きく、だからこそできる、日中の架け橋的あり方というのがあるのかな、と最近思う。
※以下は、当時の記憶を元に書いています。
予めお断りしますが、この場所の展示は、その時々の国際情勢を色濃く反映してきました。良いか悪いかではなく、そういう存在だと私は思ってます。基本的に私が行った時の展示物を正確に記録しているようなものは公開されていないと思いますが、記憶違いもあるかもしれません。あるいは、ごく短期間で展示内容が変わっていたことも考えられます。ですから、もしかしたら、同じような時期に行ったどなたかの記憶とは異なるかもしれませんが、個人的には何が正解と言えるものはないと思います。後述の通り、歴史は人間の思考というフィルターありきの記述ですから。
私の歴史認識、あるいは、「相手には相手の立場があって然るべきで、それをとやかくいうべきではない」といった思考ぐせは、ここから始まったのかもしれないと思っている。
初回の2005年、短期留学で北京にいた私は引率者の案内でグループで行きました。
もともと平和に対してわりと意識が高い方だったかも知れず、この時点で日中の架け橋になろうと思っていた私には、ここは欠かせない場所だと思い、関心があった。
館内は自由観覧と言われ、性格もあって、端からみていった。
集合時間に戻ると、引率者にある場所を見たか?と、聞かれました。
とても広かったこともあり、私含め複数人が見ていなかった。
引率者は、「その場所を見なければ来た意味がないから、時間はあげるから今から見てきなさい。」と言った。
推測だが、ここは欠かさず見てこい、と言わなかったことには恐らく狙いがあった。あわよくば、自ら気づいて行って欲しかったのかなとも思うし、見たいところは見させたいという思いがあったかもしれない。
そして、私たちは、その場所に行った。(名前を書かないのは、とてつもなく衝撃的な名前だからです)
簡潔に言うと、そこは、「中国側の認識した、日本軍が中国人に与えた残酷なことを表現した場所」だった。とてもではないが、生涯口にできないようなものだった。それは、模型であったり写真であったり。
それ以前から私は「日本軍が何をしたかと言うことを知らずに架け橋にはなれないだろうな」という思いがあり、一般的な当時の日本人よりはよほど知識があった。日本側の言い分にも中国側からの言い分にも。
そこで見て、真っ先に感じたこと。
「歴史は、人がどう感じたかで、見え方が変わるし、結論も変わる」
そして、
「した側とされた側の言い分が合致することは、どんな戦争でも恐らくあり得ない」
ということ。
最後に、「少なくとも、中国人には、日本人がこうしたように見えた。それを、私は日本人として知らなくてはならない」と思った。
この時、引率者は教員だったのだが、戻ってきた私たちに「ここで感じたことは忘れないように」と言った。
だが、恐らく言われなくても私は忘れなかったと思う。かれこれ人生折り返し地点超えた頃だが、未だかつて、この時の衝撃を超えるものはない。
言われるまでもなく忘れられない。
一応書き添えるが、そこにあった写真も模型も証拠だと思ったわけではない。なんなら、写真は偽造かなと思ったりもした。
でも、私が重要視したのはそこじゃない。
「日本人がしたことが現実にしたことがどうであったにしろ、少なくとも、ここに表されているようなことが行なわれたと思った人がいたということ。中国人にそう思わせるに足りる何かを日本人がしたんだろうなということ。」
どんなに中国政府が盛るとしても?!、少なくともそこに日本人がいたことは間違いない。(と当時は双方が認識していた場所の話)
であれば、やった側とやられた側の言い分どちらかだけを信じるのはちがうかな?と思った。
身近な例にする。
いじめがありました。
そこには、いじめた側といじめられた側がいる。
まれには認識が一致することがあるかもしれないが、概ね、した側とされた側の言い分が一致することはない。喧嘩もそう。
規模が大きくなるけど、戦争も同じ構造だなと思った。
世界中どこの戦争もやってるもの同士は、双方とも相手が間違ってるという。被害があったとなれば、数値が違う。
この時私が痛烈に感じたのは、どちらが正しいか考えることに意味がないということ。
ではなく、必要なのは、私の国の側はこう思う。しかしながら、あなたの国の側からはそう見えたんだね。その違いを知ることにだけ意味があるのであって、解釈入らない。
所詮、歴史に記されていることは、現実を誰かの目で見た時にどう見えたか、を記したものでしかなく、真実でも事実でもない。(中国で中国の歴史をある人に聞いて、恥ずかしながら私は初めて気づいたのだが、その人によれば、だが、「正史」は「正確な歴史」ではなくあくまでも、時の政府が「正式に認めた歴史」でしかない。つまり政府が許可したというだけであって、正確かどうかは問われてない。「政府がそうだと思ったからお墨付きを与えてそのように記しました」以上。だから、正確だと思っていない、と言われたことがあってびっくりした苦笑。この歴史書が正しいとか間違ってるとは、なんて愚問な話なんだろうということ。)
頭を使いまくった翌年の夏、再び北京へきて、この時はまた違うメンバーで記念館へ。
これまたびっくり。
前年の展示は、「日本はこんなに酷いことをした」という展示だった。
この時は、一番目立つところにあったのは、、、江沢民と小泉純一郎(いずれも敬称略)の握手してる写真で、展示も一気に日中友好モード。
日本軍からの被害を訴える展示なんてあり得ない。館内全館、「日本よようこそ😊😊」モード。
前年とは違う強烈な衝撃苦笑。
館内の明るさ加減にびっくり🫢
でも、思った。
「私は去年を知っててよかった。」
少なくとも前年にここにきた中国人はそれを見たわけ。でも、今年初めて私がここに来たとしたら、その、中国人が知っている日本軍のイメージは、知らなかった。私は心底、当時は日中友好の役に立ちたいと思ってたので、前年に来て、あの場所を見せてくれた教員に今でも感謝してる。
この経験で、知ってるということの意味を知った。知らないことを想像することも大切、でも、知ったことにはならないし、知ってる人にはなれない。そこは勘違いしてはいけない。
私はその後、様々な形で日本人と中国人の橋渡し的な仕事を旅行業界でしてきたが、この経験で知った「想像したこと」と「知ってること」の違いは、財産だった。知らないことを知らないと言えるようになる大きなきっかけだったから。
「知らないから知りたい」という立場と「想像つくからある程度わかる」という立場では、相手から得られるものがちがう。「知らないから知りたい」人には人は素直に教えたくなる。ところが、「想像したことがあるからある程度わかる」ひとには心を閉ざすもの。良い悪いではなくて人間らしい反応。
多角的に見るのに必要なのは、冷静さに尽きる。
どこまでを自分が知っていて、どこから知らないのか、わかること。そして、それらをもとにして、論議的にかんがえること。
想像するのは悪いことじゃないし、いい効果もたくさんあると思うが、それをしっていることとして扱ってはいけない。それだけ。
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