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苦しかったことは、たくさんあったけど。

※写真はかつて私が撮った四川省阿壩藏族羌族自治州九寨溝の風景区内の写真 おそらく2007年ごろ

今現在、この地がどのような状況なのか、私は知らないのだが。この写真を撮った頃、ほぼ毎週のように行っていた場所である。
そして、もしかしたら、私が人生の最後に眺めた美しい景色になったかもしれない場所だったかも。

この辺り、広く言えば四川省というところは、山がちな地形も相まって、中国内地でもっとも地震の発生確率が高い地域の一つである。
そして、現代の中国人なら誰でも知ってる地震の起きた場所である。
そしてそれで、わたしは死んだかもしれず、今生きてないかもしれなかったのだが。
2008年5月12日、汶川大地震と中国で呼ばれる大地震があった。この時、日本では四川大地震と呼ばれました。
死者は七万人に迫るほどの被害者が出たのです。
汶川大地震、その日その瞬間、私はこの震源地付近にいるはずでした。そして、それ以前にこの地域に行ったことがある人にしか?わからないかもしれないけど、、、そこにいたら今はいないかもしれない。

この辺りは、昔ながらの古い建造物が多く残り、それでもすでにたくさんの人が住んでいる地域も比較的近くにあるような場所でした。
この当時、わたしはとある日本の旅行会社の社員添乗員でした。そして、部署内では珍しくこの地域に宿泊経験がありました。
外国人がイメージするホテルはありません。
あるのは、政府関係者が出張時に使う宿泊施設です。説明が難しいのですが、地方都市にある築50年以上のホテルみたいな感じ?でしょうか。←誰がわかるのだ?この例え爆笑。
旅館とビジネスホテルの中間というか。ビジネスホテルが世の中に出てくる前にできたホテルのイメージなんですが。

耐震という発想では作られていないのです、
あらゆる建物が。
そういうところで、マグニチュード8レベルの大地震が起きました。

この地震は、今に至ると日本人で知ってる人はそうはいないかもしれない。
理由はただ一つ、中国旅行が最高潮のブームであったが、この時ほとんどの日本人旅行者はここにはいなかったから。もしも、、、これが前年の同じ時期なら、、、相当数の日本人がいた。四川省にたくさんの日本人がもともといるはずでした。私もその中の1人でした。
この年の3月にチベットであの出来事がなかったなら、日本人の犠牲者は多かったかもしれない。
そして私は、助からなかったと思う。
というか、、、生死がわかればラッキーだったんだろうなとすら、思わなくもない。

チベットでとある出来事があった影響で、この年、チベット族が住んでいる地域への渡航は制限されました。結果として、この年の春から秋にかけてのこの辺りに行く日本人ツアーは、全面中止でした。
ちなみに、チベット族というのは、チベット自治区に住んでるだけではなく、それ以外の周辺の省内にもたくさんおり、それぞれが独自の文化を築いてきました。四川省の有名な観光地の一つ、九寨溝もまたチベット族の住む地域で、当時相当人気の地域です。この地域に陸路で行く時に通る道中周辺が震源地および最大の被害が出た地域です。この地震の後、数年に渡って、陸路は寸断されたままでした。
この時、私は陸路で回るツアーの添乗員としてツアーが催行確定していたので、あの3月にチベットでの出来事がなければ、、、ここで被災してたのです。
地震のニュースを聞いた瞬間から、しばらく後まで何も覚えてません。そして、その後行くことも今までなかった。
毎週会っていた現地の仕事仲間の生死も知らない。顔見知りがたくさんいて、行けば雑談するような間柄の人はたくさんいたけど、連絡先は知らないので、わかりようもない。
まあ、連絡先を知ってても連絡はつきませんが。


現地では、この日は防災の日になりました。
よって、いままでもこれからもこの日は防災の日としての報道がなされます。
忘れられない、忘れてはいけない日になりました。
そして、あれから今年は15年の節目。
この年(最初の北京夏季オリンピックの年です)、様々なことがあった年でした。
そしてその結果として私は生きています。
今この瞬間も。

この年を境に私の考え方は変わりました。
いつ死んでも良い、なんの後悔もしない、生き方がしたいと強く思うようになりました。
以来、私の判断基準は、
「今、この瞬間の、この選択をすることは、たとえ今死んでも後悔しない選択肢かどうか」
です。
「明日死ぬとしても、この選択肢を選びますか?」
と常に聞いてるような気分です。
決して楽な生き方ではない。
なんなら多くの人にとっては、辛すぎる生き方かもしれない。
でも、私にとっては大事なことです。
なぜなら、あの3月8日に多くの命が失われなければ、わたしは5月12日に地震に遭遇して死んでいたかもしれない。
失われた多くの命のためにも、後悔しない生き方をしたいと思うのです。
去年、たまたまウェイボーで見た記事があります。
それを見て、さらに思いは強くなりました。
15年前の地震の時に、救出され命を生き延びた少年が23歳だった去年、湖南省の山火事に消防隊として救援に参加し、殉死しました。彼は、今年2023年結婚する予定だったのです。
わずか9歳の時、救出されたことがきっかけで若くして救援隊となり、結婚目前の23歳で殉死したのです。
人生何が起こるかわからない。だから、懸命に行きたい。そういう意思がさらに強くなりました。幾多の苦難を乗り越えてきた私でも、このニュースはとても苦しかった。
人生何が起こるかわからない。
それを私自身、20代のこの頃に経験したので、この瞬間を無駄にできない、という思いが常にあります。

苦しいことはたくさんあった。
でも、確かに今、私は生きている。
だから、一所懸命に生きた昔の鎌倉武士のように、私もまた常に一生懸命生きていきたいと思うのです。

終わり。

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