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「終わらせる」について考えてみる

いけばなとビジネス・経営のつながりを考えるマイプロ。早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄先生から「終わらせる」というテーマをいただきました。

ここでは自分なりに「終わらせる」について書きながら考えてみたいと思います。

今ここにい続けると自ずと終わる

花をいけていると「これで終わり」という体の感覚がすとーんとやって来る時があります。これ以上足すものも引くものもない、という感覚。そしてそれはあくまで、その時の自分が持っている限られたリソース(時間、エネルギー、花材など)においての終わりであって、時間がたっぷりある、その日はいけばなのやる気に満ちている、もっとたくさんのお花を使える、となれば、まだ終わりとはならない。この瞬間の自分がこの花と向き合うことに関してはここで終わり、という意味での終わりです。

一方、いつ終わりにしていいかがよくわからなくなる時も当然あります。こっちを直したらなんかあっちも違う気がして、あっちを直したら今度はこっちが違ってくる…そして自分ももやもやしてきて花がよく見えなくなってくる。

微修正の積み上げではどこにも行けない、つまり終わらない、と気づいたら、そこで一度思い切って全部抜きます。ゼロに戻る。そして新たな気持ちで花と向き合い直しいけ直すと、案外ささっといけられて、「これで終わり」がやってくる。

これまた面白いところで、自分の中のもやもやが大きくなりすぎると、今度は全部抜いてゼロに立ち戻ることすらできなくなるのです。こんなに苦労していけているんだから抜くなんてもったいないと過去に固執し、こんなに苦労しているんだからきっとなんとかなるはずと未来に期待する。そういう思いが頭を支配し、体が感じている違和感をブロックしようとするみたいです。そして作品はますますどことなくばらばらになっていく。

頭ではなく体で花と向き合い切った時には、終わりの感覚は自然とやってきて、だからちゃんと終わらせられる。自分がもやもやして過去に止まったり未来に逃げたりすると、終わりの感覚ももやもや、ぼうやりしてくる。これで終わり、まで辿り着けない。だから終わらせることもできない。

「今ここにい続ける」と自ずと「終わらせる」がやってくる、ということなのかも。

まだ終わっていない、を悩みながら伝える

IKERUの場に来てくださった方がどこで「これで終わり」にするのか、そこへの自分の関わり方については毎回悩んでいます。

例えば、花をいけているご本人は納得して「これで終わり」の感覚を持っているけれど、私からみるとまだ終わっていないと感じる時、その作品からは「終わってないよ」という声を私が聞いた時にどうするのか。その人の終わりの感覚を大切にして何も言わないのか、まだ終わっていないという私の感覚を伝えるのか。

「これで終わり」というのは、その時にその人が花をいけることにかけられるリソース(時間、エネルギー、花材など)においてそこで終わり、という限定的なものです。もうちょっとの集中力、まだ残っているお花、あと少しの時間など、まだそこにあるリソースを使えばもっと行ける、その結果作品もよくなるだろうな、と思う時があります。

その時は、「まだ終わっていないのでは」という私の感覚を伝えることが多いです。もうちょっとだけ踏ん張る、終わりを少し引き伸ばすことで、さらに豊かな世界が目の前に開けるはず、と。

「これで終わり」に向かえるように道を整える

一方、私もよく入り込む「こっちを直したらなんかあっちも違う気がして、あっちを直したら今度はこっちが違ってくる」ループの中にいる方、つまりそのままやっていても終わらないかも、という方には、試しに「全部抜いてみたら」と言ってみます。

とはいえここで「はい、そうですね」と全部抜く方はそうはいらっしゃらず、その場合はその方の作品の流れを一番見えづらくしている花が何かを見極めて、それを抜いてみます。作品側のもやもやを減らすと、いけている側のもやもやも減り、花と体ごと向き合いやすくなるから。

「これで終わり」に向けて、今ここにい続けられるように、道を少し整える手助けをする、といった感じでしょうか。

あとは、終わっているのに終わらせられない、という状態にある方もいらっしゃいます。ご本人も終わっているのはわかっている、でもなんか不安だからちょこちょこ足したり引いたりしている。そういう時は、さっと拝見させてもらい、本来そこで終わっているよね、というところまで作品を戻して、ご自身の感覚を信じていいことをお伝えしています。

終わらせることで始まる

今ここにい続けながら真摯に向き合う。そうすると自ずと「これで終わり」がやってくる。やってきたら、自分の感覚を信じてそこでちゃんと終わらせる。

いけばなという限定された空間・時間の中であってもそこで「終わらせる」を繰り返していくことで、終わりの感覚の精度とその感覚への信頼の両方が上がっていく、というのはもしかしてあるのかもしれないなあ、と思います。そうするといけばなを超えて人生のいろんな局面で、本当はもう終わっていることを「終わらせる」ができるようになる、かもしれません。

そして、終わらせることで初めて生まれる新たな流れがある。それは終わらせてみないと立ち現れない、今の自分の想像を超えた世界。

とか書いてますが、いけばなの叡智を日々の中で実践しそれ自体を生きる、というのはそんな簡単なことではありません。私自身、いけばなの叡智の素晴らしさを語りながら自分は全くそれを生きていないことにようやっと気づいた、ぐらいのところにいます。

今回、入山先生とのいけばな・対談からいただいた「終わらせる」ということへの気づき。このギフトを大切に、今ここにい続け、終わりの感覚がやってきたら終わらせる、ということに、少し気持ちを向けて、これから生きてみたいと思います。





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