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どうしようもなくなって一枚ずつ脱いだあとに出てきたちっちゃいアレ


辛かったー、苦しかたったー、でもやりきった。

2月末までのリサーチの仕事おわり。一区切り。実は英語レビューまだ続いてますが、まずは一旦まるを打つために、自分自身のための振り返り。

お仕事概要についてはこちらに

めちゃくちゃ苦しかった。つらかった。失敗ばっかり。自分の中に森を持ってそれでも前に進んでいくチャレンジだったけど、まったくもってできなかった。

口癖は、出川テツロー並みのやばいよやばいよで、2日に一回はおえって空気を吸ってはえずいてた。6ヶ月間のうち、5ヶ月3週間は不安と恐れとなにか大きな壁にぶち当たってる感じで、常に満身創痍。心ここに在らず。社会人としてのキホン「来たメールを返信する」ということもできなくなっていた。失礼極まりなかった。そして、いがいがしている心が発する言葉は刃だらけで大切な人もたくさん傷つけた。

でも、最後の1週間、わーっと無心になった瞬間があった。フロー状態だったのかも。書き始めたら、なぜこれを早くやらなかったのだろうかというくらいの勢いでエネルギーに満ちた瞬間があった。それは、一つづつ自分のやりたい、理想を脱ぎ捨てていく感じだった。

もともとは、サーキュラーファッションの方向性を描きたい、それを中心に対話したい、日欧の架け橋になりたい、なんて。
そう思ってた、自分はもういなかった。できないけどいい、どうしようもなくて、どうしようもない自分だけど、やりたいことなんて何一つ実現されないけど、まずは終わらそうと一枚一枚脱いでいった。
そう、いわば、バーチャル野球拳。負けまくり、脱ぎ捨てた。

自分の言葉を紡ぎたかった


振り返りに際して、まずは、そもそも、なぜこの仕事をとってきたのかというところにたち戻ってみる。私はこの仕事を通してなにに挑戦したかったのか。

いつも誰かの靴を履いて、意見を持っている人のいうことや、自分の外側の世界を正解だと思い、それを具現化していくことをやっていた気がしてて。

そうじゃない世界をみたかった。
自分で言葉を紡いでみたかった。
自分の内側からでる言葉がなにかを知りたかった。そして、自分が渦の中心となり、誰かを巻き込み、波紋を起こしてみたかった。
ファッションや繊維の知識はなかったけれど、自分のライフパーパスであり、心が躍っちゃうサステナブル、サーキュラーの文脈で学びを深めたかった。

始めた頃の私はこちら


紡いでも紡いでも薄っぺらい自分

それで、自分の言葉が紡げたの?と聞かれたら

うん、できた。

と言える。途中、仲間を募りながら、失敗して、また募って失敗してということを繰り返し、頼りになる人に依存しかけるも、いやそういうことがやりたかったんじゃないと思い直し、苦しみ、情報をあつめては、どう繋げるかもがき、また苦しんだ。ただの、かき集めた言葉だったかもしれないけど、それは確かに私が言いたかったことだった。
最初は頭の中が情報でいっぱいで繋ぎ合わせることに苦しんだ。
書けば書くほど、涙がでた。何もない自分。絞り出しても薄っぺらい言葉しか出てこなかった。でもそれでも絞り出して、それぞれが繋がらなくても、まずは要素、出したい言葉たちを出していった。
毎日、自分に失望した。そんなもんだよって、横で夫が慰めてくれて、それが日々ルーティン化されてた。

それでも、最後には出し切ったものを、壁打ちしてきてくれた心の友のじゅんさんやじゅんさん、信頼する大田先生、大尊敬のやすさんなどなど、理解あり余裕ある大人たちに挑戦を見守っていただき、恥ずかしくも、中途半端なものをみせながら繋げていった。

泣けるほど嬉しかったメンバーの転職


そんな苦しみの中一番嬉しかったこと、良かったことがある。それは一緒にリサーチをやってくれた友人がこの仕事の途中で転職を決めたのだ。
アパレルブランドの店舗マネージャーとしてバリバリ働いてる彼女は、ファッションの環境負荷や循環について調べていくうちに、もともと疑問をもっていたことが自身のなかで膨らみ、より環境意識の高いファッションブランドへの転職を試みたのだ。

めちゃくちゃ嬉しかった。

私がひたすら苦しみ進んでる横でなにかしらの波紋を受けてくれてた人がいた。それだけで、もうこのチャレンジは成功だった。

常日頃、思ってることがある。
人が人を変化させることなんて難しい。私が他者に影響を及ぼすことなんて、意図してできるものでもない。ただ、願っているのは、一人一人がそれぞれの考える幸せに向かっていること。誰かが巻き起こすエネルギーやあり方に誰かが引っ張られて自然に変化していくことだった。それには巷に流行ってる問いの技術やなんやらなんて必要ない。私がただひたすら私である、つまりは私が思い悩み続け、自分の願う世界を少しでも体現し続けることでしか、周囲は変化しないのではないかと。それもほんの少しの変化でもいい。それしかないのだと。

彼女の転職は、それを体感覚で心震わせてくれた、本当の私の成功体験だった。
あらためて、感謝しかない、ありがとう....

書きたいと書くべきの間にハマる


一方で、いま私はかなり疲れ果てている。終わって2ヶ月経って力尽きている。なにがこんなに抜け殻な干からびた自分になっているのか理由を考えてみた。

面白いことに、最初の読み手が誰かを考えていなかったことが原因だった。そんなことある?と思われるかもしれないけど、あるのだ。私はそんなおっちょこちょいな人だ。
このレポート、日欧産業協力センターという、経産省と欧州委員会のジョイベン組織から委託をうけてたのだけど、途中からレポート自体は100%欧州委員会からの出資だと知った。
日本のファッションや繊維の循環を描きたい、それが日本の活性化につながってほしいという思いと、本来の読み手である欧州中小企業が求めてる情報、日本のマーケットにどう入り込めるのかその入り口を伝えるというその二つをどう繋げたらよいのかが難しかった。

結局どう解決したのか?と聞かれたら、解決してない。
手放した。欧州が求めてる内容になったかどうかは、知らない。
そもそも協業の順序でいえば、まずは1.自分達の強みを知る→2.強みと相手の強みを掛け合わせるというのが妥当な流れだとおもうが、1で力尽きたというのが正しい表現だろうか。もうそれでしかたない。
半年で何かを形にすること自体が難しかったということだ。まる!。(開き直り)


安宅さん、イシューからはじめよは難しいです

振り返りの際、良い問いを出してもらった。
「これをもう一度イチからやるとしたら、まゆさんならどうしますか?」
最後の最後にやっと見えた私なりのインサイト、これがどうやったら仮説ベースでも序盤にでてきてたら、より深く遠くへいけたのかもしれない、そしてこんな不安だらけの日々ではなく心地よい緊張のなかでパフォーマンスをだせたのではないか。

振り返りながら思い出した本。
イシューから始めよ。この本よ。伝説の本。
大事だと思ってたよ。読んでたよ、もちろん。飛ばしながらだけど、読み返したよ。でも、むずかしい。
出したと思ったイシューはイシューじゃなかった。頭の中にぐるぐるしてるただのふわふわした言葉だった。解像度が全く上がらなかった。

全部書いて最後の週でみえたやっとの小さな私のインサイト。これは、やっぱり最初から頭の中で描くのではなく、コツコツ書いてぶつけていくしかなかったのかなと思う。要素でも書く。カクカクカク。形にすることでより手触り感が出てくる。頭の中でぐるぐるしない。これは私にとっての一番の課題だ。

チームの方々からの声もまさにこれだった。
自分のやってることが全体像のどこにあるのかわからなかった。
走ってる方向がよくわからなかった。他のメンバーの動きももっと繋がりをもてたらサポートしあえることがあった、など。チームで描く上で全体像、アウトラインをエクセル、パワポ、あらゆる方向で描いてみるも、全く伝わってなかった。そりゃそうだ。私自身が解像度を上げながら走れていなかったのだから。チームで走るのにイシューから始める、大事なんですね、安宅さん。

痛みを持っても一回読んでみるこの本の染み度は違うだろう。(まだ読んでない)


寝技に持ち込む腕力と終わりかた

この仕事を通してみえた自分の強みの一つがあった。

やりきること。

全然だめでも、やりきる腕力はあった。柔道で寝技にもちこんで時間一杯まで腕力で抑えて粘り勝ちする、そんな姿を自分にみた。

象使いを無理くり使って、ふらふらしてる象さんを最後の1週間でねじ伏せた。期限内に何かをやり切ることって、お金をいただく仕事と言われるものには当たり前についてきたモノだけど、象さんをより自由にしてあげたいと思ってきたここ数年の中でこんなに象使いの腕力でのりきったのは久々だった。

このやりきる力ってどこでついたのかな?って振り返ると、母になって培ったものだった。子供を育てる上で命を放棄できない。どんなに発狂しても、どんなに寝不足でも、力がつきても、一生懸命、うまれてきたばかりの命と向き合ってきた。
これが強みになってたんだなぁと思った。

結局、愛しかない仕事だったということ

振り返りながら、落胆としょんぼりしっぱなしで消えてしまいそうな私。これは、もしや、1人で自分劇場を演じて疲れて、落ち込んでるんだけなのか?と自問自答が始まる。

いや、そうではないのだ。

どんなにでてきたものが期待通りじゃなくても、挑戦してきたことがすべてうまくいかなくても、一人一人出会ってきた人がいる。広がった世界がある。

ファッションに、繊維の業界に熱い思いを持って取り組んできた人に会えた。廃棄の業界で、循環を作ろうと一生懸命な人がいた。それぞれの分野で不安と怒りに燃える人、新しい活路を見出そうとチャレンジをし続ける人、立ち上がる人、だからこそ淡々と自分たちのやるべきことをやる人。あらゆる専門家の方々のお話を聞いて心震えた私がいる。何かしらの期待を込めて、私に人をつないでくださった人もいる。ファッションや繊維のことを何も知らなかったところから、世界が自分ごとになってきた。これはよちよち歩きのほんの初めの小さな一歩なんだ。

多くの方々の愛によってこの6ヶ月間がつくられていたのは間違いなく、自己肯定感ダダ下がりの今だけど、助けてくれた人、託してくれた人がいたことをなかったことにはしてはいけないよと、愛のある友人が諭してくれた。ほんとそうだ。自分に矢印ばかりが向いてたら気づかなかった温かい愛の世界がみえた。
ほんと書きながら涙出る。半年間つらくたのしく心震える体験だった。

そんなしょんぼりちっちゃくなった私にハグ。おつかれさま、私。
助けてくださったみなさま、思いを寄せてくださったみなさま、ありがとうございました。

生かされてることに感謝を込めて。


追伸:やはり私は戦略と実行の間の人なので、これを絵に描いた餅にするのではなく長い人生を以て実行していくことになるのだろうと思う。

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