転職は日本経済を救う06 1994年 「自分のように相続で苦しむ人をなくすために税理士になる」ことを決意する

【知識】

土地を担保に借金し株を買い、その株を担保にさらに株を信用買いしていた父が日経平均のピーク期間に急死して、遺族である私たちは日経平均が半分になる中、また株は上がるだろうと思い込んで延納した。
しかし株は上がるどころか低迷する一方。延納する元手となる株がどんどん減り、政府の救済措置で住まいの底地の物納で何とかしのいだ、というとてつもない経験をした30代前半の私。
自営業だった父の影響もあり、会社員であることに対する危機感は漠然とは持っていたものの、今回の相続は堪えた。
このままではいかん、と痛感した。
法律の知識さえあれば、1990年10月、株式を物納してきれいさっぱり相続税とはおさらばできた。
それを知らず、株価が上がることを祈って、別の知識で得た延納を選んでしまった。
結果毎回の支払いのたび冷や冷やはらはらし、国の救済措置で物納でやっと相続税からは逃れたもの、今度は借地住まいで地代を払う羽目になった。
知識が生活を変えてしまうことをまざまざと知ったのだ。

そこで思った。税理士になろう。税理士になって、自分のように知識がないばかりに無駄な苦労をする人間を減らそう、なくそう、そう思った。
税理士になれば、こうした相続だけではなく、自分がもともと志向していた企業の社長のコンサルのようなこともできるではないか。

でも、どうすれば税理士になれるのか、わからなかった。

【会社の同僚にTAC税理士講座を教えてもらう】

当時はインターネットなどまだない。
税理士になるための方法を調べるには、まずは本で調べるしかない。
仕事にかまけてぐずぐずしていたら、たまたま会社の同じ部署の同僚から教えてもらうことができた。
この同僚、北海道採用だったのだが、本社に引っ張られてきた2年先輩。
博学で語り口も学者っぽく、北海道の資産家の跡取りということもあり、目立っていた。
通勤に歩きを増やし始めていたころで、両国住まいの彼と同じ方向に歩いていて、
相続で苦労した話などしたところ、
「自分は将来税理士事務所を作るために税理士講座で学んでいる。一緒に学ばないか?」
と誘われたのだ。
そしていきなり、当時彼が学習中だった酒税法の知識をバンバン聴かされた。
これで一気に自分の方向性が現実化、具体化した。
税理士の勉強を始めることとなった。
大学時代、友人がダブルスクール、公認会計士を目指すための専門学校としてうっすら知っていたTACの通信教育で学ぶこととなった。

誕生日を過ぎて私は33歳、長女はまだ2歳だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?