幸せの象徴、さんま
女子校というのは大変特殊な環境である。男子の視線を気にせず(もちろん男性の先生は眼中にはない)、しかし男子に何一つ頼ることなく生活することにより、自分たちが世界の中心にいるような強烈な自我が生まれていく。私はそんな環境にしばらくの間身を置いていた(濁して書いているが深い意味はない、ちゃんと卒業した)
私は早熟で体の成長も早く、小学校ではクラスを牽引する存在だった。今思えばただ人より成長が早かっただけで、そんな目立つ性格も実力も長くは続かなかったのだが。背も高く、三年生や四年生の頃はクラスで一番足が速かった。そんな私に、四年生で担任だった先生が言った。これから先、男の子に追い抜かれる時が来る、と。その言葉の通り、五年生になると早々に声変わりした男子に徒競走のタイムで負けるようになった。それからは、何をどうやっても追いつくことはなく、差は広がるばかりだった。自分の体は段々女性らしくなり重くなっていく。こういうことか、と思い知った頃には小学校卒業を迎えていた。
進学し男子がいない環境にはなったが、何となくの劣等感を引きずったまま学生生活をスタートさせた。周りは成績優秀者ばかり、ぼんやりしていた劣等感は、卒業するころにはくっきりとその姿を現わしていた。大学で男性のいる環境に戻ると、所詮は何も男性に敵わないんだな、という確信を得るのみだった。
そういう暗い話はさておき、中高時代は楽しかった。女子校ならではだと思う場面は色々あるが、今でも覚えているのが修学旅行のお風呂。当時古典で、生理のことを「物忌み」と言うことを習ったばかりで、物忌みの人は最後に入ってくださ~いと盛大にアナウンスされて誰も彼も大爆笑だった。女子校じゃないと有り得ない光景だ。
目には目を、気が強い女子には気が強い先生を、ということなのか、先生達も一筋縄ではいかない曲者揃いであった。調理実習のメニューになぜかニョッキをチョイスする家庭科の先生。恐らく高校の数学で一番大事な積分をすっ飛ばす数学の先生。いかにも体調が悪そうな黒い顔をしている世界史の先生…
その日は、強烈な存在感を放つ音楽の先生の結婚報告会だった。どんな流れでそうなったのかは覚えていないが、修学旅行の時だったような気もするし違う気もする。とにかく大きな部屋に生徒が集まり、先生が今度結婚します、という話をしていた。当然誰かが馴れ初めやプロポーズについて聞いたと思うのだが、先生が嬉しそうに話した内容は、「ある日相手の人がうちに来て、七輪でさんまを焼いたの。その姿を見て、こうやってこの人とずっと一緒にいるのかなと自然と思ったのがきっかけ」ということだった。その、特別ではない日常の風景に、まだ結婚なんて全く遠い世界だった10代の私はとても驚いた。そんな風にして結婚って決めるんだ、と。そしてそれから、さんまは私にとって幸せの象徴となった。自分の結婚はそうはいかなかったが、今でもさんまを見るとあの先生のことを思い出す。
その先生が言っていたことで、もう一つ今でも覚えていることがある。自分は自分以外にはなれない、というもの。先生は音楽の授業で、蝶々夫人というオペラ作品を見せてくれた。日本髪を結う外国人、日本の解釈を完全に間違えたおかしな表現も多く、ただでさえ箸が転げてもおかしい思春期の私たちは笑い転げながら見ていた。上映が終わると先生は真面目な顔をし、今みんなどうして笑っていたの?と聞いた。おかしかった、変だった、という声が飛び交う中、先生は落ち着いた声で、アジアの人が本場のオペラをやっても、同じように見られるの。と言った。いくら歌がうまくても、見た目がアジア人というだけで向こうの人はおかしく感じる。自分は生まれたもの以外になることはできないんだと。先生は音楽を学んでいく中、たくさんの悔しい場面があったんだろう。実力があればそれでよい、というのは綺麗ごとだと思い知ったことが何度もあったんだろう。差別や偏見を無くそうとは言われているが現実はそんなに甘くない。自分の環境に甘んじろということではなく、何かうまく行かなかった時に、全て自分が悪いのではなく、自分の力ではどうにもならないこともある、ってことを言いたかったんじゃないかと自分なりに捉えている。
ふとした言葉が誰かの心にずっと残っていることがある。そんなことを積み重ねながら、人生は進んでいく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?