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食べない娘

今日は雨が降る予報だったのか、そもそも天気予報を見たかどうかすら覚えていないが、朝勤務を始めて目を上げると、窓の外は雨だった。今日は娘の幼稚園でサツマイモ堀りに行く予定で、朝長靴を持って嬉しそうに出かけて行った。家を出る時は降っていなかったのに。教室で、あーあ、と残念がる娘を想像してなんだかかわいそうに思えてきて、気持ちが落ち込んでしまった。サツマイモをたくさん取ってきてくれたら、スイートポテトを作ってあげる。朝ご飯を食べながら、スイートポテトのレシピ動画を一緒に見てそう話していたのでなおさらだ。

娘が小さかった頃は、食事を楽しみにしてくれるようになるなんて、私が作った食べ物を楽しみにしてくれるようになるなんて、まったく想像ができなかった。娘はいわゆる極端な「食べない子供」だった。食事を出すと、泣き出す。牛乳だけ飲んでおしまい。食事を出すのも怖くなり、満腹中枢がいかれているんじゃないかと心配した。(朝晩牛乳しか飲まない時期があったせいで、人は牛乳だけでもある程度成長する、と実証された)

食べるようになった今ではあまり思い出せないが、いくつか要因と思われる点はあった。まず、特に食べることに関しては、人一倍警戒心が強かった。初めて見るものは、一切口にしなかった。それが甘いものだったとしても、ココアだったとしても。野生として生きていたら、非常に優秀である。変なものを食べて死ぬリスクは低い。(と言いつつ2歳くらいの時に、行列を作って歩いているアリをひょいとつまんで食べたことがあって衝撃だった。「やってみたい」ということがあればすべてを飛び越える、というのも娘の大きな特徴だ。つまり前述のリスクはプラスマイナス0になる。いやむしろリスクあり、のほうに傾くか)しかし娘が生きるのは人間界。あまりに警戒心が強いため、白いご飯と、中身が同じように見える味噌汁(でもある日小松菜を入れたら、毒の葉っぱが入ってる、としくしく泣きだし、私の心も病んだ)、そしてたまたま食べてくれたにんじんしりしりというマニアックな組み合わせを何日も続けることになったりした。そして、これは私が大いに反省すべき点なのだけど、私からの「食べてね」の圧が相当強かったんじゃないかと思う。もちろんこちらにはそのつもりはない。ただ、足元にしがみつかれた状態で必死に食事を準備し、やっとの思いで食卓に座らせると、出されたものを見て泣き出したり、時にはひっくり返されたりした。いつしか、今日は食べてくれるだろうか、と心配そうに見守っているつもりが、まさか食べないなんてことないよね?と目を光らせて監視している、という状況になってしまっていた。ご飯を作っていて構ってくれない、その作ったものはそれほど食べたくない、ママがなんか怒ってこっちを見ている、というすべてのサイクルが嫌だったんだな、と今なら思える。当時も何となくわかってはいたけど、解決策はなかった。出来合いの物を買えばいいじゃん、と言われるかもしれないけど、それも食べなかった。あまりにも食べないので、せめて食べると言ってくれた時のために、と料理をやめることもできなかった。

ねえねえ今日のご飯何?と、夕食を話題にしてくれるようになったのも、4歳半を過ぎたここ1年くらいのことだ。今でも初めて見るものは警戒するけど、「一口食べてみて、嫌いならやめるといいよ」と言えば挑戦してくれる。おなかすいた、と言ってくるようになったのも最近で、食べなかった頃はそんな言葉一切聞かなかったし、ご飯一口と牛乳だけで何も言わないのは異常なんじゃないかとものすごく心配した。

育児をしていると、後になってわかることがほとんどだ、と思う。あの頃は、本当にご飯がいらなかったのかもしれない。自然に食べるものだけ食べてもらって、あとは何も言わない、で良かったんだと思う。でも当時は、80の服を永遠に着るんじゃないかというくらいに体も大きくならなかったし、食べないことを保育園の先生にもたびたび指摘されたりして、そのうち大きくなるからいいや、とはとても思えなかった。そのため、ママのご飯おいしいありがとう、と娘から言われるたびに、他の人にはない新鮮で壮大な感動と感慨を毎回感じるし、後から颯爽と登場した息子が、ミョウガの酢の物や明太子や梅干を欲しがるのを見て、子供のバリエーションって果てしない、と深く感じるのだった。

いまさらながら晴れてきた。雨雲がもっと早く、またはもっと遅く来ればよかったのにな。スイートポテトを食べて喜ぶ娘の顔が、見たかったなあ。

写真は2歳ごろ、初めて夕食を完食したときのものです。忘れられない夕食。にんじんしりしりの形跡がありますね…。

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