花日和 紫陽花
紫陽花が、色褪せはじめた。
紫陽花は、終わり方がしぶとい。
だんだんと色が抜けて
茶色く、しなしなになって
枯れ果てるまでそこにいる。
散り際が潔い桜と真反対だなあ…
とよく思ったものだ。
紫陽花は好きだけど、
その枯れ果てた姿を少し見苦しいと思って
紫陽花が色褪せはじめると
私は目を逸らすようになるのが常だった。
なんだか、私の未来のようだと思うのだ。
私は、本当は、桜のように美しいまま散る、潔い人間になりたかった。
けど、それは自分の性格からして無理だなあ、と割と早くから思っていた。
だから、色褪せた紫陽花をみると、私は汚くてもしぶとく居座る側の人間なんだと、何となく諦めにも似た気持ちが思い起こされたのだ。
そんな季節が今年もまたやってきて、紫陽花から視線を逸らし始めた或る日。
インスタをボーッと眺めていたら
少し褪せた紫陽花の写真と一緒に
「朽ちてきた色も素敵だよね」
という言葉をみつけて驚いた。
さらには、最近「秋色あじさい」という名前で、色褪せた紫陽花が売られているらしい。
そんなオシャレな…と画像検索した写真たちを見て、思い出した。
去年のドイツ旅行で、私はこの秋色あじさいに出逢っている。
シャビー風のインテリアとかにピッタリであろう、オシャレなドライフラワーの紫陽花。
ドイツの花屋で、とてつもなく素敵だと感じて写真を撮った覚えがある。
私は慌ててカメラロールを探した。
もしかしてコレか。コレのことなのか。
コレは、色褪せた紫陽花だったのか。
この紫陽花を見たとき、私は色褪せたと思わなかった。
カラフルだな、と。
そう思ったはずだ。
色が褪せることで、カラフルになっていたなんて。
もしかしたら、
30歳になって、仕事を辞めた私も
色褪せていく過程で、こんなふうにカラフルになれるんだろうか。
だとしたら、
私は紫陽花でいい。
紫陽花のほうがいい。
今年の紫陽花からは、
目を逸らさずにいよう。
褪せていく日々がカラフルであるといい。