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2020.7.12(魔法がある)
6時。学校がないと早起きになる。体が土日を知っている。朝しかひとりのチャンスはないぞと。久しぶりに雨じゃないのでリネン類を洗濯。待ってました。note整理。本の感想も少し残しておく。配信ライブをどうするか考え中。家で気軽に参加できるとはいえリアルタイムでは無理そうでそうなるとどうなのかと。『児童文学論』『子どもの本のよあけ』を読む。この2冊は毎日少しずつ読むことにする。子がオンラインでアトリエ。オンラインだと子どもたちが好き勝手にベラベラ喋るからまあうるさい。終始苦笑い。横で本を読もうと思ったが無理な話だった。『秘密の花園』読了。やっぱり子どもは強い。みんなそうやって生きてきたんだものね。そしてやっぱりそこには見守る大人がいた。児童文学を読むたびに大人の役割を思い知らされる。「ぼくのなかには魔法がある」「おおきくていいもの」。なんて素敵な。子と本屋。車を運転しながら子としゃべる道中が楽しかったりする。私の探す本はなかった。子は攻略本を買う。それは本というかもはやゲームではないのか?そういう理由で自分で500円だけ払わせる。お風呂前にUNOをする。昔一緒に働いていた人からランチの誘いがきた。でもコロナだし無職だし子が早く帰ってくるし悩んだ末に断った。今の自分には無理だった。やりとり中に自分の悪いところが出て後からモヤモヤ。気にする。消えない。抱えるしかない。ネガティブ・ケイパビリティだって。『みがけば光る』を読んで寝る。今日は涼しい。
●読んだ本 子どもの本のよあけ、児童文学論、みがけば光る
●読了本『秘密の花園』自然は「おおきくていいもの」。子どもは強い。大きくならずにはいられない。大人だってちょっと前は子どもだったはずなのに。児童文学が大人に問いかける。何が大事なんだろう。大事なことを忘れていない大人がベンでありディッコンのお母さんなのか。「ぼくのなかには魔法がある」。私の中にもきっとある。
朝 なめたけたまごごはん
昼 焼きそば少し、おにぎり、トマト
おやつ 水ようかん
夜 麻婆茄子、冷奴、ごぼう唐揚げ