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ダンスってこんなに狭いのか?

どうも、とあるダンサーです。

私、実は1月から2月にかけてヨーロッパにダンス修行にいっていたのですが、そこで私の頭がいかれたのか、それとも自由になったとでもいえようか、よくわかりませんが、

今、指導していて、すごく違和感を感じることがあります、

1,鏡に向かって先生を筆頭にクラスを行わないといけないこと
2,自分で考えるパートがすごい苦手な人があまりにも多すぎること
3,そして何が正解か、不正解かをすぐに探ること


帰国後すぐに入った自身のクラスで、私は少し葛藤を覚えていました。

私がいない間、クラスは代行だったのですが、大学生が代行をしてくれていました。大学生が行ってくれる鏡に向かって彼らが振りつたダンスをすることにめちゃめちゃイキイキするメンバーに。。

私の普段のクラスはハウスダンスをベースにクラスを作っています。
ハウスダンスは非常に自由だし、ソーシャルダンスの一環であると私は認識しているし、私はそれをNYで見てきました。
私自身、その音に合わせて、自分で瞬間的に踊りを作っていく要素に大惚れしたダンスです。


この自分を表現する踊り、先生にどの動きが正しいのか、振りの正解、不正解なんて関係ないのです。

ただ、いつも教えて思うのは、やっぱり日本だと振付のクラスが盛り上がる、、
もはや震災や、災害を生き抜いてきた日本人のDNAにみんなと合わせて生きていくという哲学が、組み込まれているのかな?と思うほどです、自分を主張するよりも、人と合わせる。。
そういう種族なのかな。。。

そういえば、昔バルセロナでちらっとダンスワークショップを担当した時、少しでも振りをいれようものなら、みんな腐りきったようにつまらなさそうにしていた。。

でも話を戻すと、おもうのは、どっちにしろダンスってまだこんなにも狭いイメージしかないんだな~ということです。

もちろん、決められた振りを鏡に向かって、ただただ正しく踊る踊りを責めるつもりもないし、それはそれの良さもあるし、私も通ってきたのでその楽しさはわかるけど。

踊るって?、ダンスするって?と私は毎回思います。

もちろん全員が自由に踊るのは難しいかもしれない、性格とか、それぞれの生経験もあるけど、
毎回毎回、クラスを指導してて、自由に踊るってなった瞬間や鏡と違う方向で踊ってみようとなった瞬間、全員の顔がこわばる。。

なぜ、みんなこんなに一緒なのか。。

もっといろんな人がいてもいいのにな~と、まだまだ、ダンスのイメージが狭いだけなのか、それとももう種族的、文化的にそうなのか、、私もわかりませんが。。半分諦めつつも、この中から何を生み出していくべきなのかを毎日問うております。。

ただ、私はこのスタイルでしか入れないので、私はみんなの顔がこわばろうと、このスタイルを続けていきたいし、きっと日本にももっと自分自由に表現したいという人も隠れていると思うので、私らしく続けていこうと思います。






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