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終活について考える

昨年病気で手術したこともあるし、若くしてなくなった方などを見て、何というか今日は自分のお葬式について考えていた。

豪華なものにはしなくて良いけど、洋服が好きだからすごくおしゃれにしてもらい、矢沢永吉からジェームスブラウン、そしてマントラという流れで(叶うなら生音でジャズも入れて)
という葬儀にしたら、アルタカーマからダルマモークシャへの経緯もわかりすごくよいものになるんじゃないかとか考えてニマニマしていた。

ヴェーダンタを学ぶと肉体は肉体でしかないし、わたし、というのは変わらないわけだからと気づくけれど、肉体が不調になれば落ち込むし、情緒的なものともかかわりがあるし、人間として肉体を持って生まれてきたことの幸運とときには悲しみを感じたりして生きていたなあと思う。

すべては勘違いで、わたしたちは幸せだと言われてもなかなかそうは思えなかったり、勉強のなかで、理解ができずに苦しくなったり、おちこんだり、なんてのも全然あります。

とはいえ、ゴールや結論はすでに見せられているから細かな落ち込みはあまり気にならずにまた毎日勉強したり日常での気づきにつながるのですが。

葬儀について考えると、まあそれがいつくるのか、プララーブダカルマをいつ終えるのかは自分にはわからないので、エンディングノートはつくっておこうかなあと考えたりもします。

だいぶ音楽関係の繋がりはなくなってしまったし、イベントにもいかなくなったし、行こうとも思わなくなってしまったけれど、アイデアが浮かんだらなんだか少しはまたつながりができたらいいなぁと思うし、なるようになるのかな。

洋服音楽芸術というのは、中途半端な感じもしますが、モークシャに向かいながら叶うものは叶うし、そうでないものはそれでよしなのかな。などと考える夜です。

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