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昔はフライパンを拾ったけど、最近はめっきり拾い物がない。

昔住んでいた鎌倉で有名なエコなカフェ?のお店の人は
「うちのフライパン全部拾ったやつ。道に落ちてた!」といっていて「ええ?どういうこと?」と笑ったことがあるのですが、たしかに鎌倉鵠沼界隈ではよく道路で物が落ちていたし、いいものを持ってけドロボー状態でガレージセール?(無料)していました。

その後、東京に行った時もそういったあげますもらいますコーナーを作ってくれているうちがあって私ももれなくフライパンや洋服を持って帰ったし、それだけでは悪いので着なくなったけど状態のいい服をかけたりしていました。雨の日はそのお家の人がその場所からひき下げたりしていたし晴れたらまたハンガーにかけてなどご苦労もあったのかと思いますが、ある時からゴミのようなものを置いていく人が現れてしまい(いくつか大学も近かったから大学生なんじゃないかなと今でも思うのですが)急に治安が悪くなって?その善意の軒先リサイクルコーナーが成り立たなくなりおしまいになるという張り紙がある日してあって私はとてもショックで悲しくなってお世話になったのでそのお家にハガキを投函しようと思ってお世話になって感謝している旨を投函しました。そりゃあそうですよね。善意でしていたのに家の前にゴミのようなもの(要するに粗大ゴミみたいなものをお金がかかるから置くようになった人がいたんですよね。ひどいよ!!)を置いていく人が現れて結果的に処分はそのうちの人がするわけで、長年続いたそういった素敵な循環を一瞬で壊した人がいたというか、まあなんというか時代の変わり目の瞬間に立ち会ったのかもしれませんが。
その後、その善意のコーナーはなくなり、そのお家のお家の人が花壇を作ったみたいでゴミ山?みたいなものはなくなり、綺麗なチューリップの咲く花壇を見たときは何となく涙がこぼれそうになりました。たとえ誰かが綺麗な心を踏みにじったとしても、もともと綺麗な人が植えた種で、また綺麗な花は咲くわけで。

また、そこに住んでいたときはうちのすぐ近くにごみ収集場所があって、そこは担当で1週間か2週間ずつゴミ担当のお家が掃除をしたり準備をしたりと言った感じでわたしたち(シェアしていたから)も当番になると張り切って準備をして瓶や缶のネットを広げたりしていました。しかし、たしかに学生さんがよく通るからか、関係のない日にコーヒーの飲んだプラスチックのカップが置いてあったりして(ぷんぷん!!コンビニの弊害でもあるんですよね。明らかにコンビニコーヒーの飲みかけのやつだから。おうちまで持って帰ってよう。)本当になんてことをしてくれるんだ、誰が片付けると思ってるんだよう。ということもあったりして(そこは道端なので特に集積所のような箱?はなかったので誰かが片付けないとゴミがあるともっと誰かがゴミを出してしまうので片付けないわけにはいかないんだけど飲んだストローとかもさしてあってそんな衛生的に危険なものを片付けるのは本当に嫌でした。ま。片付けたけど)、きっとゴミ分別などの大切さは大人にならないとわからないんだろうなぁ。わたしも23歳くらいの時にはあまりわからなかったよ、なんて思いつつも困ったもんだね、と思ったりしていました。

あれ?話がずれました。

そんなわけで、治安が良い場所というのはいろいろなものが落ちていて、それを使ってくださいという善意の循環が広がっていてとても素敵だけど最近はなんだかなくなってきたかな。まあメルカリだってあるだろうけどそういった善意の場所は別にお金は発生していなかったしそれなりにいい状態のものを置くしもらうしまた置くしという循環があった気がします。そしてそれっていうのは、地方都市にはあまりなくて、案外と私の住んだ東京都神奈川だけだけど(千葉もちょっとあったような気がしないでもない)一人暮らしとか引っ越しが多い地域の方が綺麗な物が置いてあったり逆にもらえたりして素敵だったなとふと思い出したんです。

今ってこういう時代だから高級なものを所有する、という人はごく一部だろうから、素敵なものをシェアするっていうのはとてもいいですよね。
心を痛めるようなニュースも多いし、日本とは思えないような事件があったり、まあ世界に目を向ければもっと悲しいこともあったりするんだけれどなにかいい循環っていうのも広げていこうとして意識していく人が増えれば広がっていく気もするので、またそういった場所が見つかるといいな。

最近もの拾ってないなー。

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カロリーヌ・オハナ
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