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SNSなんて絡んでナンボなのになんでチキってんの

「TwitterやSNSは人と繋がるもの。どんどん交流を持つべきだ」
これは、ライターのいしかわゆきさん(ゆぴさん)がおっしゃっていたことだ。
実名でのSNSやnote、べつの匿名アカウントでもフォロワー何千人単位で持つというゆぴさん。
私がゆぴさんを知ったきっかけも、TwitterでバズってきたSNS活用noteだった。
(ちなみに⬇️これ。たまたま無料期間に触れて、後日購入しました。)

ついでに発信してる人におすすめなもうひとつがこれ⬇️

(「有益で釣って人で刺す」の文言が好き。)

それなら、私もどんどん絡んでいけばいいのだけど、これがなかなかどうして絡んでいけない。チキってしまう。
我ながら、なんでだろう?と。

アカウント使い分け問題とかもあるんだろうけど、多分、SNSは見えすぎてしまうのかも、と仮説を立ててみた。

たとえば、大人数で集まった場の時、なんとなく、近くの人と何気ない話をして共通の話題を見つけたり。
読書会の場で、同じ本について語り合ってみたり。
コロナ前なら、飲みの場で盛り上がって意気投合してみたり。

良くも悪くも入り口は狭くて、お互い探り合う、というプロセスがあった。
だけど、SNSはちょっと違う。

言ってみれば延々独り言の記録が残っていて、相手の独り言から「気が合う人かな」と探ってから話しかけることになる。

同じ番組や同じアーティストを見ての感想なら、いわぬる「その場限りの話」でいい。
けれど、そこから繋がっていく、となると、自分も相手も、それこそマッチングアプリも驚きのパーソナルな情報がどどんと見えてしまう。

見えなければあったかもしれないきっかけが、見えてしまうがゆえに、変にハードルが上がってしまう。
ひらたくいえば、選り好みをしてるんだろう。いやはや、どの立場で!って感じだけども。

私は繭のアカウントでも、もう1つのアカウントでもジャニーズやSixTONESについてしゃべっているけれど、ジャニヲタとしてはもう1つのアカウントがメインだ。
もう、本当にただの独り言だし、鍵こそないがクローズドだと思うから、あのアカウントを見て「この人と話したい!」と思う人は、我ながらいないと思う(笑)

まるで婚活アプリのように、同じ趣味で、一緒に楽しめそうな価値観の人を発掘していく。
それが、SNSで人と繋がっていく、ということなんだろう。
別にそこに失敗があってもいい。
出会いが楽しめればいい。

それくらいのフットワークの軽さが必要なんだろう。

チキらず、出会いを楽しもう。
SNSでも、noteでも。

ということで、ご縁があったみなさま。
よければこれからも絡んでください☺️

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