【ネタバレあり】竜とそばかすの姫を見た感想と考察。~見た人とぜひ語りたい映画~
あえて「そばかすの姫」なぞという、完璧ではない姫をタイトルにつけてくるあざとさと、細田守が新たに紡ぐネットの世界、予告の段階で気になっていた歌など、気になる要素満載だったので早速見てきた。
1ネタバレなしで魅力をサクっと語る
★millennium paradeがバケモノ染みているクオリティの歌を出してきた。
気になっていた割に下調べをしていなかったので知らなかったが、冒頭で思いっきり流れるメインテーマ(これは既に公開されている情報)、常田大希率いるmillennium paradeだった。先日我が担当グループSixTONESでTHE King Gnuサウンドかまされてやられていたところだったので、「またか常田大希!!」と個人的には思った。音の迫力とそこに絡むBelle(Cv.中村佳穂)の歌がエグい。もうエグい。
↑ミラパレ(millennium parade U )
★映像美がすごい。
サマーウォーズは結構白が基調の空間だったけど、今回はもっと華やかで、多色。いろんな色が重なっていて映像美が精巧だし、最後の方の暖色系のラプンツェルを彷彿とさせるシーン(としか表現できない)は、「だから暖色の集団はあれほど…」と言いたいレベル。
★幾田りらを起用しておきながら歌わせないとはどういうことや、レベルにキャストが結構豪華(多分)
ちなみに幾田りらはYOASOBIのボーカルikuraのことである。なんならあれだけ歌える歌い手を起用しているのに、劇中歌唱シーンは結構あるのに、幾田りらは歌姫ではないばかりか、歌いもしない。それでも成立する「歌」が中心の世界。ネタバレになるから公開されていない俳優キャストもあるし、お金かかってるなぁ…!!すごいなぁ!!と思う。そんなに大事ではないだろう(失礼)合唱団の大人たちに、非常に歌えるキャストをしっかりそろえているあたり(清水ミチコに森山良子に坂本冬美に岩崎良美…)歌に対してこだわっているんだな、と感じさせる。ちなみに、幾田りらは歌わないが、合唱団はちょこちょこ歌う。
…と、ネタバレをしないとなると、技術面になる。だが、これらのクオリティは間違いなく素晴らしい。
2ネタバレありの感想と考察
①美女と野獣と複雑な耳をすばせばの合体-竜は、野獣ではない-
絶対今後ネットで出てくる意見だと思うけど、「ネットの世界の美女と野獣」感はある。
そもそもこの物語は、冴えない田舎の女子高生・鈴が、電脳空間「U」の中で美しいAs(ネット上の自分・アバター)を手に入れ、ネットで歌が認められ、歌姫「Belle(ベル)」として一世を風靡するところから始まる。リアルの冴えない自分とネットでの人気者の自分が同一人物であることは、親友でありプロデューサーのヒロちゃんだけが知る秘密である。そんななか、「U」で悪とされ、「U」での自治集団から追われる「竜」と出会い、心を通わせていく物語である。
リアルでは幼なじみでモテる"忍くん"や明るい陽キャだけどちょっと浮いている"かみしん"と仲がよい、冴えない、モヤモヤしている自分…このあたりが、なんとなく「耳をすばせば」感をちょっと感じた。鈴は6歳の時に母親を亡くし、父親とあまりうまく関われていないので、そのあたりは耳すまより断然複雑な家庭環境である。
そして、「U」での竜とのシーンは、もはやオマージュだとさえ感じた。竜がいる「城」、城で育てている「薔薇」、「マントをかぶって潜入」するヒロイン、しかも名前は「ベル」。そして、心を閉ざしていた竜と心が通じた時、ベルは竜に仕えるAIによってドレスアップされるし、竜も竜で同様にドレスアップしてタキシードになる。ドレスの色こそ黄色ではなかったけれど、これはもう完全に美女と野獣だよな…と感じた。あまりの美女と野獣要素に「これディズニー大丈夫なのかな…」と心配さえした。
なんなら、本家美女と野獣も、結構劇中歌っていたはずである。これはもう、完全に要素として寄せたとしか思えない。オマージュであってくれ。
要素としては美女と野獣だが、「美女と野獣」の野獣が傲慢さゆえに獣に変えられてしまったのに対し、竜はAsである。鈴がBelleというAsを手に入れる際は、「U」側から提案されていた。それを「OK」か「キャンセル」か選ぶ方式だったので、おそらく「U」側からいくつかの提案があり、自分のAsを設定するのだと思う。鈴とBelleがそっくりではないことを考えると、「U」はなんらかの特徴からAsを作成、提案するのだと思う。Asは人型だけではない。おそらく竜のオリジナル(現実での存在)である「ケイ」は「竜」のアバターを自ら選んだ。
ケイは弟のトモくんとともに、父親から虐待されている。「U」では異常な破壊行動から恐れられるケイの、抑圧された感情やトモのヒーローであろうとする感情、すなわち、「強さを欲する」「力を欲する」部分が「U」によって引き出され、竜の姿に繋がったのではないだろうか。獰猛な父親に対抗しうる力、それゆえ、ヒーローのような姿でなく、竜の姿になったのではないだろうか。
気になるのは、ケイのAsである「竜」が、「U」からの何度目の提案だったのか、である。
そして、あの姿が自分として提案されたとき、ケイはどのように感じたのだろう、ということだ。個人的には、これが非常に気になっている。
「野獣」と「竜」。どちらも、「自分は愛されない」「こんな自分は人から受け入れられない」と他者を拒絶しながらも、「愛されたい」という渇望が、共通点ではある。あぁ、もしかしたら、そんな風に拒絶していたから、醜い竜になったのかもしれない。野獣ではなく竜であったのは、(見た目野獣にも見えるけども)ケイが傲慢ではないからかもしれない。
(でもよく思い出したら、英語ではBeastって書かれてたな…)
②警察のいない仮想空間において、「必要なものはもう全てある」
これは、細田守がしれっと出した私たちへの問いかけに感じている、と言ったら、細田守を買いかぶりすぎだろうか。
「U」は5人の賢者「Voices」が創造したという設定だ。自治集団のリーダーは‐美女と野獣でいうところのガストン的な存在なのだが、ガストンにもなりきれない中途半端なガストンである‐警察のいない社会はありえないから、「U」内においてもそういった組織が必要だと考えたが、「Voices」は「必要なものはもう全てある」と警察的組織を作らなかった。よってこの半端ガストンはアバターとしての活動が基本の「U」において強制的に本体の姿をさらすマシーンを作り、自警団を語っている。スポンサーがつき、最低限のプライバシーを脅かす存在がヒーローとして、支持されてる。竜を絶対さらしてやるマンと化しているガストンと、竜をめぐるやりとりのなかで、「あなたは正義じゃない。ただ征服したいだけ」とBelleは彼に言い放つ。
たしかに、ガストン(という名前では本来ないが)は正義ではなかった。
だが、Voicesの語っていた「もう全てはある」とは、いったい何だったのだろう。
サマーウォーズでは、仮想空間は「AI」であるラブマシーンによって脅かされた。しかし、今回は徹頭徹尾「人」だった。AIの暴走と正義の暴走、片や人が団結して世界を救った。片や、世界の危機でもなかったが、世界が「竜」を断罪しようとした。Voicesはそれを止めなかった。
最終的に、竜のオリジナルであるケイはネットでさらされてはいない。Belleが鈴としての姿をさらした。ケイに信頼されたいがゆえの行動だったが、ほかのユーザーからすれば、しばらく姿を消していた歌姫が突如現れ、サプライズだ!と喜んでいる間に突如として現実での姿をさらし、歌い、その歌声と姿に涙した。言ってしまえば、他に気を取られて、竜のことが流れただけだ。あの場で、鈴がケイのためにそうしたことを知っているのは、鈴の周りとケイだけだ。だから、結局のところ、竜は認められていないし、排斥がなくなったわけではない。
秩序を守る役割を担う存在がいないなかで、「必要なものはもうすべて(Uのなかに)ある」。それっていったい、何なんだろう。
③「歌よ、導いて」
ミラパレの「U」も最高だし気分が上がるが、鈴の本質は多分こちらの歌だ。
鈴はなぜ歌うのか。それが鈴にとっての唯一の手段だからだ。
毎朝起きて探してる。あなたのいない未来は想像したくない。
でももういない。
正解がわからない。私以外うまくいっているみたい。
それでも明日はくるのでしょう
母を失った寂しさ、自信が持てない自分…歌は常に一緒に母とともに自分とあったから、母を失って歌も歌えなくなった。自分に自信がなくて、常に「自分なんか」と言っている、そんな鈴にとって、自分を解放する唯一の手段だったからだ。
YouTubeやニコニコ動画、Tick Tock諸々、SNSやネットで見つかる歌い手は、今時珍しくない。「U」が顔を出さず誰もが表現できるプラットフォームだと考えれば、現状は既にこの世界観と近く、仮面をつけることで自分をのびのびと表現する「Uの時代」はもう到来している。
だけど、自分の生体情報を読み取り、精巧な仮想空間がどれだけ実生活と近くても、現実と仮想空間には隔てられた壁がある。あくまで仮面越しの関係だったから、竜はBelleを信頼しても、ケイは鈴を信頼しなかった。
匿名でアレコレ言えてしまう世界が近いからこそ、「自分として出る覚悟」を持った人間はそれだけで本気度が伝わるし、信頼される。
だから、ラストの鈴が鈴として認められたあのシーンが泣ける。
「どうしてここまでBelleが盛り上がっているか?」と尋ねられ、編曲だとかヒロちゃんのプロデュースだとかいろいろ言っていた鈴が、編曲も演出もプロデュースも抜きで、「美貌」のアバターも脱ぎ捨てて裸一貫で歌う姿に、泣けた。
と、絶賛匿名noteで書いている。
3最後にちょこっと&まとめ
ストーリー的に、細かいことを言い始めるとツッコミどころはある。わりとある。終盤とか結構ある。
キャッチコピーの「もう、一人じゃない」も、如何せんそのあたりを調べずに言ったので、むしろ「現実と仮想空間」が同一化しているようでしていないなかでの「人に知られたくない秘密」と向き合いながらどう心を通わせるかとか、信頼に値する覚悟とかがテーマだと思っていた。
むしろ、がむしゃらに大切な存在を守らんと、時に奮い立ち、走り続ける鈴の目線で見ていたから、「もう、一人じゃない」みたいな、そんな生易しい響きではないように感じるところはある。
細田作品、よく言われることかもしれないけど、どこか「母」みがある。「私が守る」そんな母の強さ、母の必死さがあった気がして、「もう、一人じゃない」は今現在しっくりこない、ところもある。
だけど、そんな小さいことを言うのは、野暮だと感じるくらいには、トータルするといい映画だった。
ストーリーの中の歌の塩梅も、歌そのものも良い。こんな言い方をすると、「結局ストーリーより歌かい!!」と思われるかもしれないけど、歌ありきで微妙になっていた映画もたくさんある中で、ストーリーが歌の良さを引き出し、歌がストーリーを引き立てるのは結構すごいバランスだと思うので、ぜひ劇場でご覧ください!!(あれ、宣伝?)