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映画「E.T.」のスピリチュアル読み【次元を超えた繋がりと別れの意味】

1982年公開の作品。

自分の生まれるよりも前に公開された映画ですが
子どもの頃に家族で観て、とてもハマった記憶がありました。

家にE.T.グッズがあったり、USJのアトラクションの思い出があったり。 

そして現在。
急に、8歳の娘(レインボーチャイルド)と、あの「E.T.の人差し指でカタコトを喋るネタ」を共有したいという衝動が走り、YouTubeでレンタルして二人で見てみました。

E.T.って一度死んだことになってたのか!

エリオット(主人公の男の子)とE.T.ってここまでシンクロしてたの知らなかった!

「E.T. ゴー・ホーム」だと思い込んでいた。
「E.T. フォン・ホーム」だった。
衝撃。

の三連続パンチ。 

そして共感能力がズバ抜けているうちのレインボーガールは
最初にE.T.がひとり地球に残ってしまった時点で大泣き。

「ひとりは悲しいよね。悲しいよね。」と泣いていました。 

E.T.が「大人たち」に囲まれ調査され瀕死状態の苦しそうな様子、
シンクロして衰弱しているエリオットが泣きながらE.T.をそっとしておいてくれと訴える様子、

嗚咽で苦しそうにずっと泣いていました。


そして最後のお別れのシーン。

二人は深いところで繋がった、お互いに大切な存在であるがゆえに、
それぞれの「ホーム」でそれぞれの学びを続けることを選ぶ

というシーンで泣きました。

もうそれはもう、二人でぼろぼろ泣きました。

 

この映画については、

いっとき都市伝説のように騒がれた「アメリカの思惑」もありますが、
(80年代より以前は宇宙人は地球侵略に来る悪いヤツのように描かれていたところを、宇宙人が大勢降り立った時に人類のパニックを防ぐために宇宙人お友達マインドを刷り込みため説)

本来「宇宙由来」の魂を持った存在はこの地球にすでにいっぱいいる

と私自身は認識していて
そこに今回改めて観たこの映画の

主人公エリオットとE.T.(つまり「外的存在」“the Exstra-Terrestrial”の略)のあり方があそこまでシンクロし

共感覚を共有し、共同体のような、ツインソウルのような、
広く言うとワンネスのような繋がり方を描いていたこと

を初めて認識できたことが、自分の中でとても印象的でした。


わたし自身、ツインレイの気づきも日々積み重ねている中で、

エリオットとE.T.があのように出会い、

お互いに学びを与え合う使命を全うし
それぞれがそれぞれの生きる道を選択する

とても沁みるものがありました。

映画の中の1シーンで、
人差し指を出した手を「ハート」に寄せて、口元へ指先を持っていき

「イタイ (“Ouch.”)」

と言うのですが、 

こころがいたむ、くるしい、かなしい、さみしい、
地球でくらす人間らしい感情です。

それを共有して、それぞれのホームへ。

なんともメッセージ性の高い映画鑑賞となりました。
(スピリチュアル読みする癖がついただけ?) 

エンターテイメントとしての映画も親子で楽しめたし

心の中の学びもまた増えて大満足でした。
(2021.02.07の記事を再編集)

 

より軽やかに。光。Lighterへ。

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