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産まれ育った家庭環境は、自分自身の人生に、 良くも悪くも、大きな影響を及ぼす。

私は、喧嘩が絶えない家庭で育った。

父は不倫をし、母はそんな父を罵倒し、殴られる。

そして、母は泣きだし、私が、落ち着くまでなだめる。

そんな日常だった。

その時の、私の気持ちは、『私が母を守らなければ!』だった。

言い合いが始まると、聞き耳をたて、助けに行くタイミングを見計らっていた。

それが当たり前で育った。

それが当たり前なので、『家は休まる場所』という事を知らないまま育った。

今、子供に戻れるのなら、『安心感があり、あたたかい家庭』というものを体験してみたい。

経験をした事がないので、その後の私の結婚生活に、大きな影響を与える事になる。

経験がないので、ドラマに出てくるような、
『笑いの絶えない、幸せそうに見える家庭』に憧れを抱くようになった。
そして、高校を卒業した頃には、『早く結婚をして幸せになりたい!』
そう思っていた。

そして、21歳で結婚をした。
『これで幸せな家庭を築いていける!』
ドラマの様な家庭に憧れていた私は、とても嬉しかった。
そして、お腹には、小さな命も宿っていた。

しかし、現実は違った。

妊娠中に浮気をされ、お姑さんからは嫌がらせをされ、夢見ていた結婚生活とは程遠い生活だった。

その時は、自分は何も悪くないと思っていた。

しかし、今振り返ると、産まれた場所で、与えてもらえなかった、
『優しさ』『安心感』『愛情』『親からのぬくもり』
その、見えない何かを、必死に手に入れようとしていたように感じる。
とにかく、必死だった・・・

必死なだけで、どのように、家庭を築いていけばいいかも分からない、
未熟な私は、1年半で結婚生活に幕を下ろした。

その後、産まれたばかりの息子との生活が始まった。

母子家庭になった事で、夢が大きく変化した。

『この子を幸せにする!』そう決意した。

昼、夜、働き、大変な事もあったけど、それ以上に、息子の存在が、
与えてくれるものが、私にはとても大きかった。

初めて感じる『幸せ』、初めて感じる『ぬくもり』、初めて感じる『絆』、初めて感じる『大切な存在』。
この感じた感覚が、私の求めていた『幸せな家庭』だったのだ。

こんなにも幸せな生活を、自分で壊してしまう事になるとは、
その時の私は、分かっていなかった・・・

3年程たった頃、また、あの夢を追いかける自分が現れた。

『やっぱり、旦那さんがいる、幸せな家庭を持ちたい。』

今思えば、二人でも十分幸せだったのに、欲深くなっていた。
そして、1人で働き、子供を育てていく事に、疲れている自分もいた。

そして、その頃、一緒に働いていた同僚と、再婚をする事になる。
また、あの夢を思い描いて・・・
しかし、人生で一番の、地獄の始まりだった・・・

私たちは、地元を離れ、旦那の地元へ、引っ越しをした。

この行動が、間違いだった。

旦那の本性が現れ始めたのだ。

親の知り合いの会社に『前から来てほしい!』
と言われていると言っていたので、引っ越しも決意できた。

しかし、何か月か経つと、仮病で、会社を休むようになる。

そのうち、私に、会社に電話をするよう言われた。

行ったり、休んだりの繰り返し。

すごく『しっかりした人』だと思っていたのに、どんどん崩れていく。

そんな中、新たな命を宿した。

息子に妹ができる喜びよりも、不安の方が大きかった。

そんな状況の中、借金があることを知った。

しかも、私名義の借金。

私は、借金をした事がないので、状況が飲み込めなかった。

犯人は、旦那だった。

しかし、私は、
『今度こそ幸せな家庭を築く!』
『こんな私と結婚してくれたのだから、幸せになる為に頑張らないと!』

自分に暗示をかけるように、どうにか立て直そうと必死だった。

出産後、4ヶ月で働きに出る事にした。朝早くから遅くまで。

借金返済と、子供たちの生活と、幸せになる為に・・・

そんな私たちを守る事なく、旦那は寝てばかり。

そして、いつも不機嫌だった・・・

なのに私は、取り憑かれたかのように、『幸せの為に頑張らないと!』

その想いだけを夢見て、必死に、一人でがむしゃらに、
仕事も育児も家事も頑張っていた。

今思えば、すでに破綻しているのに、
『自分が必死に頑張れば幸せになれる!』
『子供たちを、自分と同じ様な環境にしたくない!』
『だから、私が弱音なんか吐かずに頑張らないとダメなんだ!』

と、自分を奮い立たせていた。
『幸せ』という呪縛に取り憑かれていたように思う。

正常に機能していない生活は、長く続くはずがない・・・

夫婦二人で、同じ方向に向かって協力し合わないと、家族の幸せは、成り立たない。

一人だけが、がむしゃらに頑張るだけでは、意味がなかったのだ。

そして、私は、精神が壊れた・・・

今ふりかえれば、無理な生活をしていたと分かるが、その時は、ただ必死すぎて、気づけなかった。

壊れ始めた私は、自分を責め、生きている事が辛くなってしまった。

病院で薬を大量に出され、食事もとれず、毎日もうろうとしていた。

私がそんな状態になると、人の本性もさらに見えてくる。

旦那は、私を軽蔑し、不仲だった両親と、急に結託をし、
私を『最悪な母親、人間』と言い初めた。

頑張っていた頃も私を認めていなかったが、精神的な病気になったら、
『最悪な母親、人間』と言われるようになり、
私自身も自分を『ダメ人間』と思い始め、何をしても地獄だった。

自分さえ、自分の味方ではない状態が続くと、当たり前のように、生きていく気力なんて湧いてこなかった・・・

自分が産まれた環境を思いだす。

親に甘えられず、愛情が分からず、安心感も与えてもらえず、いつも緊張感の中にいたあの頃。ただただ、私を愛して欲しかっただけ。

そして、幸せな結婚を夢見ていた私。

なんでこんなにも私は真逆の方にいってしまったのか・・・

私、何か悪い事したかな??

小さな幸せを感じたいだけなのに・・・

そんな思いでいっぱいになった。

『誰か助けてーーー!!』

心は悲鳴を上げていた。

そして、この結婚生活にも、とうとう終わりが来た。

私の両親が、余りにも変わり果てた私を見て、地元に連れて帰ると決断したのだ。

しかし、私の子供達が引き裂かれる事になってしまった。

判断力のない私、以外の、両親たち、旦那、全員が冷酷だった。
旦那の母親からこんな事を言われた。
『上の子は、血が繋がってないから、あなた達が育てる。』
『下の子は、血が繋がっているから、私たちが育てる。』

その提案に私の両親も頷いたのだ。

その時思った。

やっぱり、誰一人として、私の想いを汲んでくれる人間が居ない。

精神的に辛い私に追い打ちをかけるように。

そして、私は、助けを求めて、警察を呼んだ。

しかし現実は厳しかった。

『お母さんが、早く元気になって、仕事を見つけて調停をしてください。』

その一言だけだった。

結局、どこに向かっても、私には、誰も味方が居なかった。

『精神的に病んだ人は、やっぱりダメ人間なんだ。』
『自分の両親でさえ、そう思ているんだ。』
『兄妹を離れ離れにする事に誰も心が痛まないのだ。』

そんな状況の中、地元に戻り、すべての精神薬を経ち、
副作用に苦しみながらも、必死に回復するよう努力をした。

『子供達と3人で生活する為に!』

6ヶ月かかったが、薬も抜け、仕事も決め、あの日、
警察が言った言葉どおりの事をした。

1年半後判決が出た。

娘は取り戻すことが出来なかった。

あまりの判決の理不尽さに、ショックを受け、あの卑劣な男が娘を育てるなんてありえなかった!
初めて殺意を覚えた。

私の何がいけないのか・・・

私は、当たり前の事を、ただひたすら一生懸命にやっているのに・・・

今は、あの、地獄の様な日々が、夢のように感じる。

自分の事なのに、自分が自分ではなく、他の人間が私に入り込み、
違う人間になっていた感覚がする。

そして、大切にしたかった子供達に辛い思いをさせてしまった。

もし、あの日に戻れるのなら、子供二人を連れて、
何処か違う場所に逃げて、新しい生活を始めたい。

自分の両親が違う人間だったら。
自分の産まれた家庭が幸せだったら。
出会う人達がもっと愛情のある人達だったら。

私は、こんなにも辛い経験をしなかったのだろうか。

私は思う!

人は、両親、出会う人達、生きている環境で、人生が、
良くも悪くも大きく変化してしまう。

だから、付き合う人達、働く環境、自分に関わる事すべてに、
妥協をせず、じっくりと見極めなければならない。
そして、何より、自分自身を大切にできるのは、自分自身なのだ。
だから、どんな時も、自分だけは、自分の味方でいようと決めた。

周りに流されず、自分の意思をしっかりと持って、自分にとって、
心地の良い場所を見つけ、1度きりの人生を、思いっきり自由に、楽しんで、後悔のない、人生にしようと決めた。

























#創作大賞2023 #エッセイ部門


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