アートとデザインの違い
デザイナーとアーティストはよく混同されがちだ。どちらも、視覚を用いた表現技法を取る事があるただろう。今回は私の中でデザイナーとアーティストの社会での役割の違いを述べてみたいと思います。
【デザイナーとは?】
デザイナーは経営コンサルに近いと思う。
経営者(意思決定者)課題をヒヤリングして、各々の要素を構造化していき、課題解決へ取り組む。
経営者のニーズや企業の課題ををいかに把握しきれるかが重要だ。また、その課題が本当に問題なのか、「問い」自体の設定がそもそも正しいのか検証する必要もある。
世間の流行や、マーケティングデータを読み取り、消費者(クライアントのターゲット)の心理に訴求する手段を的確に用いれるか。
経営者に対して、的確な課題解決手段を提示すると共に、経営者の意向と消費者のニーズのズレなどの指摘も必要となる。
最適な課題解決策を提示するために、時にはクライアントに意見を厳しい意見を言えるかどうか。
それらを踏まえた上で表現をつくりに取り組む。
ヒヤリングが全てであり、制作はヒヤリングあってこそ成り立つのだ。
ヒヤリングの時点で、デザインの良し悪しは決まるのだ。課題に対してどれだけ深掘りできるかが要である。
なので、自分の好みの形や色彩を理由なしに感性で押し切って表現するわけにはいかないのだろう。
【アーティストとは?】
他方でアーティストはは0→1に近いと思う。
0からの創造。また、社会への課題提起。
「それってどうなの?!今の社会おかしくない??」と人々の心に訴えかける。岡本太郎氏がいうように芸術は爆発なのだ。波紋を生み出す。そのためには、作品に力が必要となる。
例えば、インパクトや圧力が重要だろう。また、美しさなどの表現力も訴求力に繋がるのだろう。人々の心に焼き付いて離れなくなるような何かが、それは美ではなく、時に恐怖を与えられるかかもしれない。
日本では写実作品が好まれる事が多い。特に少女や女性の写実作品が人気となる。日本には男性のコレクターが多いので売れやすさは高いだろう。
ただ、世界のマーケット、つなり作品の価値が上昇するかどうか要となる場所では写実作品は正直あまり見かけない。もちろん写実作品も素晴らしい。
写実をからリアルを超えた何かを生み出した時、人々の魂を揺さぶるのだろう。ただ実物と似ているかどうかが評価の基準ではなく、写真を超えられない。
写真以上の何かをその作品から滲み出た時に、凄まじき力が生まれるのだろう。
写実も美しさも技術であり、訴求するための手段なのだろう。
世界のマーケットでは、作者の生き方や思想を含め、影響力や人の心の奥底まで入り込めるような圧倒的威圧感や神秘性が評価されるのではないかと思う。
ただ日本では教育が、いかに実物と近いかで絵が上手いか下手か決める仕組みになっている。いわば、明治時代の教育から美術教育自体が変わっていないからだろう。当時世界では写実性が評価されていた、写真が普及していなかった時代には写実の価値は世界でも高く評価されていたのだろう。日本はその時代で時に教育システムを作った。今は、美術教育では日本だけ時代が止まっている。
教育と社会、グローバル化が進む社会への対応の遅れは美術業界でこそ顕著である。
皮肉なことに、最もグローバル化が遅れているアート業界こそが、グローバル市場で戦う力を秘めている。
そう、アーティストこそが、グローバル社会の中で戦う武器を持つ存在であり、言語も国境も宗教すら超えられる可能性を秘めている。
それは、起業家が世界的なサービス、例えばFacebookやGoogle、Uber、Airbnbなどを生み出すよりもハードルが低いと思う。起業家が国際社会で勝負するには、様々な圧力や既得権益との交渉が必要となる。莫大な資金にロビー活動、政治経済すべてへの干渉が裏では行うこととなる。
また、国際社会での国のパワーバランスなどもあり、次から競争相手は現れる。一時期流行っただけではダメで、優れたサービスが生み出されれば、屍となる。一度流行った、ではなく数字や利益こそが企業として最も大きな要である以上、継続的に利益を出し続けなくては活動ができない。
そう考えると、アーティストの方がグローバル社会で戦える可能性を秘めているのではないかと思う。グローバルマーケットで軌道に乗れば、個人のブランドや属人性で勝負することができる。
利益を出しつづけ、競争相手との争いに消耗するのではなく、自分を超え続けることが課題な職業である。
アーティストは、いかに社会に波紋を投げられるか。人を作品に巻きこめるか。アート業界だけではなく、そして国境も超えて多くの人々を巻き込みきれるか。美術業界だけでは社会への波紋を生み出したとはいえないのだろう。
最近、オークションで話題となったシュレッダーの額縁を用いたバンクシーも、アート業界のみならず多くの人々に関心を持たせた。観客の巻き込み方、影響力はとてつもない。ある意味現在のIT社会では、バズも作品の一部になったのだろう。人を困惑させ心を揺さぶる幅が大きければ、アート作品として成功だと思う。
人の想像を遥かに超えて現在の評価基準なんて超越した評価できないものを生み出せるか。魂を揺さぶりきれるか。観るものの理性という仮面を外せるような圧倒的迫力があるか。
アーティストはある意味、革命家である必要があるのだ。
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