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カミングアウトの先に

大学時代、わたしは付き合っている彼とごくごく一部の友人、母親にしか病気をカミングアウトしなかった。

それはきっと、特別視されるのが怖かったのもあるし、なによりも「みんなが思うわたし像」を貫きたいという思いがあったからだ。
お気楽で自由で悩みがなさそうな、
そんなわたしでありたかった。
大好きなサッカーを観て、泣いて、笑って、
好きなことのためになら時間もお金も惜しまない、
そんな気ままな姉さんでいたかった。

出産後、ひょんなことからInstagramのDMを交わし始めた友人に病気をカミングアウトした。
そのとき初めて知ったのだが、彼女もまた、同じ病気で苦しんでいた。

病気と付き合いながら、結婚、妊娠、出産、育児をしている人が周りにおらず、わたしのカミングアウトによってやっと同じ境遇の人を見つけたようだった。

「子どもは欲しいけれど、病気をもちながら子どもを育てられる気がしない」
「相談したくても相手が見つからない」
「減薬と妊娠、どう付き合っていけばいいのか」
友人の悩みはとても深くて、繊細で、痛いほど分かるものばかりだった。

もちろんわたしは精神科医でも臨床心理士でもカウンセラーでもない。でも、自分の経験から得たこと(失って傷ついて傷つけて、やっと得たものばかりだけれど)なら伝えることができる。わたしの言葉で、大好きな友人になにかひとつでも役に立つ可能性のある情報を伝えることができる。

わたしは、わたしのだいすきな人たちに
わたしのようにはなってほしくない。
苦しまないでほしい。生きていてほしい。
わたしみたいになっちゃだめ、そんな思いだ。

病状や環境、価値観はバラバラだけど
わたしのカミングアウトによって相手のこころに
何かしらのエッセンスをもたらすことができるのであれば、わたしはカミングアウトしようと思う。
その先にポジティブなわたしのこころの変化が待っているかもしれない。

いつかわたしの病気が完治したとき、わたしの病気の経験は強みになる。
そう信じて、わたしは病気とともに今を生きる。
チャレンジし続ける。
わたしにしかできないこと、紡げない言葉を探し続ける。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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