25歳最後の夜の日記

午前6時のすすきのの路地に座り込むカップル。ホスト風のストパーガンガンのお兄さんは缶チューハイをあおって、ピンク髪で小太りのジャージを着ているお姉さんはタバコをふかしている。まねきねこからは5、6人の酒に酔った大学生が肩を組みながら吐き出される。俺は学部時代を思い出す。ゴミはカラスにつつかれて、めぐりめぐる。2人のギャルのバカチカラお姉さんは、ヤンチャそうなお兄さんと共にどこかへ行く。すすきのはぼんやりと明るい。ホテルに着く。冷蔵庫の位置を間違えたり、お皿の位置がわからなかったり、小さい方を大きい方に継ぎ足せばいいのに、大きい方を小さい方に継ぎ足そうとしたりする俺を見て、小田原さんじゃないほうの女の人は笑う。俺を笑う。小田原さんじゃないほうの女の人は俺に丁寧に、逐一、朝食バイキングのあるべき姿を教えてくれる。嫌がらずに教えてくれる。ありがとう。小田原さんも教えてくれる。ありがとう。小田原さんじゃないほうの女の人は俺が後ろから話しかけるとまるでモンスターに飛び掛かられたようにびっくりした。「ひいっ」と言った。たしかに言った。急に接近し過ぎたみたいだ。お客さんが目の前にいるから、大きい声で話せなかった。でも伝えたかったんだ。だから接近し過ぎてしまった。まるでモンスターにするような対応をされたから、20分ほど凹んでいた。洗い場の人や、お客さんに「ありがとう」と言われるたびに嬉しい。すごく嬉しい。自分以外の誰かから「ありがとう」と言われることは、水を飲んだり、睡眠をしたり、ご飯を食べたりすることぐらい不可欠なことなんじゃないかと思う。だから1つでも多くの「ありがとう」を言っていこう。言う。ありがとう。
待機するのも仕事のうち。待機している間は、秒針が進むのを眺めながら、生産性の高いものが良いとされる風潮について訝しんでいた。成長しているやつがエライ、みたいな風潮に違和感を感じていた。寅さんやタイラーダーデンに憧れていた。上へ上へ行くのはやめよう。下へ下へ行こう。無用の用。自然に生きよう。上善水の如し。気づいてないだけで今日も俺は誰かの、何かの役に立っている。俺だけじゃない。存在するもの全てが他の誰かの役に立っている。それに気づこう。そして伝えよう。「ありがとう」
理想に生きなくていい。あるべきものなんてない。あるようにしかない。こうあるべきというのは、誰かに刷り込まれた思い込みだ。帰り道はジョンコルトレーンのアルバム、「Blue World」を聴きながら買い物をした。ズボンと靴下と石鹸と鱈鍋の材料を買う。ジャズを聴くとあいつを思い出す。あいつに会いたいと思う。理想や刷り込みから自由なフリして理想に、規範に、殺されたあいつだ。俺は理想を憎む。「べき」を憎む。憎みつつ、おれも理想から自由になれない。「学を絶てば憂い無し」など法科大学院生が言えるはずもない。そんなことを思いながら昼過ぎに帰宅する。教会でもらったカンパンを食べながら美味しい鱈鍋を作る。教会が留学生や必要な人に毎週金曜日に配るカンパンだ。俺は経済的に圧倒的に恵まれているのにも関わらず受け取る。ゲリラ豪雨にも負けず、確固たる意志で受け取りに行く。俺がもらうことによって、俺よりももっと必要な人がもらえなくなる。鱈を切りながら、罪の意識に苛まれる。「神よ、どうか私の罪をお許しください」と祈りながら鱈を切る。「清貧たれ」「落ち葉を拾え」「貪ることなかれ」これらも規範だ。「べき」だ。確かに理想的かもしれない。それでも俺は思う。あるようにしかない。"キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。"
カンパンを貪る自分の弱さを誇ろう。自分の弱さを痛感することが強くなることだとすれば、俺はこんなにも強くなった年はない。弱さを痛感させてくれた全ての契機に、ありがとう。

鍋が煮える間に買ったウタマロ石鹸で激臭のカンフーシューズを無心で洗う。ウタマロ石鹸の消臭効果は絶大だった。ありがとう。

孤独感は波のようで、時たま猛烈な勢いで押し寄せてくる。寂しい。猛烈に寂しい。1週間、計21食、独りで飯を食うのは、少なくとも今の俺にとっては、耐えざる苦痛だ。どれだけ美味しくても美味しくない。おばあちゃんはこれを、おじいちゃんが死んでからずっとやっている。1人でずっとご飯を食べている。1日中誰とも口を利かないのはかなりツライ。心底共感する。話し相手がいないのはすごくツライ。おばあちゃん、きっとめちゃくちゃ寂しいんだろうなあ。おれのおばあちゃん以外にも、全国の孤独な老人、老人だけじゃない、孤独な人たち、寂しいんだろうなあ。いかに孤立させないかは社会の課題だ。孤独が人を犯罪に駆り立てる。
俺はおばあちゃんに電話する。おばあちゃんとは大学の図書館から家までを少し遠回りして8分間電話した。おばあちゃんは言った。今日も、直接は誰とも話していない。テレビと話している。でもテレビは返事がないから寂しい。それを聞いて悲しくなった。18時ごろに晩ご飯を食べてからおばあちゃんはおじいちゃんに念仏を唱える。朝、晩の2回、唱える。念仏が人を救っている。ありがとう。俺からは「雪虫」の話をした。「雪虫」とは北海道の冬の訪れを告げる虫で、かくいう俺も今日初体験した。サイズは少し小さめの蚊と言ったところで、街に無数に飛び回って、服や顔にめちゃくちゃへばりつく。鬱陶しいことこの上ない。でもこの雪虫が俺とおばあちゃんの話のタネになってやりとりが増えた。雪虫にありがとう。そして、おばあちゃんに電話するきっかけを与えてくれた孤独感よ、ありがとう。

帰宅すると、昼に作った鱈鍋の残りと、卵2個と納豆とキムチとめかぶを乗せたオートミールを美味しくいただく。シンナーを吸って空腹を紛らわすアフリカの子供達のことを考えながらよく噛んで食べた。死ぬ瞬間をできるだけリアルにイメージして、死にたくないと思いながらよく噛んで食べた。なんてご馳走。なんて幸せ。「食える」という奇跡にありがとう。

これからシャワーを浴びて、今日はもう寝る。
25歳最後の夜。これが今のおれのリアル。おやすみ。

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