ワイが「色々」あって芸人になろうと思ったきっかけから「色々」あって元相方が死んで「色々」あって構成作家にボコボコに殴られてお笑いと決別したまでの3年間のその「色々」について話すわ
芸人になるん辞めるわ!自意識過剰なんやろうけど応援してくれとった人たち、ごめんなさい!ぶっちゃけ去年の末くらいには固まっとったよ!何人かには既に話してて、まあ割と正確に、というか、きちんと話したいってのもあって話すときすげえ自分と相手の感情と時間を消耗するってわかったんよ。それを全員にとなるとバカダルいんで、みんなに伝えるためにどんな手段がええかなっていうくだらん自意識過剰なこと考えよって4ヶ月もかかってもうた。「みんな」って誰やねんって話やけど、これを今読んでる「あなた」のことやで。プロフィールにもあるけどおれの「うんこ」を貴重な時間、つまり命を割いてまで読んでくれてる「あなた」。まず、ありがとう。詳しくは知らんけどそういう能動的に読もうと思ってるやつらしかたぶん読むことはないnoteがいっちゃん伝える手段として適当かなと思ってnoteにしたわ。ちなみになんでこんな生活ことばで書いとるかっていうと、できるだけ自分の普段使いよることばで赤裸々に伝えたいってこととnote、という形ではあるけどもあくまで会って目と目を合わせてちゃんとしゃべっとるっていう空間で伝えとるっていうテイをとっとるけん読みにくいやろうけど勘弁してくれ!あとその理由で鮮度というかテンポを大事にしたくてほとんど勢いで書いて、推敲しとらんけん誤字とか伝わらん部分とか多いと思うけどそれも勘弁してくれ!
まあなんでこういった結論になったかっていうとね、まずおれが芸人になるって決めたときのことから話させてくれ。大学2年の冬に遡るんやけど、今はもう死んじゃったんやけど当時ずっとつるんどった親友に大学生のお笑い日本一を決める大会に出ようぜって誘って出たんが大元やね。そいつも中途半端なやつじゃないので、誘ってから当日までの3ヶ月わりとがんばったと思う。毎日おれがネタを書いてきて、12時にそいつん家に行って20時くらいまでひたすら打ち合わせと稽古する、ほいで先輩が経営しとるバーに行ってお客さんとその先輩に見てもらってダメ出しもらう、(楽しく飲んでるお客さんの会話を中断してネタ見てくださいって言うんがすげえ嫌やった笑)それが終わったら12時くらいにそいつん家帰って録画したやつ見ながら反省会。2、3時ぐらいに解散しておれは次の日のネタと方針書いて6時くらいに寝て、11時45分に起きて相方の家に行く。これの繰り返し。毎日ね。たしか先輩の卒業旅行と相方のデートの日以外、当日まで休んでないと思う。バイトも週1の3時間。とりあえず過程だけでも日本一になろう、というか、これで日本一になれんかったらたぶん審査が間違っとるやろってところまでやろ、っていう2人の理念が生み出した生活やった。(まあ漫才は練習すればするほどおもろくなるかって言われたら違うんやけどそんときはそれに拘っとった)解散したあとから聞いたけど相方は毎日おれが12時にくる前に「来んな来んな」ってお祈りしてたらしい。笑
それくらい激しく口論もしょった。結局毎回相方が折れておれの案を採用するんやけどね。今考えたらそれがすげえ嫌やったんやろなって思う。
ほいで大会当日やで。
なんなく予選は勝ち上がって決勝はトップバッター。今でも鮮明に覚えとるけど、記憶の上ではとんでもなくウケて、体に電撃が走った。次自分が言う言葉で笑いが起きるっていう確信が言う前からあってそれがエクスタシーってかんじやった。出番が終わったあと、舞台に控えてる次のやつらもおるのにそれに構わず袖で「よっしゃー!!」って叫んで思いっきりハイタッチしたんもセンっっメイに覚えとる。当時の人生最高の瞬間やったかなあ。まあ、その瞬間、というかその3ヶ月間が結果的に「最悪」に繋がったなんてそんときは知らんかった。笑
まあいずれにせよそのエクスタシーこそがおれが芸人になるって決めたきっかけというか、それから向かっていくための原動力というか、動機になったんよね。まあ厳密に言うと、ここ数ヶ月前まではそう思い込んでたというかね。
でも実はそれが大間違いで、おれにはもっと別の動機があったことに3年後に気づくことになるんよね、、
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