『もりのなか』③―ファンタジーか”リミナル”か
詞では語られていない生き物たちの存在
『絵を読み解く 絵本入門』 藤本朝巳、生田美秋(ミネルヴァ書房 2018年)
テン:「ぼくと動物たちが進行する2場面(p.24-25、28-29)のシーンは、見開きで描きストーリーのハイライトシーン。…ジャムを食べるシーンに描かれた、木の上のリスは、文には登場しない。…じっくり絵を見て発見することが好きな子どもへの、エッツからのサービスだろう」
マヨ:それでいうと、カタツムリとかアリとかもおるけどね、いろんなところに。
テン:えっ、そうなん?
マヨ:おるよ~。
テン:どこどこ
マヨ:まずね~、第1画面(p.3)にカエルがいるでしょ。男の子の右下。
ナナ:あ、いた!
マヨ:おった?
テン:うわっ、おったぁ~!
マヨ:で、第3画面(p.5)のライオンのところに…
ナナ:あ、これナメクジみたいなやつ??
マヨ:そうそう。
テン:あ、第4画面(p.6)でもリスのぞいてるわ。
ナナ:ほんとだ!かわいい~。あ、第5画面(p.7)にカタツムリもいた!
テン:ほんまや!知らんかったー!
マヨ:だから、いろんなところにおんねんな、1箇所だけじゃないねん。
ナナ:へぇ~、隠し絵というか…。
マヨ:どっかにアリもおるはず…。あ、第10画面(p.12)やね。ほら、右側にカタツムリもおるし。
テン:すごいなぁマヨさん…。「エッツのサービス」は色々ありましたね。
ナナ・マヨ:うんうん。
行きて帰りし物語?―リミナルな領域
『昔話の人間学:いのちとたましいの伝え方』鵜野祐介(ナカニシヤ出版 2015年)
テン:この本に、「リミナル」について話してるとこなかった?
通過儀礼(※)ってあるやん。
15歳くらいになると、森とかにいって、きちんと戻ってきたら一丁前になる、っていうような儀式。
民族によって色々あるみたいやけど、簡単に言うたら、少し「怖い」とか「頑張らないと乗り越えられない」みたいな条件を、くぐりぬける儀式というか。
通過儀礼(つうかぎれい:rite of passage)とは、出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。人生儀礼(じんせいぎれい)ともいう。イニシエーションの訳語としてあてられることが多い。通過儀礼を広義に取り、人生儀礼を下位概念とする分け方もある。
イニシエーションとして古くから行われているものとしては割礼や抜歯、刺青など身体的苦痛を伴うものであることが多い。こうした事例は文化人類学の研究対象となっている。(Wikipediaより)
『もりのなか』を通過儀礼と思った訳じゃないんやけど、通過儀礼の概念の中に、「リミナル」っていうのがあって。
要は、"境界性"とか"過渡期"みたいなイメージかな。
通過儀礼で言うと、例えば行く前は「こども」で、帰ってきたら「おとな」。
その"間"の時間があるやん。
そこのことを指すと思うねんけど…。
で、まず『もりのなか』って空想世界と、現実世界の"間"やなと思って。
完全ファンタジーって言うよりも、"その手前"みたいな。
それと、エッツがこれを描いてる背景には、旦那さんが死に向かっていく…手の施しようがなくて、もう最期はそこで過ごします、っていう状況があって。
この最後のページは、旦那さんが亡くなったあとに描いてる感じもあるやん(絵本トークvol.9「もりのなか」①参照)。
また会おうね、って。
制作の細かい時間軸は分からないけど。
そういう意味では、現実と空想の世界の"間"はもちろんだけど、肉体的に生きてることと、死んでしまうことの"間"、この世とあの世の"間"(日本では"三途の川"のような考え方がありますね)みたいに、いろんな"間"を感じる。
そのあたりのことを指して、「リミナルスペース」っていう話が、この本に書かれてなかったかな~と思って。
マヨ:あ~!なんかあったなぁ、それ!
ナナ:…?リミナルスペースとは…?
テン:例えば、森に通過儀礼に行くならその森のこと。
たぶん何かから何かに変身する"間"とか"過程"のことを「リミナル」って言うんやけど。
大事なのは、"境界性"であって、"境界線"じゃないってことやねん。
その"域"とか"エリア"みたいなことを指すのかな。
「まだ何物でもない」「どことも言えない」「何時とも言えない」っていう、その「あいまいさ」を表す言葉、考え方やったと思うんやけど。。。
マヨ:待ってや~…。(該当箇所を探してくれている)
テン:『もりのなか』を読んだ時に、なんか「リミナル」な感じがするな~ってめっちゃ思って。
空想世界と現実世界やったら、完全にはっきり分かれてるやん、別物として。
ナナ:うんうん。
マヨ:あ、あったー!
引用:「・・・人間界と異界との境界領域である。このように属性のあいまいで過渡的な空間を、カナダの民俗学者ピーター・ナーヴェスは「リミナルな空間(liminal space)」と呼び・・・英国スコットランドの民俗学者リザンヌ・ヘンダーソンとエドワード・カウワンは、ナーヴェスの学説を踏まえて、リミナルな世界を空間概念のみならず時間概念にも発展させた。この世界は昼と夜、夏と冬、生と死といった、対照的な二つの時間(帯)からなっており、時間Aから時間Bに移行する際、あいまいで過渡的な時間(帯)を通過することになるが、これを「リミナルな時間」と呼ぶことができる。具体的には夕暮れ時や夜明け前、春や秋(お彼岸)、胎児・乳幼児期(子ども期)や死亡前後(老年期)である。 (前掲書p.133より)
テン:それそれ。やっぱり好きだなー、その考え方。
ナナ:へぇ~。私、初めて聞いた。おもしろい!
テン:ファンタジーっていうものは、完全に異界に行ってるやん。
例えば…『かいじゅうたちのいるところ』(モーリス・センダック じんぐうてるお訳 富山房 1963年)とかさ、怪獣の島の場面とか、完全なる「空想世界」での出来事やと思うねん。
それに対して『もりのなか』は、最初から最後までずっとその途中というか、道中な感じがして。
ナナ:ああ、なるほど。
児童文学だとわかりやすいかも。
『ナルニア国物語』シリーズ(C.S.ルイス 1950年〜)とか『ハリーポッター』シリーズ(J.K.ローリング 1997年〜)とか。完全なる空想世界。
マヨ:うんうん。
それに対しての「リミナル」。この鵜野さんの本でいえば、「あいまいで、過渡的な空間」ってやつね。
時間概念では"幼児期"とかも当てはまるから、まさにそういう事やんね。成長の過程というか。
テン:うんうん。
ナナ:ちょっと脱線するかもなんだけど…。
林明子さん(※)が自分の絵本について、「ちょっとファンタジー」って言い方しててさ。
なんか、”現実の生活のなかに空想の余韻が残っている”みたいな。
読んだ子どもが、自分の日常にも起こりそうな気がする…ってなる、リアルさの残るファンタジー。
※林明子(はやし・あきこ)=絵本トークvol.1〜4で取り上げた、『はじめてのおつかい』(筒井頼子作 福音館書店 1976年)などで知られる絵本作家、画家。ナナの研究対象です。
テン:ああ~!
ナナ:例えば、『おふろだいすき』(松岡享子作 林明子絵 福音館書店 1982年)。
テン:うん!!これ大好き〜!
ナナ:おもちゃのアヒルが出てくるんだけどさ、空想の世界では本物のアヒルになってるんだよね。
で、現実世界に戻るとおもちゃのアヒルに戻る。
だけどよく見ると、正面を向いたおもちゃのはずが、最後のページでは真横向いてるの。
…あれ?みたいな印象が残るっていう。
つまり、このアヒルがさ、空想世界と現実世界が地続きで、本当にあったんじゃないかと思わせるアイテムのような役割してるんよ。
…ちなみにこのアヒルの変化、詞では一切語られなくて、林さんがオリジナルで絵に仕込んでるの。
で、こういうあいまいな表現を、林さん「ちょっとファンタジー」って言ってて。
今、リミナル、過渡的、境界性っていうの聞いて、それだー!って。(笑)
学術的に言うとそうなるのか!と思った。
テン:その「リミナル」を、鵜野さんは「あわい」って訳してる。
ナナ:「あわい」って"色が淡い"の"あわい"かな?
マヨ:あえて平仮名で「あわい」ってしてるね。
テン:ぽわ~んとしたイメージかな。
これを初めて学んだ時、純粋なファンタジーとも現実とも違う物語って色々あると思うけど、差別化できるなぁって思った。
ナナ:うわ~!論文書いてるときに知りたかったなぁ、それ……。使えたやん…。
テン:元永定正(※)の研究してるときに、あの空間をどう表現したらいいんやろって思って…。
ファンタジーみたいな空想世界かと言われたら、一言でそうとも言えないし、でも現実でもないしな…いやもしかしたら現実か?とか(笑)
※元永定正(もとなが・さだまさ)=『もこ もこもこ』(谷川俊太郎作 文研出版 1977年)などで知られる絵本作家、画家。テンの研究対象は、抽象絵本や現代アーティストの絵本です。
ナナ・マヨ:うんうん(笑)
テン:そういう時にちょうどこの辺を学んだから、引っかかったのかも。
マヨ:『もりのなか』は、「リミナル」も「ちょっとファンタジー」も当てはまるね。
テン:「ちょっとファンタジー」もめっちゃ素敵な言葉やね。
マヨ:『もりのなか』も『おふろだいすき』もモデルがおる(※)から、「リミナル」で「ちょっとファンタジー」なんかもね。
※エッツが、森で出会った男の子を『もりのなか』のモデルにしたのと同様に、林さんの『おふろだいすき』の男の子も、甥っ子をモデルに描いています。
テン・ナナ:うんうん。
テン:絵本の場合、そういう表現の方が共感性が高いんかな。
でも、ファンタジーは別世界を体験できるワクワク感があるし、一方で「ちょっとファンタジー」も別の意味でワクワクする。
ナナ:そうね。"自分の身にも起こりそう"っていうワクワク感がある。
児童文学のファンタジーと、絵本の「リミナル」かぁ。。。
成長すると、想像力が深まって興味の対象も変わってくるから、完全ファンタジーを好むのかな。
それこそ、「リミナル」な絵本は、その"過渡期"の存在なんだろうね。
完全なる異世界なのか、異世界への道なのか…。エッツがどういう風に捉えていたか定かではありませんが、最後のページの余韻を考えると、本当の異世界はその向こう側にあって、その先の物語は、読者一人ひとりにゆだねられている感じもありますね。みなさんは、どんな続きを想像しますか?そんなことを思いながら、続編『またもりへ』を読んでみるのも楽しいかもしれません。