『もりのなか』②―モノクロームなのにカラー?!
『もりのなか』は、日本で翻訳されたのが1963年というのもあり、絵本学に関する書籍では比較的多く取り上げられています。また、日本にこの絵本を持ち込んだ福音館書店の編集者、松居直さんも、自身の著書で度々取り上げています。ここからは、それらの文献を引用しながら、今までの絵本学で語られてきた『もりのなか』を追い、自分たちの読み取りも同時に語っていくスタイルに。
構造や色彩のはなし
マヨ:この絵本のレビューとか見てるとさ、「モノクロ絵本やのにちいさいときこの絵本カラーやと思ってました」っていうのがあってん。
ナナ:あぁ~、それだけ色彩が感じられるってこと?
マヨ:そうそう。動物とか全部、白抜きで浮かび上がらせる感じで描いてるから、子どもが夢中になって読むと、色が見えてくるんかなぁって。
テン:例えばクマとかは、「おおきなちゃいろのくまが」(第11画面)って詞が書いてあるし、そういうのも、色を想像させてるのかもね。単色でカラーに見せてしまう表現力ってすごいよなぁ。
マヨ:なんか、(エッツが)児童心理学とか学んでるからこその、子どもへの理解の深さというか…。
ナナ:うんうん。
松本猛『絵本論:新しい芸術表現の可能性を求めて』(岩崎書店 1982年)
テン:「第4章 絵本の構造1 絵本の画面とその種類 表紙・裏表紙・見返し・タイトル画面」ってところで引用されてる。
ナナ:構造のほうか~!
テン:絵本って、表紙と裏表紙が違う表現(絵)であることの方が普通だけど、『もりのなか』は、表紙と裏表紙が合わせて一枚の絵で構成されてるっていう話のところやね。
マヨ:行進してるシーンやもんね。
松居直『翻訳絵本と海外児童文学との出会い』(ミネルヴァ書房 2014年)
テン:「第二章 海外の絵本を翻訳出版する 一、『世界傑作絵本シリーズ』の刊行をはじめる」にあるね。
「左から右へ進むストーリー…この頃、横型左開きの絵本を何冊か出していましたので…―(中略)―…色はありませんが、自分のなかに見えるのは色のある世界です。」だって。
さっきのレビューの話と同じや。
マヨ:うんうん、やっぱりそうやねんな。
テン:「私は、このことを『鳥獣戯画』で体験しました。」
マヨ:そうね!確かに!(笑)
テン:絵巻物と進む向きは違うけど(※)、確かに構造は似てるね。(『はじめてのおつかい』の進行方向も、左から右でしたね!…絵本トークvol.3「はじめてのおつかい」③参照)
※絵巻物は右から左へ、『もりのなか』は左から右へ
マヨ:だから、視点がずーっと水平に移動してる。それがエッツが実際に見てた光景なんやろな。
ナナ:松居さんが言うように、当時の海外翻訳絵本の版型って、「岩波の子どもの本(※)」とかが主流で、あの小さい版型かつ、縦書きの左開きに直してたやん。もしそれだったらこんな構造は再現できないから、この横長の版型で出せた価値は大きかったんだろうね。
※ 1953年に、岩波書店から刊行が始まった絵本シリーズ。海外名作絵本の翻訳が中心で、A5判縦書き左開きに統一された規格が特徴です。
福音館書店の月刊絵本「こどものとも」と並び、戦後の日本の絵本の発展に大きく貢献しました。
松居直『絵本とは何か』(日本エディタースクール出版部 1973年)
テン:「第1章 絵本とはなにか 7 絵本とさし絵」ここでも色のことを語ってるね。
「…黒一色というのがかえって効果的に物語の世界を感じさせてくれます。…絵本には豊富な色がなくても、物語を十分に伝えてくれる絵があればよいのです。…見事に物語の世界を描き出していれば、子どもはその絵から十分に物語をよみとり、色の世界を想像します。」
マヨ:色の話で言うと…、ここに色彩の着いたバージョンの絵があります。
テン・ナナ:ぅえええっ!?なんで!?!?!?
マヨ:これが、エッツの描いたカラーの森の中のラフです。(ドヤッ)
著作権の関係で内容がお見せできず残念…!気になる方は、以下⬇︎のカタログに載っているので見てみてくださいねっ。
※『絵本の100年展』(発行所 朝日新聞社 1999年)
ナナ:それはそれで綺麗だけどね…。
マヨ:でもかなり印象変わることない?
綺麗やけど、モノクロの方がやっぱり完成されてる…。
ナナ:色着いてるやつは、エッツの頭の中を覗いてるみたいな感じだね。
絵本否定論!?
テン:色の話の次は、「10 絵本否定論」っていうところに載ってる。
ナナ:ほう。。。
テン:「子どもに絵本をみせると、さし絵のためにかえって子どもの想像力がしばられて、伸び伸びとした自由なイメージをえがく力がそこなわれてしまうという意見を耳にします。・・・物語は絵本でみせるより、語りきかせるだけのほうがよいというのです。」
松居さんの意見としては、"想像力の欠如を招くっていうけど、詞で語られてない部分は絵を読んで物語を想像させる力が絵本にはあるでしょ!"っていうことかな。
マヨ:それもな~、むずかしいよな~。
ナナ:要するに、語り聞かせるだけの方が良いっていうのは、昔話とかの事かな。
テン:かもね~。口承文学(※)とか素話(※)とかの方が、まだ身近だった世代の人たちの意見としては、出て来ても不思議じゃないよね。(この本は1973年の出版なので)
※ 口承文学(こうしょうぶんがく)=文字によらず、口頭のみで後世に伝えられる形態(口承)の文学である。(Wikipediaより)
※素話(すばなし)=客に酒食・茶菓などを出さず、話だけをすること。(「素噺」「素咄」とも書く) 鳴り物・道具などを使わない落語。(goo辞典より) とありますが、ここでは保育現場や家庭でされるような、絵本や紙芝居なしにお話だけを語って聞かせることを指しています。現代では、"ストーリーテリング"とも言いますね。
でもそれはさ、時代が変わった今も似たようなことがあると思う。
今って、ボタン押したら音が鳴る絵本とか、動物のとこ触ったらふわふわの生地が使われてるとか、そういう絵本もあったりするやん。(言語と視覚以外に)聴覚、触覚とか情報が増えるのって一見進歩的に感じて良さそうに思うけど、“頭の中で音楽が聴こえてくる”とか、“ふわふわしてそう”って想像させる余地は奪ってない?…っていう、そういう議論は今でもあるもんね。「想像を掻き立てる派」と「創意工夫派」みたいな構図は同じで、それを「絵本否定論」と呼ぶなら、今も形を変えて存在するなって。流動的なものだとしたら、何が良いか悪いかの価値に、“絶対”はないよね。
ナナ:当時、素話を大事にしていた人たちにとって、『もりのなか』が想像力の邪魔をする存在だから、って否定されたとしてさ。それでも、時代が変わって現代になってみれば、"ボタン押したら音が鳴る絵本なんて!"っていう人たちにとって、かえって『もりのなか』は、ロングセラー名作絵本として肯定される側になるんだよね、きっと。
時代とともに変化しつつも、絵本のあるべき姿について議論が絶えることはないですね。でも、”あるべき姿”に正解ってあるのでしょうか…?どんな形であれ、絵本と”私”とをつなぐものは人それぞれだし、大切な思い出や、好きな絵本は誰にとっても自由だと思います。素直に楽しむ心を忘れないでいたいですね。
テン:「第4章 絵本編集のなかから」に、「エッツとわたし」っていうのがあるわ。
ナナ:好きなんだね~!
テン:松居さんは、『もりのなか』より先に、続編の『またもりへ』を読んだらしい。
マヨ:へぇ~!
テン:「『またもりへ』は、よんでいて続編だということが明らかにわかりましたので、最初の作品はどんな内容なのかと思ってしらべたら、“In the forest(『もりのなか』)”という絵本です。」
ナナ:え、ギンザ??
ナナの聞き間違いから、マヨの即興素話(?)が始まり、煽るテン…。しばらく3人の漫談にお付き合い下さい。(実際はこの三倍くらい話が続きました)
テン:(笑)ギンザじゃない!イン ザ!(笑)
マヨ:やだ~、銀座フォレスト~(笑)(笑)(笑)
テン:なんで“銀座の森”やねん。
ナナ:ゴメンナサイ~(笑)
テン:急に都会。(笑)
マヨ:なんかあれかな、買い物したりするんかな。
「きょうはあそこにいきましょうよ♪」って。
ナナ:あっはー!
テン:順番にな、もの増えていくねんな。
マヨ:そうそう。最後は買ったものでパーティーして~♪
ナナ:なんかイラっとする話だな~(笑)
マヨ:え、なんでイラっとするん~!(笑)
テン:自分で言うたのに。(笑)
ほらまた、「はじめてのおつかい、Amazon編」みたいになってるから。(絵本トークvol.2「はじめてのおつかい」②参照)
最後は脱線してしまいましたが、『もりのなか』が持つ、色や物語を想像させる魅力を語り合うことができました。引き続き、楽しく『もりのなか』を読んでいきたいと思います!
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