令和3年、沖縄の記憶 アダンの下で待っている
まだ暗い朝5時、タクシーで京都駅へ向かう。
人の気配のない道のコンビニの光に安心する。これは文明のあかり。
雨は既に上がっていた。
一人で飛行機に乗るのは初めてだった。
前日まで不安でソワソワしていたのだが、当日はもう眠くて眠くてそれどころではなかった。
バスを待っているあいだ、バスに乗っているあいだ、飛行機を待っているあいだ、飛行機に乗っているあいだ、隙をみては眠る。ハッと起きては不安で心がザワッとする。
飛行機が那覇空港に着陸する。
「沖縄に行く」とは思っていたが、今の今まで「那覇空港」につくとは思っていなかった。そんな状態でも那覇空港に着くことができるんだ。
地上に出て携帯の電源を入れ、空港まで車で迎えにきてくれている二人にLINEで「歯磨きしてから向かってもいい?」と聞くと、「いいよ」という返事のあと程なくして「ごめん急いで、警察きた」とのメッセージ。
警察きたのワード、強すぎる。よく分からないがダッシュで向かう。
ずらっと並んだ車たち、その一つに朗くんの姿が見えた。
後ろの車を警察が覗いている中、知らん顔で車に飛び乗ると、朗くんが運転席のまをさんに「出して」と言った。逃亡犯か?
沖縄は風が強い。髪がばさばさになる。
飛行機が遅れていたことを私は知らなかった。
着く空港も知らなかったし自分の乗るはずの・乗っている飛行機が遅れていることも知らなかったのに、ちゃんと沖縄には着く。その便利さ、おかしさ、ありがたさ。
借りた車に乗って、昼食をとるため、おさかなセンター的なところへ向かう。
イラブチャーという魚がおいしいとタクシーの運転手さんに勧められたという。かき氷のシロップみたいな青い色をした魚だった。
朗くんは、ロブスターが食べたいとしきりに言っている。
最後までうんうん悩んで、結局伊勢海老(うにソースがけ)を買ってきた。ロブスターの楽しみはまだ残しておくんだそうだ。
「築地市場でバイトしてたから、このうにソースが普通の瓶詰めのやつやっておれは知ってる」
それでも買ったし、初めこそ微妙な顔をして食べていたが、そのうちこのうにソースこそがウマいんじゃないかという結論に到る。
隣接のお土産屋さんにうにソースは置いておらず、沖縄限定のバヤリースシークワーサー味は砂糖水の味がした。
ひめゆりの塔に向かっている。
街並みがどんどん「沖縄っぽく」なってくる。
教科書で見たことのある、「沖縄の家」。草が茂っている場所が多い。沖縄は土地が余っているんだな。
既に育っている大きな木に、寄生させるみたく、若い葉っぱを接いでいる木がいくつもある。葉っぱを見るに、同一の木ではなさそう。木のキメラだと思った。どういう意味があるんだろう。共生させることでなにか利点があるからそうさせているのだとは思うのだが見当がつかない。
今年の6月にリニューアルされたというひめゆり平和祈念資料館へ入る。
リニューアルのテーマは「戦争からさらに遠くなった世代へ」。
親しみを感じられるよう工夫されイラストや写真、映像をふんだんに使用しながら語られるそれらからは、一様な「軍国少女たちの悲惨な体験」ではなく、それぞれが一人一人普通の女の子で、普通の学生生活を送り、普通に戦争に巻き込まれていったことが感じられる。
「○○さんは」「○○ちゃんが」
映像の中で、語り部の方が、先生や同窓生の名前を呼ぶ。
人の話を聞くとき、顔も知らない他人の名前というのはほとんど意味を為さない気がしている。
誰かを表す記号以前に留まってしまうというか、男とか女とか、警察官とか看護師さんとか、そういう大きな括り程度の認識しか持てない。
大学生の頃、友人から聞くたくさんの男の子たちの名前がちっとも覚えられなかったことを思い出した。
けれど、人はその人を強く意識すればするほど名前を呼ぶ。
映像の中で、何度も人の名前を呼ぶ彼女は、まだその人の側にいるのだと思った。
また、展示には悲惨な場面だけでないアナザーストーリーも描かれていて、しかもそれがとても有意に設置されていたように感じた。
はじめは楽しい一面もあった、遠足みたいな雰囲気だった、というのも嘘じゃない、本当のこと。
先日知り合いが亡くなった。
ご夫婦ともに、公私ともお世話になっていた方で、奥さんがご病気をされていること、でもそれを公表したくないこと、関係柄、少しは闘病の様子も漏れ聞くことがあった。
訃報をお伺いしたとき、私の周りの人間はたいそうショックを受けていたが、私はただ「もう会えないのか」と思った。
二度と会えないことと死んでしまったことの違いが分からない。
二度と会えないことと二度と会わないことの違いが分からない。
その人が亡くなって悲しいことよりも、その人が亡くなったことによって今目の前にいる人たちが悲しんでいることが悲しいと思った。
訃報の翌日、ご遺体の安置されているベッドの脇で、朝まで酒を飲んだ。
旦那さんは笑いながら奥さんの話をして、ときどき目を赤くしていた。
一日空いて、実家に喪服を取りに行って、翌日お通夜、その次の日はお葬式。
二日間受付をして、参列の250余名の顔をずっと見ていた。
同窓会みたい、と誰かが言う。その日の晩も、近所のコンビニで酒を買ってきて、会館の閉まる午前1時まで棺のそばで酒を飲んだ。
ただこの場所にいる。こんなふうに過ごす時間はいつぶりだろう。なぜかなつかしい。たくさんの人が誰かを偲んで集まるこの場所を尊いと思った。
自宅で一人介護をし、自宅で看取った旦那さんは、「あの10ヶ月、しんどかったけど、悪くなかった。まだまだ続いてもよかった。」と言った。
お葬式の翌日、私は喪服も片付けないまま沖縄に発った。
人と人との時間、営みだから、決してイメージされている一色には染まらない。
人間も物事も多面体で、見る角度と当たる光によって見え方はさまざまなのだから。
ところが人の記憶というものはたいそう大雑把なもんで、脳はすぐに物事を単純化しようとするし、わかりやすくまとめたがる。
だからこそ記録が大事で、私は記録をしていたい、と思う。できるだけの全てを。物事は一様ではなく、グラデーションが確かにそこにあった、そのことを私は忘れたくない。
資料館前には人懐っこい黒猫がいた。
営業中っぽいスーツ姿の男性に擦り寄っている。男性は困った顔をしながら、それでも満更でなさそうだった。
続いて、平和祈念博物館に向かう。
道中、朗くんがハッとして鍵がないと言う。
あのときかも、ジャンプしてガードレール超えたときかも。でもそれやったら音鳴ると思うし私かまをさんか気づくと思うけどな。いや革のケースに入ってるから音鳴らんねん。それにしても後ろから追いかけてたからなんか落ちたら気づくと思うけどなあ。
というかどこまであったんか分からん、なんなら今日じゃないかも、昨日からもうないかも。そんなことをぶつぶつ言っている。
諦めようとしている(でも諦めきれない)のが見て取れて、かわいそうで健気で不憫。
大きな窓から、白いシャツに黒いスラックス姿の男の子たちが海を見ていた。
証言ビデオの中、語り部の方々たちの「それらしさ」を思う。
語れば語るほど型ができてくる。最適化され、ロールプレイになってゆく。
語る人、語らない人。
それぞれだけれど、勝手だけれど、語ってくれることを、勝手に、ただ聞いている。
博物館を見ているうち、いつの間にか二人とはぐれて、私は一人展望台に向かった。
エレベーターから降りると、ぐるりガラス張りの狭い空間。
窓一枚隔てた、少し彩度の落ちた沖縄の海が見える。波が寄せては返す。それを無限に繰り返している。
閉館のアナウンスが流れ、博物館から外に出た。
公園内の小さな川に太陽の光が反射して、宝石をひとつぶ落としたみたいに光っている。
朗くんと落ち合って、ずらりと並ぶ刻銘碑を眺めていた。そのうち一つにお花と線香がお供えしてある。
まをさんがくるから、「隠れよ」と朗くんが言う。私と朗くんは石版の影に隠れる。まをさんを見る。
ところがまをさんはこちらに目もくれず、海のほうへずんずん進んでゆく。修学旅行の学生達の間を突っ切って、ずんずん海の方へ進んでゆく。
まをさんすぐにどっかへ行ってしまう。まをさんを追いかけて歩く。途中で見失って、諦めて、階段を登ってゆく朗くん。私は迷って、朗くんを追いかける。
登りきってみると、そこは霊域ゾーン。50もの慰霊塔がずらり並んでいて、ひとつひとつが小さな家のよう。まるで町だった。
ドラクエのダンジョンみたい、と朗くんが言う。「間違ってきちゃった、ここではストーリーが進まん場所。」
時が止まっている。
彷徨う、という言葉が頭に残っていた。
アダンの陰で待っていたもの。
アダンの陰で祈っていたこと。
食べられないパイナップル、アダン。
だんだんと日が暮れて、あたりが暗くなってゆく。
慰霊塔エリアを先まで行って、これ以上は暗くなるからと引き返してくる。
まをさんに電話をかけようやく合流する。あひるか何か、黒い鳥が遠くでガーと鳴いた。
「どこ行ってたん?」「上」「おれらもそっち行ってたのに」
「すれ違ったの気づいてたよ」とまをさん。
「なんで声かけてくれんかったん」
なんでだろうね。
帰り道、車の中から見た遠く、ホテルの窓か何かを点灯して、祝50thという文字が描かれていた。
ホテルに帰り、荷物を置いて街に出る。やぎ料理を食べるため「美咲」さんへ。
ママさんがふたりで切り盛りされているお店のようだった。
朗くんとまをさんは昨日も来たらしく、すっかり知り合いのようにして和気藹々と会話を重ねている。
ママさん達は親切でやさしく、料理はどれもおいしく量は山盛り、オリオンビールは水のようにぐいぐい飲め、私たちは観光客だ。
「観光客だ」という感じ、これってなんなんだろう。
お互いに、二度と会わないだろうという合意の上でコミュニケーションを重ねること。その気軽さ、軽薄さと意味。
次に来たとして、そのときこの人たちは私たちのことを覚えていないんだろうなと思う。
少なくとも私は、記憶に残る人間ではないから。
鳥居さんと合流し、焼き鳥屋さんへ向かった。
無愛想な店員さんに、「最低限の力で働いてていいわ~」と言う鳥居さん。
旅先の沖縄だからゆるせるが、もし京都で会ったら私はこの店員をだいぶ嫌いになるなと思った。
続けて鳥居さんの行きつけだというカラオケスナック「春ちゃん」へ渡り、酒を、飲む。飲む。
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鳥居さんはひとり歌を歌っている。陽気な人だな。
店を出て、まおさんがどこかへ走ってゆく。朗くんがそれを追いかける。捕まえてはまた逃げられる。それを繰り返して、なんとかタクシーに縛りつける。
まをさんが、走行中のタクシーの少し開いた窓からゲロを吐いた。
「さいふがない」と言うまをさんの声で目が覚める。
ジャケットと携帯は回収したが、そう言えばさいふを見た記憶がない。一瞬で「これはないな」と気づく。
朗くんは文句ひとつ言わずにベッドから起き上がって、着替えを済まし、まをさんと一緒に昨日歩いた道を探しにいくという。
私は眠気に勝てず、もう一度ふとんをかぶった。二日酔いの予感がもうそこまで来ている。
チェックアウト目前の10時、なんとかベッドから這い出る。
まだ帰ってこない二人に「見つかりましたか?」とLINEをすると「ない」との返事。ないよね。
でも借りた車の返却時間が迫っている。
レンタカーの業者さんが、地元のやんちゃなにいちゃん達がやっているという感じでいろいろと不安、不安らしい。
難癖つけられるのが不安でありとあらゆる保険に入ったし、1分でも返却時間に遅れては不安、とのこと。
急いで車を返却し、そのままの勢いで飛行機に飛び乗った。
朗くんとまをさんはけろっとしているが、私は二日酔いで瀕死だ。大阪まで飛行機で2時間、大阪から京都まで電車で1時間寝られる。もう目をつむるしかない。最後に車窓から見た川が宝石をこぼしたみたいに光っていた。
沖縄から帰ってきて、ときどき、やぎ雑炊のあの脂っこさ、あの獣くささを思い出す。
警察に電話をしてみたら、まをさんのからっぽの財布だけが届いていたらしい。
朗くんの鍵は見つからず、朗くんは今も自転車に乗ることができないでいる。
おわり