アセクシャルが推しに恋をした理由を考える
※これは、私が自分の性について整理するために書いた備忘録です。便宜上「アセクシャル」という言葉を使いますが、私は人の数だけセクシャリティがあると考えています。すべてのアセクシャルがこうではありませんし、私のことをアセクシャルではないと思う人もいるでしょう。ただ逐一を説明していては冗長になってしまうため、アセクシャルと表現させていただきます。
自分が普通だと思っていたころの話
どうやら私はアセクシャルという存在らしいです。人間の性嗜好を型にはめることに違和を感じるので、あまりこの言葉を好んではいませんが、わかりやすいので使います。性欲が一切ありません。もちろん処女。高校生までは人並みに恋をしました。好きな人と話している時間は、それはそれは幸せでした。相手からの好意もうれしかったです。でも、性行為をしたい気持ちは全くありませんでした。当時は自分に性欲がないなんて思っていませんでした。保健体育で、「性行為は自分で責任を持てるようになってから」と習ったからだと思っていました。優等生ですね。彼とはお互いに忙しくなり、高校生のうちにお別れをしました。その後大学入学を機に上京、あっという間に「自分で責任が持てる年齢」になってしまいました。
自分がおかしいことに気づいた話
大学生のころ、仲良くなった男の子がいました。私も彼と話しているのは楽しかったし、きっとこのまま付き合って、大学生になったしそういうこともするんだろうなと思っていました。予想通り出会って2か月ほどで付き合いはじめ、デートの予定が立ちました。ショッピングモールを並んで歩き、食事をし、次は何をしようかと話している時ふと、彼が手をつなぐことを提案してきました。その瞬間、全身の毛が逆立つのを感じました。手をつなぐこと自体に性的な意図はなくとも、彼にとって彼と私が男女であるということを認識させられた途端、初めて感じる種類の嫌悪を感じました。その場ではとっさに「今手汗やばくて…」とごまかしましたが、もちろん空気は微妙。そのまま解散しました。
別日、今度は特に確認をとることなく手をつながれました。きっと、世間的に見ればかなりスマートで、理想的なエスコートだったのでしょう。拒絶するわけにもいかず、その日はそのまま隣を歩きました。
その夜、さすがにまずいと思い、たくさん考えました。なぜ手をつなぐことが嫌なのか、周りは普通にやっていることなのに。そして気づいたのが、その先にある「性行為」への無関心でした。私は、三大欲求に従って本能として彼を好いているのではなく、ただ人間として彼に興味を抱いているに過ぎなかったのです。確かに彼のことは好きでした。でもそれは、同性の友人へ向けられるものと変わりません。もちろん異性の友人とも。でも彼は違った。私には存在しない欲求を満たす快楽を私に求めている。そのことが、非常に気持ち悪く感じました。とんだ被害妄想ですね。手をつないだ彼を責める気持ちはありませんでした。それは至極当然だから。私もそう思っていたから。でも、どうしても、それ以来彼といる時間を楽しいとは思えなくなってしまいました。付き合って一か月ほどで、「ごめんなさい」と伝えました。
「推し」という恋愛対象を見つけた話
現在の推しには、大学の彼とほぼ同時期に出会いました。面白い考えをする人だな、という興味が始まりでした。日常に少しずつ推しが加わっていくのと並行して、当時の彼との問題が起きました。自分が異常であることに気づきはじめ、そこから目をそらすかのように推しの配信を見続けました。相変わらず、彼が展開する理論はとても面白く、面白い人間が好きな私はどんどん彼を「好き」になりました。ここで一つ注意したいのは、私は大抵の人間が好きです。他人の考えを聞くことが好きで、その興味を満たしてくれる人間のことがとても好きです。友人への好きも、元カレへの好きも、推しへの「好き」も、すべてこれだと思います。そしてその好き一つ一つが、私にとっては異なる物でした。きっと多くの人が、「母親への好き」と「親友への好き」は別物かと思います。私にとってはそれがすべての好きに当てはまります。「友人Aへの好き」と「友人Bへの好き」は、先の例と同じくらい別物です。だからこそ、「恋愛としての好き」という概念が存在しないのです。全部別物だから。高校時代の彼と、大学での彼への好きももちろん別物でした。それでも、相手から「恋愛としての好意」を伝えられた時に、「きっと自分のこれも恋愛なんだろう」と思い込みOKをしていました。相手には本当に悪いことをしたと、今では思います。そうして推しへの「好き」が大きくなる中で、私は気づきました。〈推しは私に何も求めない〉大学の彼に別れを告げた一番の理由は、私が彼の求めに応じられないからでした。彼は私の好きを満たしてくれるけど、私は彼の好きを満たせません。このことに気づいたずるい私は、自分が彼の求めに応じるのが嫌だから別れました。けれど推しは私に何も求めません。自分の形で好きでいていいのです。性欲がなくても、好きな人を好きでいていいのです。お金を払うことで、手紙を書くことで、好きを表していいのです。それに対して、彼は一言「ありがとう」と言います。それが私には、とても心地よかった。自分の好きが相手に迷惑をかけないことが、とてもうれしかった。これが、私が推しを好きでいる理由です。そしてこの「好き」を恋と名付けることができたなら、私は「普通」に恋をすることができるのです。
おわりに
おそらくここまで読んでくださった方の中には、私のことをただの潔癖症だとか、処女だから怖がっているだけだとか、被害妄想女だとか思う方もいるでしょう。そう思われても仕方がないと思いますし、私自身、「性欲がない」ことに気づくまではそう思っていました。きっと、大多数の人に理解されないであろうことはわかっています。だって私がおかしいのだから。人間が異性に性欲を持つことは、本能として当然のことです。そうやってヒトは種を存続させてきたはずです。でも私にはそれができなかった。いわば欠陥品です。どれだけ好きであっても愛犬に欲情しないように、私はどれだけ好きであっても人間に性欲がわきません。だから、求めない人に恋をするのです。だってこの人に恋をしていれば、私だって「普通」になれるんだから。
いろいろきっかけがあり、改めて自分の性について考えた、午前2時の乱文です。誰も読まないかもしれないけれど、誰かに読んでほしくて書きました。
真夜中