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【#シロクマ文芸部】赤い傘は見たくない

 赤い傘を見るとじんましんが出る。
 喉が痒くて、苦しくてしかたない。
 頭の中が混濁こんだくする。
 何重いくえにも鎖が繋がれているはずなのに、たった一つの傘を見ただけで、このザマだ。
 脳が今にも破裂しそうになる。
 脳の中に嫌な記憶が押し寄せてくる。
 やめて。
 やめてよ。
 思い出したくない。

 いつも通りの帰り道。
 私と四歳だった娘は一緒に『あめふり』を歌っていた。
 傘をさしながら。
 娘の可愛い傘と私の傘。
 音程の外れた声で歌っている娘の歌声を聞く事が私の幸せだ。
 だった。
 だったになった。
 歩道なのに車が乱入してきて、私と娘に襲いかかった。
 すぐに庇おうとしたけど、手遅れだった。
 私は生きて、娘が死んだ。
 命を奪った奴は娘より私より年を取っていた。
 80代後半を過ぎていただろうか。
 あろうことか、そいつも死んでしまった。
 ふざけるな!
 死ぬならお前だけしろ。
 娘を道連れにするな。
 お前はあと少しの命なのに。
 娘には希望が待っていたのに。
 私の幸せ……しあわ……あぁ、あか、赤い傘が。
 あいつにひかかれて傘が転がっていく。
 娘が大事に持っていた傘。
 娘が駄々をこねて買ってあげた傘。
 ママ大切にするねと約束した傘。
 私からの最後のプレゼント。
 たった四年。
 四年しか一緒にいられなかった。
 冗談じゃない。
 冗談じゃないよ……。

 あれ以来、私は赤い傘を見ると極度のストレスからじんましんを発症するようになった。
 心も脳も不安定になり、たまに街中で叫んだりする事もある。
 医者からはしばらく入院したらどうかとお願いしてきた。
 当然拒否した。
 何もない部屋にこもるより娘の部屋がある我が家で暮らした方が絶対に健康にいいからだ。
 娘の部屋は毎日掃除している。
 いつでも帰ってきてもいいように。

 私は喉を掻きむしりながら街をさまよった。
 通行人は私を見て避けていく。
 私は気にせず喉を掻きむしる。
 ケーキ屋の前で足が止まる。
 そういえば明日は娘の誕生日だった。
 フラフラと亡霊みたいにドアを開けて、中に入る。
「いらしゃいま……」
 可愛らしい店員が私を見るなり顔を強張らせた。
「少々お待ちください」
 店員は慌てて裏の控室に走っていった。
 すぐに彫りの深そうな顔をした男と一緒に戻ってきた。
「ショートケーキをホールで」
 うわ言のように注文したが、男の店員は怪訝な顔をするだけだった。
「注文してもお金がないんでしょ? 毎日毎日無銭で来られても困るんです」
 私の喉から少し血が出た。
 この光景に、女性の店員が小さく悲鳴を上げていた。
「ショートケーキをホールで」
 私はもう一回注文した。
 だけど、男は動かなかった。
「ショートケーキをホールで!」
 声を大きくしてみた。
 けど、男は動かなかった。
「ショーーーートケーーーーーキ!!!」
「分かりました。分かりましたから、そんなに大声を出さないでください」
 店員はようやく聞こえたのか、手早くホールケーキを箱に入れた。
「バースデープレートも」
 私がそう言うと、男の店員は小さく舌打ちをした後、女性の方に目を移した。
 彼女はハッとなって慌てて小さな板を取り出し、チョコペンで娘の名前を書いた。
 それをホールケーキの中に入れた。
「ありがとう……ございました」
 たどたどしい口調で男の店員が挨拶すると、私は店を出た。
 土砂降りだった。
 けど、私には関係なかった。
 家はすぐ近くだから。
 濡れないように駆け足する事も、道中で傘を買う事もせず、黙々と歩いた。
 家に着いて、鍵を開けたらすぐに娘の元へ走った。
 仏壇の周りにはたくさんのホールケーキが並んでいた。
 どれも蝋燭が立っていて、まるで花畑みたいだった。
 一日ごとに買ってくるからか、古いものはドロドロに溶けてアリや蝿の餌になっているのもあった。
 でも、娘は喜んでいた。
 仏壇の中には娘の最高の笑顔の写真が飾られていた。
 私は他のケーキを乗っけて、今日買ったものを置いた。
 少し潰れてしまったが、娘は気にしていない様子だった。
「ハッピバーースデーートゥーーユーー♪ ハッピバーースデーートゥーーユーー……」
 そして、私は調子の外れた音程で娘の誕生日を祝うのだった。

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