【#シロクマ文芸部】月巡る命
「月めくりさーん、月めくりさーん、五番へどうぞ」
病院の待合室に私のフルネームが放送する度に、毎回行く気が失せる。
普通は名前に来るはずの『月』という漢字が苗字になっているだけならまだしも、『めくり』なんて、恐らくこの国で私だけしか使ってないだろう言葉を生涯共にする名前にしているのだから、当然少しだけ周りがざわつく。
役所もよく『めくり』なんて名前を採用したものだ――と、こういう時に毎回思う。
私はすばしっこいネズミみたいにササッと、指定された診察室を飛び込む勢いで、中に入った。
「月さん、毎回恥ずかしい思いをさせてごめんなさいね」
そばかすが魅力の女医は、少しだけ申し訳なさそうな顔をしていた。
「いえ、いつもの事ですから」
私は愛想笑いをして、丸椅子に腰をかけると、本題をぶつけた。
「それで……結果は?」
ジッと主治医の顔を見る。彼女は、パソコンの画面をチラッと見て、そして眼下にある書類も少し見た後、ぶれない瞳を私に向けてきた。
「おめでとうございます」
主治医はそう言って微笑した。
「あなたのお腹に新しい命が宿っています」
その言葉を聞いた時――脳が羽毛で触られたと思うくらいソワソワっとした。
次に胃全体が緊張でキュウとなった後、心臓の鼓動が早くなった。
遂に――遂に。
私は長年の夢が叶ったのだ。
「あ、あの!」
私はすぐさまセールで買ったブランドの鞄から、一枚の紙を取り出した。
「この中だったら、赤ちゃんの名前、どれがいいですか?」
そう尋ねると、主治医は「そうね」と片手で持って、真剣な表情で見始めた。
彼女の意見を待つまでの間、どんな感じの名前を書いたのか、ここに記載しておこうと思う。
①月めぐみ
②月ゆうか
③月あかり
④月ゆな
⑤月としろう
⑥月けんたろう
⑦月ゆうだい
⑧月ゆうや
⑨月ゆうじ
⑩月たいが
⑪月りゅう
赤ちゃんが男の子でも女の子でもいいように、無難なものから、可愛い、カッコイイと思うようなものまで、書いてみた。
でも、こう思うかもしれない。
『普通赤ちゃんの名前を決めるなら、人生のパートナーである夫が決めるのでは?』
確かにその通りだ。けど、私にはそれができない。
夫は――夫になるはずだった人は、もうこの世にいないからだ。
馴れ初めは小学生の時、たまたま同じクラスになった事がキッカケだった。
印象は、どこにでもいそうな感じのイケメンでもそうでもない、可も不可もないような男の子だが、名前を知った途端、印象がガラリと変わった。
「あの――星一等星って言います」
気恥ずかしそうにモジモジと自己紹介する彼の顔を私は今でも忘れなかった。
苗字は今考えたらそこそこ珍しいが、『一等星』というワードが強すぎて、さほど驚きはしなかった。
『一等星』で『スーパースター』。
何と恐ろしいキラキラネーム。一体この子の親はどういう神経で、そんな名前にしたのだろうか。まぁ、私もそうか。
自分よりも強烈な名前が来ると、変に対抗意識というのが芽生え、私はハッキリと自分の名前を言ったような気がする。
すると、彼もまた私と似たような反応をした。
さて、どんな言葉が返ってくるか――期待して待っていた。
が、彼は何も言わなかった。まるでメデューサに石でもされたかみたいに、私の方をジッとずっと見ていた。
「……一等星?」
私は呼びかけてみた。すると、彼の黒の瞳がグニャッと歪んだかと思うと、タララと感情の滝が流れた。
やってしまった――と思った。お互いに名前のせいで辛い目にあっている身であるにも関わらず、無神経に呼んでしまった。
「あ、あの、ご、ごごごごめんね!」
私はすぐさま謝罪した。彼はしゃっくりをしながら両手で両眼を拭うと、「いいんだ」と言った。
「君の……君に名前を呼んで泣いた……訳じゃないよ。僕と似たような名前がいる事に嬉しかったんだ」
この言葉に、私はジーンと来た。
そうか。そうだよね。この世界のほとんどは聞いても違和感のない名前だらけだもんね。変な名前を持っている人がいたら、仲間意識が芽生えるのは、当然か。
そう思っている私も内心は嬉しかった。少しだけ敗北感を味わったけど。
『めくり』と『一等星』というヘンテコネームコンビは、たちまち仲良くなった。
お互いに食の好みや当時ハマっていた漫画一致したという事もあるのだろう。
同級生からは、散々揶揄われたり、野次を飛ばされたりしけれど、彼と一緒だったから平気だった。
けど、私が私立の中学に行ったのをキッカケにバラバラになり、暫くは疎遠になってしまった。
それから10年以上の歳月が流れて、私が社会人として働き始めた頃に、小学生の同窓会の案内が届いた。
イジメを経験した苦い過去を持つものだったら辞退すると思うが、この時の私は即参加に丸をしたのだ。
もしかしたら『一等星』に会えるかもしれないと思った事が決断の要因かもしれない。
迎えた当日、綺麗におめかしをして、会場に行ってみると――人たがりができていた。
ほとんどが女性だった事もあり、有名人が来ているのかと思い、近くまで来てみると――思わず「えぇ?!」と声を上げてしまった。
人たがりの中心にいたのは、彼だったのだ。
顔は幼い時と大して変わっていないが、額を見せたサッパリとした髪型に変わり、身長と脚が高くなっていた。
身なりも如何にも高そうなスーツを着ていて、さながら韓流ドラマにでも出てきそうだった。
そんな彼をどうして『一等星』だと分かったかというと、取り巻く女性達が口々に彼の名前を呼んでいたからだ。
彼は私に気がつくと、人混みを掻き分けてやってきた。
「久しぶり」
キラッと純白の歯を見せて挨拶する彼に、私は10年という時間経過の魔力を感じた。
彼と話しているうちに、私と別れた後の彼の人生も決して楽しいものではなかったが、名前に負けないくらいビックな自分になってやるぜの闘心で努力し、今は海外でも活躍するほどの俳優になっていた。
名前の通りの『スーパースター』になっていた事に、私は夢でも見ているのかと思うくらい驚愕したが、おめでとうと祝福した。
同窓会以降の私と彼との関係は、友達から始まり、次第に恋人同士にまで発展した。
そして、彼はプロポーズした。もちろん、返事はイエスだ。
本当であれば、シワシワの老夫婦になるまでいるはずだったのに。
それなのに――彼は殺されてしまった。
恐らく彼と一般女性との結婚を報じてしまったからだろう。
一方的で過激な愛情を抱いていたファンの一人が、裏切り行為だと逆恨みし、出待ちのフリをして刺し殺したのだ。
彼は腹部からの大量出血で死亡。その報道後に、私の妊娠発覚。
死と生は巡るものなのかなと思ってしまう。
私が妊娠したのは自然な流れとも言える。
彼との幾重もの愛が交わった結果、私のお腹に新しい命ができた。
彼は私の妊娠を聞いて、どう思ったのだろう。喜びはする。それは間違いなく。
そして、絶対にこう思うだろう。
『呼ばれても恥ずかしくない名前にしよう』って。
これは彼のみならず、私も小学生の頃から思っていた事だった。
もし自分に子供が生まれるとしたら、自分みたいなキラキラネームは使わない――と。
だから、あのような王道といえば王道とも呼べる名前にしたのだ。
そうこうしていると、主治医が紙を置いた。
「……うん、どれもいい名前」
開口一番の感想はそれだった。
私はもっとアドバイスがないか聞いてみると、主治医は「そうね」と頬に指をあてて考えるような仕草をしていた。
「そもそも何で名前の部分、全部ひらがななの?」
この質問に私は「え?」となり、改めて候補名を見てみると、確かに名前が全てひらがなになっている。
そういえばあまり意識してなかったけど、どうしてだろう。
私は直感的に思ったことを彼女に言った。
「これは……えっと、『月』っていう苗字自体珍しいじゃないですか。月が頭に付く言葉がたくさんあるんですよ。『月光花』とか『月見草』とか。だから、漢字にしたら変に組み合わされて呼ばれそうで……」
「なるほど……」
主治医は納得した様子で、また紙を見た。
「この段階では、まだ男女の区別はつかないですが……男の子と女の子両方の名前を決めましょうか」
その提案に、私は二つ返事で承諾した。
主治医は早速ある二つの名前を出してきた。
「そうですね……『月あかり』と『月りゅう』とかはどうですか?」
月あかりと月りゅう――その名前を心の中で反芻すると、何故かトクンとお腹を蹴られたような気がした。
まだその時期には達していないにも関わらず、そう感じたのはお腹にいるこの子の意識なのだろうか。
「それにします」
私が頷くと、心なしか腹の中でトトトと拍手されたような気がした。
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