【短編】ようこそ、子供の自分に会える店へ
このレストランに来るのは、人生で最初で最後になるだろう。
グーグルマップで調べても出てこないこその店の名は『リターンチルドレン』。
子供の頃の自分に会えるレストランだ。
この店を見つけたのは、本当に偶然だった。
たまたま仕事や人間関係で悩んでいて、自分の人生とは何なんだろうかと考えていた時に、ふと自販機の隣に小さな貼り紙があって、そこに電話番号が書かれていた。
何の気の迷いか、私はそれの数字の羅列がまるで呪文みたいに見えてきて、勝手にスマートフォンの画面を動かしていた。
勇気を振り絞って連絡して、レストランだと分かると、お店の人からその店の事についての説明を受けて、予約を入れた。
さて、そこからどうやって、その店に辿り着いたのか。外観はどうなっているのか。
それを具に記載したいのだが、お店を予約する上での契約上、絶対にSNSや他人に教える事を禁止されているのだ。
そして、内装もできるだけ記載するのを控えておく。もしかしたら、そこから色々割り出して、特定に繋がる可能性があるからだ。
だが、そうなると数行の感想を書いておしまいになってしまうので、
①子供の頃の自分の年齢と容姿
②そこで食べた料理
③子供の頃の自分との会話(ただ、録音も不可なので、覚えている限りの事しか書けない)
……以上の三つだけなら、特定には繋がらないだろうと考えた。
なので、場面はいきなり過去の自分との対面からスタートする。
完全防音の個室に入ると、そこに12歳の私がいた。
その頃の私は、ジーンズに紫色のパーカーを着ていた。
髪は今よりも短くて、どちらかというと、少年に近かった。
彼女――いや、12歳の私は、今の私を見るなり、目を見開いていた。
私がスーツ姿という事もあるのか、大人の自分を目の当たりにして、緊張のあまり、眼をキョロキョロ、口をモゴモゴさせていた。
あぁ、そういえば、その時の私は引っ込み思案で、家族以外の人と話せなかったっけ。 母に信じられないくらい怒られてから、多少は良くなったけど、今でもその名残りは残っている。
こういう時、どうすればいいのか、私には分かる。
だって、自分だもん。
「こんにちは、昔の私」
私は出来るだけ笑顔を見せて、適度に距離を空けて座った。
12歳の私は、微かに「こんにちは」と軽く会釈してくれた。
そこへウェイターが来て、料理の説明をした。
この店は、コース制となっていて、前菜、スープ、メイン、デザートは指名した歳(私の場合は12歳)までの間の中で思い出に残っている料理が出されるのだ。
私は12歳の私と同じ飲み物を注文すると、ウェイターはすぐに持って来てくれた。
乳酸菌飲料――よく家族でファミリーレストランに行った時、ドリンクバーで飲んだっけ。
「それじゃあ、乾杯!」
私と12歳の私はグラスを重ねて、カチンと鳴らすと、ゴクッと呑んだ。
ウン、ずいぶん久しぶりに飲んだけど、なんか口当たりが良くていいね。
12歳の私もゴクゴクと飲むと、グラスを持ったままホワイトの水面を見つめていた。 タブレットを手に取ると、室内にBGMをかけられる機能があった。
必死に当時の私が好きだった曲を探して、流した。
――響け、シャイニング! 輝け、ファンタジー!
この歌い出しを聞いた瞬間、12歳の私の瞳孔が大きくなった。
「どう? あなたの好きな"マジカルガール"のオープニング曲なんだけど……」
「……ありがとう……ございます」
この時、初めて12歳の私が口を開いた。気を抜けば、音楽にかき消されてしまうほど、幽かな声だったけど、十年ぶりに聞いた私の声は、愛しかった。
脳裏に当時通っていた小学校の登校している様子を思い浮かんだ。
忘れかけていた事も思い出した。
そのちょうどに、前菜がやってきた。
ワクワクハンバーガーのポテトだった。
白い皿の上に、Sサイズぐらいの量が盛られていた。
小盛りではあるが、これも当時の私が食べていた『ワクワクハッピーバーガーセット』を模しているのかもしれない。
ウェイターはポテトの他に、おもちゃがたくさん入ったカゴを持ってきた。
「お好きなのを一つ取ってください」
この言葉を聞くと、私の鳩尾がキュンとした。
チラリと12歳の私を見てみる。
さっきまでの日陰のような顔から、明るくなって、おもちゃを一個一個手に取っていた。
あぁ、そういえば、私もあんな風にしていたっけな。
なんて事を思いながら眺めていると、12歳の私は、マジカルガールの人形を取った。
当時お気に入りのキャラだった青髪の主人公だった。
「ねぇ、"マジカルガール"は今、どこまで進んでいるの?」
私はポテトを一つ摘んだ後、なるべく気を使わせないよう、親友にでも話しかける感覚で聞いてみた。
12歳の私もポテトを一個摘むと、「……チーくんとメンたんが喧嘩しちゃった」と悲しそうな声で言った。
チーくんとメンたん――あぁ、そうか。『チーくん』は『チーマ』という学年トップの俊足のイケメンキャラと、『メンたん』は『メン』という青髪の主人公のことか。
二人は幼馴染で、えっと、チーくんがメンに片思いしていたっけ。
その回は確かクリスマスにケーキを落っことした事がキッカケで喧嘩になって、その後は――いや、ここはもう一人の私と話しながら思い出そう。
そう思った時、12歳の私のポテトの皿は空っぽになっていた。
「あげるよ」
私はほとんど手を付けていないポテトの皿と空の皿を交換した。
12歳の私は、当然ながら遠慮していたが、少しだけ考えているような顔をした後、「ありがとうございます」と、今度はしっかり聞こえる声でお礼を言って、ポテトを一口食べた。
「あの……」
すると、今度は向こうの方から、声をかけてきた。
私は穏やかな声で「なに?」と言うと、12歳の私は「あの……チーくんとメンたんは、このまま永遠に仲悪いままで終わってしまうんですか?」と聞いてきた。
「え?」
私は一瞬何を尋ねているのか理解できなかったが、すぐにこの質問をした経緯が分かった。
恐らくその回はクリスマスに放映されたのだろう。ただ次週は年末の特番があって、続きの放送は来年になるという情報が、エンディングの最後にでも流れたのだろう。
つまり、二人の行方がどうなるのか、気になって仕方がなくて、未来の私に聞いたのだろう。
なんて可愛いんだ。本当に自分なのだろうか。
私は今にも抱きしめたい衝動をグッと抑えて、「うーん、ネタバレになるけどいい?」と一応事前確認をとった。
12歳の私はウーンと首を傾げて、「良いか悪いかだけお願いします」と軽く頭を下げた。
気になるといっても、やはり、そこは嫌なのだろう。
私は「最悪な展開はないよ」とだけ言うと、乳酸菌飲料をグッと呑んだ。
この答えでも、12歳の私は満足したのか、「ありがとうございます!」と元気な声でお礼を言って、バクバクとポテトを食べた。
よしよし、だいぶ打ち解けてきたな。
ちなみに、その次回の話はどんな感じかというと、チーくんがメンに謝り、クリスマスプレゼントをお互いに交換して、さらに二人の仲が深まるというハッピーエンドに終わっていた。
まぁ、子供向けの番組なんて、そんなものだよね。
二つ目のポテトの皿が殻になった瞬間、まるで分かったかのように、ウェイターが出てきて、スープを持ってきた。
豚汁だった。発泡スチロールで出来たお椀の中に、里芋や人参達がモクモクと湯気を立たせていた。
これを見た時に変だなと思った。なぜ『スープ』なのに『味噌汁』なのだろう。普通『コーンスープ』とか出てくるはずだけど。
だが、12歳の私は「うわぁ」と瞳を輝かせて、割り箸を割って、お椀を取った。
「いただきまーす」
ズズッと啜った後、ますます顔を輝かせていた。
「やっぱり……あさがお祭りの豚汁だ」
懐かしむようにポツリとこぼした。
あさがお祭り――そのワードに、ハッとなった。
そうだ。この形状、この料理――まさしくその祭りの出店で食べた豚汁じゃないか。
確かその祭りは、おじいちゃんとおばちゃんが住んでいた商店街で毎年夏になったら開催されていた祭りだ。
豚汁の他にも、かき氷、わたあめ、焼きそば、ヨーヨー、ボールすくい、光る玉が当たるクジなど――色んな出店があった。
公園に向かうと、櫓があって、『ズンズンドコドコピーちゃん』という音頭を奏でながら、踊ったのを思い出す。
あぁ、懐かしいな――本当に。
私が感傷に浸っていると、12歳の私はズズッと汁を飲み干していた。
「あの……お祭りって、まだ残っていますか?」
この質問に、私は少しだけフリーズしたが、「うん! おじいちゃん、おばあちゃんも元気に焼きそば炒めているよ!」と笑顔で返した。
けど、それは嘘だった。
あさがお祭りは、私が小学六年生をピークに、次第に廃れていった。
近隣に大型ショッピングモールが出来た事も重なり、老舗のお店が次々に潰れ、シャター通りとなった。
元気だった祖父母もこの機を境に、ボケ始め、最終的にデイサービスに頼らないといけなくなった。
そんな悲しい未来を12歳の私が受け止められる訳がない。
だから、せめてその現実が来るまで、あさがお祭りは永遠にあるものだと思ってほしい。
私はお椀を取り、啜った。
この何とも言えぬ味噌や野菜の甘み、豚肉の旨味が合わさったスープは、間違いなくあの時に食べた味だった。
人参のシャキシャキとした食感、こんにゃくのクニクニとした食感――歯も覚えていた。
ホゥと気の抜けた息をつくと、自然と涙腺も緩くなったらしい。スッと雫が零れ落ちた。
お互いの味噌汁が空になると、いよいよメインが登場した。
オムレツだった。白身の一片もない真っ黄色なラグビー型のボディに、真っ赤なケチャプの布団がかけられていた。
普通のコースなら、魚か肉のどちらかになるはずなのだが――いや、これはあれだ。
私がどうして、この料理を一目見て、『オムライス』ではなく、『オムレツ』だと直感したのか。
それはが私が人生で一番美味しかった料理が、オムレツだからだ。
12歳の私も今までの中で一番の笑顔も見せていた。
「こ、これって……」
チラッと私の方を見てきたので、ニコッと微笑んだ。
「そうだよ。ホテルニューサマーの朝食バイキングの時に食べたオムレツだよ」
そう言うと、12歳の私は「ほんと?! やったー!」と喜んだ。
二人仲良くいただきますの挨拶をすると、スプーンを持って、ケチャプがかけられている中央からすくって、口に運んだ。
ほぼ同時に「う〜ん!」と漏らし、頬に手をあてていた。
十年前の私も今の私も、あの時の味をしっかり覚えていた。
「やっぱり美味しいですね!」
12歳の私はニコッと笑っていた。もう私とは完全に打ち解けたらしい。
「うん! そうだね!」
私もスプーンを持つ手を止められないほど、この味に魅了されていた。
確か10歳くらいの時に東北へ家族と旅行に行った時に泊まったホテルで食べたんだっけ。
また食べたいけど、なかなかタイミングが合わなくて、結局あれっきりだったな。
いつかお金を貯めたら行こうと思い、さらに一口食べていると、12歳の私が突然スプーンを置いた。
「あの……聞きたい事があるんです」
その瞳は、今までの時以上に真剣な目つきだった。
私はスプーンを持つ手を止めた。
「なに?」
穏やかな声でそう聞くと、12歳の私は深呼吸してから言った。
「中学生の時の私はどうなっていますか?」
この質問に、私はなるほどと思った。
そういえば、この頃の私は受験をして、私立の学校に通うんだっけ。
確かに、家から遠く離れた学校での生活は不安になる事が多い。
だから、今回来てくれたのだろう。
ちょうどいい。私も言いたい事があったのだ。いや、むしろそれを言うために、この店を予約したと言ってもいい。
私もスプーンを置いて、過去の自分と目を合わせた。
少しだけ胸が苦しくなった。本当に未来の話をしても良いかと、最終的に確かめてみた。
12歳の私は、「どんな未来でもかまいかせん」と真っ直ぐに眼を見ながら言ってきたので、その覚悟に私も応えなければと、やる気を出した。
「まずは……友達はできないね」
「そうなんですね……でも、どうしてですか?」
「うまく馴染めなかったのよ。引っ込み思案のせいで、気がついたらボッチになっちゃった」
「やっぱり、そうですか……それで、勉強は」「うーん、そこそこかな。赤点を取ることもあったけど、人並みに頑張れば大丈夫だよ」「わかりました。か、彼氏とかって……」
「彼氏?! う、うーん……片思いで終わっちゃったからな……」
「えっと……告白は?」
「してないね。でも、したほうがいいと思う。後々になって、悶えるほど後悔するから」
「は、はい。肝に銘じておきます……」
その後も、オムレツを食べながら、私は12歳の私の質問に答えた。
私が中高生の時に流行ったことを教えてもポカンとするだけなので、そこはなるべく話さないように心がけた。
色々話している時、ふと自分が素の状態で話している事に気づいた。
今までの私だったら、相手の反応を伺いながら、言葉を選んできた。
それが今では、心に思った事を一切編集することなく、話している。
こんなのいつぶりだろう――と、子供の私を見てみると、彼女もまた同じような顔をしていた。
やはり、自分なんだなと思った。
もうすぐ食べ終わる頃に、12歳の私がまた質問してきた。
「後悔している事って、何ですか?」
後悔していること――その言葉を聞いた時、脳内がビリっと電流がはしった。
後悔している事なんて、山程ある。
思えば、私の人生なんて、後悔だらけだった。
特にアレは。
「……少し長くなるけど……いい?」
確認のために聞いてみると、12歳の私は頷いた。
許可は得たので、この際だから家族にも友達にも誰にも言えなかった事を、過去の自分に打ち明ける事にした。
深呼吸をして、少ししか残っていない飲み物を呷って、喉を湿らせてから話し始めた。「私はね。実は三回死のうとした事があるの。その内の一回は家族にバレちゃったんだけどね。
一回目は中学三年生で、そのときは気が狂っているほどイライラしていて、この世界が嫌で嫌でしょうがなくて……ここにいるくらいなら生まれ変わって別の世界に行きたい……って、思うようになったの。
そこで、ドラッグストアを何店舗もはしごして、眠れる薬を全部で数箱買ったの。
夜中に飲んでみたけど……駄目だった。気持ち悪くなるだけで、一日中ボゥとするだけ。 それでもう自殺はするまいと思っていたんだけど……残念ながら二回目が来ちゃった。
高校一年生の時。まだ心が安定していなかった時期、度重なる課題と同級生の陰口がキッカケで空想にのめり込むようになっちゃった。
その時に見たアニメのキャラクターに恋をしちゃってね。当時の私はその世界こそリアルだと思って、生まれ変わろうとして、しちゃったの。
ホームセンターに酔って、除草……雑草とか枯らすやつを乳酸菌飲料に入れて混ぜて飲んで……眠った。
起きた時はビックリしたね。『あれ?! 私、生きてる!』って。
だけど、そこから地獄だった。
腹が死ぬほど痛くて、気持ちが悪くて、吐いて、漏らしてを繰り返して、これはもう駄目だなと思って、助けを呼んだの。
その時、私は二階の部屋にいたから、両親がいる一階の部屋までを階段で降りないといけなかった。
まるでゾンビみたいに這って降りていった。たまたまトイレに行った母が見つけてくれて救急車を呼んで、運ばれて――気がついたら、一日記憶を無くして病院のベッドに寝ていたわ。
それから一週間ぐらい入院して、家に戻って、学校にも通うようになった。
家でジッとするよりは、そっちの方がいいと思ったから。
でも、半年ぐらいは心がポッカリ穴が空いたっけ。メンタルクリニックにも通ったけど、相手の先生が警察みたいに威圧的な取り調べをしてきたから、平気だと嘘を吐いて、本当は入院になるはずだったのを通院にしてやったわ。
そこからは、絵を描くのにハマったのをキッカケに生きる気力を取り戻して……暫くはしなかったかな。
でも、三回目が起きてしまうの。
つい昨日のことなんだけどね。ありきたりな大学を卒業した後、これもまたありきたりな会社に入って、事務作業とかしていた時、仕事でミスっちゃって……上司にこっぴどく怒られちゃって、『お前みたいな奴は会社になんかいらねぇ!』とか怒鳴ってきて……まぁ、パワハラなんだど。
何だか私の存在すべてを否定されたような気がしてさ。それで、アパート……あ、あれから自立して家賃数万円のアパートに暮らしているの……で、首を吊ろうとしたの。
けど、けっこう難しくてさ……なかなか意識を失うのに時間がかかるのよ。だから、その前に止めてしまったりとかしてさ……何回もチャレンジして、気がついたら朝で、それ会社に通って、またミスして怒られて、どうしようかなと考えていた時に……この店を見つけて。
あなたと出会って、昔のあなたを見て。
何か……懐かしくて、それと同時に刹那くて。
私が後悔しているのは、自殺しようとしたこと。
私がこんなに詳しく自殺した様子を話したのは、自殺はとても苦しくて辛い事を言いたかったの。
ミステリーとかだと、すぐにポクッて死ぬイメージだけど、勘違いしないでね。
そう簡単に死ねないから。人間って。
思ったより丈夫だから。心はガラスのように脆いけど、身体は鉄のように頑丈なのよ。 あなたはこれから先、心が苦しくなるほど辛い経験をしたり、理不尽な思いをしたり、どうしようもならない事もあると思う。
親や兄弟、先生、友達にも相談できない。したくないと思う時もあると思う。
だけど、死なないで。死のうと思わないで。
爆発しそうになっても、アニメでも何でもいい。危ない事でなければ、犯罪にならないのであれば、ストレス解消法を見つけて。
それでもどうしても苦しい時は、スクールカウンセラーとかいるから、そこに相談して。
『相談しても何もならない』とか思うかもしれないけど、あの人達は秘密は絶対に守るし、親切だから。
本当の親のように守ってくれるから。
私も大学生の時に行って、初めてそういう人に会って話した時、『どうして、もっと早くから利用しなかったんだろう』と思って後悔したから……もし同級生に学生相談室に入っている所を見られるのが嫌だと思ったら、無料で電話相談できたり、会って話したりできる所があるから、行ってみて。
絶対にあなたが思っている事を否定しないし、笑ったりもしない。
今はまだそんな苦しみの経験は来ていないでしょうけど、もし来たら、絶対にこれだけは守ってね。
死なないで。死のうとしないで。
死なないで。何がなんでも。
死なないで。誰かに話して。
死ぬことだけは、自殺だけは、本当に後悔しているから。
取り返しのつかない事をしたと思うから。 全部壊れてしまうから。
今のあなたなら、まだ間に合う。
まだ間に合うから。
どうか、どうか、幸せに、幸せに……なって欲しいから……繰り返して言ってるの。
……これでおしまい」
一通り話し終え、私は12歳の私の顔を見た。 話している時は、テーブルの食べ終えた皿しか見ていなかったので、どんな反応しているのか、確認できなかったのだ。
12歳の私は顔を強張らせていた。生きてきて10年幾ばくかの私にとっては、あまりにも内容が重すぎたのだろう。
純粋無垢な黒い瞳が潤んでいた。
「ご、ごめん! 暗くて嫌な話だったよね! ごめんね。本当に……」
私はとっさに謝り、テーブルの隅っこに置かれたスイッチを押した。
すると、ウェイターがすぐに、「どうしましたか」と青ざめた顔で来た。
このスイッチは、私や子供の頃の私に何かあった時の緊急用のものだ。例えるなら、学校の廊下に設置されていた火災報知器のようなもので、それを押すと言う事は、災害級の事件が置きたのと同じ事だった。
私は自分のネガティブな話のせいで、彼女が半泣きになっている事を説明しようと思ったが、12歳の私が「大丈夫です。心配なさらないください」と言ってきたので、私はデザートを持ってくるようにだけ伝えて、ウェイターを帰してしまった。
「でも……大丈夫?」
私が心配そうに聞いた。もし、子供の頃の自分にトラウマを植え付けてしまったら、未来に絶望を抱いて、自ら命を断ってしまう可能性があったからだ。
私は彼女の反応を見て、『どうして、余計な事を口走ってしまったのだろう』と数分前の自分を呪った。
12歳の私は何度も目元を拭っていた。「だ、大丈夫です。あまりにも悲しい話だったので……未来での私はこんなにも辛い目にあっていたなんて……想像すると耐えられなくて……」
今にも泣きそうになっている子供の私に、大人の私は「本当にごめんなさい! せっかくの楽しい食事のムードを壊して……あの、私が話した事は……そのほとんどは忘れていいから。でも、自分の将来に絶望して自殺……」「いえ」
すると、12歳の私が、私の話を遮るくらいの声量で否定してきた。
「私は絶対に忘れません。むしろそうならないように、良い選択肢ばかりを選んで、幸せになります」
確固たる決意のこもった眼差しに、私は何だかジーンと来てしまって、今度は自分が涙腺崩壊してしまった。
12歳の私に宥められた後、ウェイターがデザートを運んできた。
それを見た時、私と12歳の私は声を揃えて、「あっ!」と叫んでいた。
ボールの中に、スーパーボールのくらいの大きさの色鮮やかなゼリー状の球体がゴロゴロ入っていたのだ。
この時、私の頭の中にあるスイーツが思い浮かんだ。
「九龍球だ!」
これもまた私と子供の私が同時に叫んだ。 お互い顔を見合わせて、笑った。
「早く食べましょ」
「うん!」
私が配膳係となって、お玉で球体を掬うと、小さめのスープ皿に入れて、渡した。
彼女はお礼を言うと、今度は自分が私のをよそってあげると言い、さっきと同様に並々とゼリーの球体を入れて渡してきた。
「ありがとう」
母のような笑顔でお礼を言うと、給食の号令みたいに手を併せて、いただきますをした。
ゼリーの中に入っているイチゴが目に入ったので、それを掬って口に運んだ。
「う〜ん! これは……」
私が目を見張ると、12歳の私も「美味しい!」と同じ表情で声を上げていた。
寒天ゼリーやイチゴやキウイといったフルーツをボール状に固めたスイーツは、実に美味だった。
特に、溜まりに溜まった事を吐き出した後の甘いものは骨身にしみるほど格別だった。
実はこのスイーツは生まれて初めて食べた。それなのに、なぜこれに思い出があるのかと言うと、12歳よりもっと昔に、中華街でデザートを選んでいる際、『九龍球』か『亀ゼリー』にするか、悩んでいた。
当時私がよく見ていたドラマに亀ゼリーが出てきた事もあり、私はそれを選んだ。
だが、幼い頃の私が食べるには、亀ゼリーはとても苦かった。
そもそもコーヒーゼリーもあまり好きではなかったので、なぜこんなのを選んだのか、後悔した。
『次、この店に来たら、絶対に九龍球を食べてやる!』
そんな誓いを立てたのもつかの間、その店は閉店し、食べる事ができなかった。
それからふと思い出して食べようと思っても、チェーン店の中華レストランや町中にある老舗の中華料理屋、流行りの中華スイーツに行っても、九龍球はどこにもなく、あれよあれよと言う間に、干支を一周するぐらいまでかかってしまった。
チラリと12歳の私の方を見ると、三、四年ぶりのリベンジを果たせたという感動で頬をいっぱいにして、目に少しだけ涙を浮かべて堪能していた。
私も嬉しくなって、どういうわけか、頭を撫でたくなった。
何の躊躇もなく、頭をポンとすると、12歳の私は一瞬目を見張って私を見ていたが、すぐに緊張を解いて、笑顔を見せてきた。
九龍球が入ったボールが空になると、ウェイターが伝票を渡してきた。
カードは使えるかと聞くと、現金しか使えないと申し訳なさそうな顔をしていた。
このキャッシュレスの時代に対応していないのは珍しいなと思い、タクシー代に取っておいた二万円を渡すと、ウェイターは畏まった様子で頭を下げて出ていった。
「今日はありがとうございました」
12歳の私は礼儀正しく頭を下げて、感謝の言葉を述べていた。
私もとっさに「いやいや! お礼を言うのは、私の方だよ! 本当に楽しかった!」と笑った。
12歳の私も「こちらこそ、今まで生きてきた中で一番楽しかったです!」と全く一緒の顔をした。
「学校、楽しんでね」
私が立ち去り際にそう言うと、12歳の私は「ハイ! 後悔しない人生を生きていきます!」と最初に会った時と比べ物にならないほど声を張って、ペコリとお辞儀をした。
私は名残惜しくて、何度も彼女の深々とし頭を下げた姿を見ながら、出口へと案内するウェイターの後をついていった。
12歳の私と別れ、店を出た。
そして、これまでの出来事を忘れないように、携帯電話のメモ帳に契約に違反しない限り、残すことにした。
余す事なく書いた後、私は家に帰るべく、街頭もまばらな夜道の中を歩いた。
自分の言いたい事を話したからか、今まで溜まっていた膿が抜けたように、スカッとしていた。
その影響かは分からないが、酔ってもいないのに千鳥脚になっていた。
呑気に鼻歌をうたっているから、他者から見たら完全に酔っ払いだろう。
フラリ、フラフラ、フラフラリ。 フラリ、フラフラ、フラフラリ。
気づけば、踏み切りの真ん中に立っていた。
深夜だからか、私以外に誰もいない。
まるで、この世から人が消えたみたいだった。
意味もなく笑ってみる。近くに住宅街があるが、誰も窓を開けて見ようとはしなかった。
吐いた息が、魂のように白くなり、すぐに消えていく。
それを見ていると、またおかしくなってきた。
「アハハ、本当に世界が消えちゃったみたいだ〜!」
堪らず腹を抱えていると、どこからか――いや、目の前で赤いランプが点滅し、カンカンと警告していた。
私は動こうとしなかった。 線路のくぼみに嵌って動けない訳ではない。
自分の意志で動かないのだ。
これでいい。これでいいんだ。
12歳の私は今、私とは違う未来を歩もうとしている。
それをより現実に近くづくためには、不幸な環境にいる私を消さなければならない。 パラレルワールドだったら、しなくてもいいかもしれないけど、未来を変えるには犠牲はつきものだ。
三回もしたくせにまだ懲りないのかって、誰かに怒られちゃいそうだけど。「さようなら……目が覚めたら、良い人生でありますように」 ポツリと呟いた時には、列車はもうすぐそこだった。
嫌な夢だった。
電車に轢かれそうになった時に目覚めた。 ベッドから起きて、サイドテーブルに置かれた水一杯を飲み干し、ホゥと息を吐いた。 それにしても変な展開だった。
謎のレストランで、OLの格好をした私が子供の頃の私とご飯を食べながら、後悔しないためにこうしない、ああしなさいとアドバイスをしていたのだ。
子供の私はハイハイと頷いて、その後、私が今までやってきた事を早送りで展開され、気がつけば、大人になった私が踏み切りの上で立っていたのだ。
そして、現実に戻る。 それにしても私は何でOLの格好をしていたのだろう。
私は今、漫画家になっているのに。
うーん、そういえば、小学生の時にこれと同じ夢を見たような見ていないような――気のせいか。
でも、OLの私の人生、悲惨だったな。将来や環境に不満や不安が爆発して、三回も自殺未遂するなんて。
そう思うと、夢に邁進していた私はなんて幸せだっただろうと思う。
でも、こうなってくれたのは――小学生の時に将来のアドバイスをしてくれた従姉妹のお姉さんのおかげだろう。
確か一緒に食事をした後――あ。 この瞬間、私は夢で見たOLの私が誰か分かった。 従姉妹だ。踏み切りで自殺した従姉妹だ。 あの夢は、全部私が子供の頃に、従姉妹と一緒に経験した時の記憶だったのだ。
私と従姉妹の思い出が次から次へと溢れてきた。 3歳の時に一緒にマジカルガールのヒーローショーを見に行ってくれた小学生の従姉妹。 5歳の時にあさがお祭りに連れて行ってくれた中学生の従姉妹。 8歳の時に中華街で食べ歩きした高校生の従姉妹。 10歳の時には、一緒に旅行に行って、ホテルの朝食ビュッフェで、仲良くオムレツを食べたっけ。
あの時の笑顔が、最後だった。
12歳の時、レストランで会った従姉妹は、すっかり変わり果てていた。
何かから逃げるように酒を飲んで、ベロンベロンに酔っ払って、子供の私に悪影響を及ぼすような話をしてしまい、両親が激怒して追い出した、あの日。
その翌日に従姉妹が電車で轢かれた事を知った、あの時のショックといったら――今思い出しても胸が張り裂けそうになる。 遺影の前で手を合せた時、私は彼女のような不幸な人生にはなるまいと誓って、自分のやりたい事をしようと思った。
引っ込み思案だった性格も変えた。小さい頃から好きだった絵を職業になるくらいまで努力した。
苦労もあったけど、今の私はこうして幸せに生きている。
従姉妹――天国で見ていたら、何を思ってくれているのかな。
私が絵を描くのを好きになったキッカケは、確か従姉妹の一言だったような気がする。
5歳の時に、何となく家族の絵をクレヨンで描いていると、それを見た従姉妹が「うまいね〜! 将来はイラストレーターか漫画家かな?」と褒めてくれたことだ。
そんな大切な恩人がもうこの世にいないと思うと、何とも言えない気持ちになる。
涙を拭おうとティッシュから一枚取り出す時に、カレンダーが目に入った。
そういえば、今日は従姉妹の命日だった。 もしかして、あの夢を見たのは――まさかね。 私は「気のせいか」と目元を拭った後、大きく背伸びをして、丸めたチリ紙をゴミ箱に捨てた。
色々身支度を済ませた後、次回の連載について編集者と打ち合わせをするため、灰色のコートを来て、外に出た。
最近、スランプ状態だったが、今日の打ち合わせはスムーズにいきそうだ。
あの変な夢のおかげで、次回作が決まった。
タイトルは、『ようこそ、子供の自分に会える店へ』。