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藪から棒に文学論 おかしみ9

おかしみの美学は、日本にもあり、フランスにもある。普遍的だって、言いたいんだね」
「いかにも。普遍的なのだから、古典にだってあるさ、部分的には、ね」
「ほう。たとえば?」
「かの有名な三夕の歌さ」
「コホン、コホン、コホン、ってヤツかい」
「そりゃ、三回咳をしただけだろう‥ 藤原定家のさ。」

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

「これも、持ち上げて落としているのかい」
「そうとも言うさ」
「ふうむ‥。花も紅葉もあるかと思ったら‥」
「実は、なかったってわけさ。で、あるのは粗末な漁師の小屋と、ただただ広がるばっかりの海辺、ってわけさ」
「でも、ちょっと‥」
「確かに、厳密には僕のいうおかしみとはちょっと違う。しかし、共通点があるってわけさ」
「共通点‥」
「そうとも」
「それが、持ち上げて落とす、ってことかい」
「そうだね。さっきの月下の一群の詩も、西脇の詩も、ちょっとした滑稽味があった。三夕のほうはといえば、滑稽味はない。だから厳密には三夕の歌は、おかしみとは違う。しかし、どっちも共通項はといえば、持ち上げて落とす、さ。その意味で、部分的にはおかしみの情感を共有している、と言えなくはないんだ」
「ちょっと強引じゃないのかい」
「ま、そうともいうね。アイデア自体はそれなりに考えたんだけど、文章全体は、なんたって推敲もせず書き殴りだからね」
「‥‥」

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