藪から棒に文学論 おかしみ8

「そういや、最初の僕の質問を覚えているかい」
「覚えていないとも」
「そう威張るなよ。例の『月下の一群』の詩だよ」
「マックス・ジャコブの詩で、堀口大学の訳したヤツだね」

 ナポリの女乞食

 ナポリに住んでゐた時のこと、私の住居(すまひ)の入口に一人の女乞食がゐた、毎日私は外出の馬車に乘る前に、かの女に小錢を投げてやつた。
 或る日、かつて一度も感謝の言葉を耳にしないのを不思議に思つて、私は女乞食を眺めた。
 さて眺めると私は其處に知つた、自分が女乞食と見まちがつてゐたのは、半分くされかけたバナナと赤土の入れてある緑色に塗つた木箱だと。

「これだって、『持ち上げて、落とす』じゃないか。ウィットに富んでいるがね」
「人間だと持ち上げたと思ったら、人間じゃなかったってストーンと落とす、ということかい」
「そうとも」
「ふうむ」
「詩にはいろんな解釈があるからね。読み手が決める、って話もあるさ。だから、僕の解釈が絶対だとは言わない」
「逃げ道をこさえたんだね」
「謙虚っていいたまえ。でも、まあ、この詩を『おかしみ』の観点からとらえるのは、不可能じゃないさ」

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