奈良クラブ いよいよJリーグの船出
ついにこの日が来る。奈良クラブがJリーグの舞台で闘う。
15年前に奈良クラブを知ってから長かったような、短かったような。
まずはついに夢を現実のものとしてくれた奈良クラブに感謝したい。本当にありがとう!
選手、スタッフ始め、奈良クラブを支え、応援してきた人たちもたくさん見てきた。全ての人に感謝し、敬意を表したい。
いよいよJリーグだ。新たな気持ちでサポートするため、これまでの奈良クラブの想い出を振りかえってみたくなった。
○奈良クラブとの出会い
奈良にJリーグクラブが出来たらな…と思い願っていた私は職場でJクラブ立ち上げを提案したりしていた。時を前後して初代コールリーダーのブログに出会い、奈良クラブの存在を知った。
その後、そのコールリーダーに誘われ奈良クラブを応援していくグループに入れていただき、矢部さんと知り合い、マッチデープログラムを作ったり、フライヤーを作って奈良交通のバス内に設置して貰ったりした。
また以前の職場のつてで、公民館で奈良クラブの選手によるサッカー教室をして頂いたこともある。
この当時初代コールリーダーを中心にsampleやウェンブリークラウン(残念ながらどちらも今は無い)と言ったお店でしばしば奈良クラブをどうサポートしていくか、という会合を持ったが、サッカーについての知識が殆ど無い私にとっては、周りの人の話が新鮮で面白かったのを覚えている。(実は浜田社長ともこの頃お会いしている)
とにかくこの頃の私は自分でも驚くぐらい奈良クラブに入れ込んでいた。しかしどうしてものめり込めない部分もあった。
○奈良クラブの試合観戦
のめり込めない部分とは試合観戦だった。その頃の私は子どもが2、3歳の時期で、妻に平日だけでなく週末も子どもの面倒を任せるのはさすがに心苦しく、奈良クラブの試合を観に行くならいつも家族一緒にと決めさせて貰った。小さい子を連れて行くので、余り長時間出かけられなかったし、何より出発前にいつもゴタゴタしてキックオフに間に合うかどうかといった状況だった。三木防災での試合の時なんかは、キックオフ20分前に駐車場に着き、「今日は珍しく余裕あるな」と思ったが、そこからスタジアム入口までに子どもがフラフラして結局入場したのはキックオフ後10分は経っていただろうか。
そんな感じで、私は試合に関しては段幕貼りなどのゴール裏でのお手伝いが全然出来なかったこともあり、申し訳なさからゴール裏に行くものの端っこに加わらせて貰っているという感じだった。だから他のサポーターの方とあまり知り合う機会もなく(私がかなりの人見知りというのも大きいが)、今思うとちょっと勿体無いことしたなと思う。
でもゲーフラ作ったりと、なんとかちょっとでも奈良クラブを後押ししたいという気持ちは強く、あれやこれやと考えていた時期で楽しかったな。
そんな試合観戦だが、JFLに上がる時に大きな病気をし、3ヵ月入院するはめになってしまった。(家族みんなで初戦の鹿児島行きも計画してたのに駄目になってしまった。)
それ以来、体力的にゴール裏は厳しくなり、今はメインスタンドに座らせて貰って観戦しています(^^;
○自分にも出来ること
とまあ、こんな感じですっかり自分の街にサッカークラブがある喜びに捕らえられてしまったのだが、奈良クラブを知らない人たちに新たに知って貰うにはどうすればいいか?何か自分に出来ることはないか?と色々考えるようになった。
その結果「なんかコラボ的ことを考えたら奈良クラブを知らない人を奈良クラブに繋げることが出来るかも」と思いしかまろくんの缶バッジを作ってみようと思った。
幸い奈良クラブにも奈良市観光協会にもご承認頂き、本当に感謝しています。
○奈良クラブを取り巻く色々
これまで奈良クラブを応援してきたなかでは色々なことも見聞きした。
私は前述のようにゴール裏の端っこにいただけだから詳しいことは全然わからなかったが、正直何が起こっているんだろうと思うこともあった。
そして水増し問題。これは本当に驚いたし、胸を痛めた。
でもクラブだって家族だって一人の人間だってそれぞれの歴史の中には山もあれば谷もある。今が奈良クラブの歴史の中で一番の谷だと思い、変わらず応援して行こうと決めた。
そしてついに今歴史の中で一番高い山に辿りついた。
次の日曜日には一体どういう景色を見るのだろう?
しかしこれだけは言えるだろう、新たな歴史の中ではさらに高い山に登っていくということを。
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