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自分の思考の偏りに気づくためには、自分とは全く違った道を生きてきた人たちと交わること
知人とのやりとりでのこと、私だけ感覚が少し違う気がしたので言葉にしとこう
・子連れでのお出かけ、レストランでテーブルに案内された。
一番奥まった席、1つの大きなテーブル
確かに狭い
でも、周囲と少し距離があり、子どもたちがうるさくしても心配いらない感じ
私はホッとしたけど、こんな席に!と思った人も、その違いはなんだろう?
・子どもが聞こえないところで、子どものマイナス情報を話そうとする人
「子どもの背景を理解してほしい、ね、わかるでしょ」
私はあまり違和感を感じなかったけど、
子どもが聞こえないところでマイナス情報をシェアすることへの違和感、それはフェアじゃないと声を挙げる人、その違いは何だろう?
結論
悪いもの(と、この世の中では思われてること)にはふたをしておこう、周りに迷惑をかけないことがよいこと、という感覚、が私の中ではズッシリと根を張っているということ
なるほど、なるほど
私自身が、くさいものにはふたをして、周囲にめいわくがかからないことをよしとする感覚の中にドボンと漬かっているいることを実感
子どもを傷つけないように、が、本音はやっぱり自分が傷つかないように、なんだと。
自分たちがありたい姿の前に、周囲に迷惑をかけないことがよいこと、とする感覚
バランスが大事
やもすると、相手の事情をくまずに、自分さえよければ、になっちゃうことも。
でも、自分のバランスの偏りを知ることが、
自分でバランスをとれるようになること。
私の場合、
やっぱり、社会の中でくさいものと思われるものには目を背け、
いい子でありたいという願望が時に強くなる
だからこそ、時々、ワガママであることが大事
自分たちにとって心地よい、楽しい空間を持ちたいことをちゃんと相手に伝えること(その後の判断がどうなるかは別として)
そして、願望として、
子どもの前で言えないことは、やはり言わない、でありたい。
言うのであれば、それは子どもに、目を見て、ちゃんと伝えていくこと
自分とは生きてきた道が違う人と交わることの大切さをすごく感じた1日
そんな時間をくれた息子に感謝、ありがとう