結婚したら幸せになれると思ってた
結婚は女の幸せ、結婚がゴール、結婚しないと負け組。
現在30代の私にそんな気持ちが植え付けられたのは、もっともっと昔の頃だろう。
遡るれば始めて見たディズニー映画ではお姫様が王子様に助け出されて幸せになっていたし、昔懐かしの少女漫画雑誌なかよし、りぼん、花とゆめ、どれを読んでも好きな人と付き合ってその人と別れたとしても新しい出逢いがあってその人といることで穏やかな生活を手にするというのが定石だった。
親からも「どんな人結婚するのかね」などと言われたり、結婚することを前提とした声かけや教育を受けていた。
つまり、女と男は対で必ずくっつき生きていく。それが当然で普遍的なもの。
そんな風に考えるのはごく自然なことだ。
そんな私は32歳独身、正規雇用、パートナーありの状態。
結婚をするかもと思っていたパートナーだったが、最近のこもうやむやにするようになった。
というか相手の意思だけでするような結婚に幸せがあるのだろうかと感じてしまう。
植えつけられた結婚の概念と今の私の考える結婚の概念を比較して見たい。
■植えつけられた概念
・全員がするもの
・幸せになるもの
・男女でするもの
・家族同士のつながり
・嫁姑問題が起こる
・子供ができる
・安定した生活
■今の自分の概念
・自分で選択するもの
・自己実現、自己選択できることが自分の幸せ
・相手の性別は特定されず人によるもの
・個人同士で決めることだが家族のつながりもある
・嫁姑問題は現存
・子供ができるかどうかはわからない
・安定はチャレンジなしにできない
植えつけられた価値観だと相手主体なことが多く、自分で選択をするというイメージが低かった。
しかし現在自分が感じるものとしては、自己実現の手立ての一つとして結婚というものがあるのかもしれない。
例えば結婚をすることでパートナーがいるという法的な誰もがわかる契約を得ることができたたとしても、それにより自分の名前で働くことが阻害されたり選択肢の幅が狭くなるのでは、そもそも目標に向かうことができていない。
ならば本当実現したいこと、自分の信念を明確にすることが男であろうが女であろうが必要なのではないだろうか