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活き金と死に金について語る-億の借金を返した両親から学んだこと-

 私は自営業の親の元に生まれ育った。幼いころは大変に貧しかった。
どれくらい貧しいかと言うと、卵かけごはんの卵が、四人家族で二個しか使えないぐらい貧しかった。
 兄は食欲旺盛で卵の黄身の部分をふんだんに取っていってしまうため、私は、白身ばかりの卵かけごはんを食べていた。
 おやつもほとんどもらえなくて、もらえても兄に独占されるので、小学生時代の私は、ガリガリに痩せいていた。

 両親は先代が残した借金を返すのに躍起になっていた。なぜ破産しなかったのか、と最近聞いてみたら、そんな頭がなかったのだ、と言ったが多分違うと思う。両親はとにかく頭と体と手と足を動かして藻掻けるところまでは藻掻こうと決めたに違いない。

 そんな両親だが、お祝いや不祝儀、あと、何かをもらっときの返礼品だけには金をケチらなかった。

 両親曰く、金で買えるものと買えないものがあり、たとえば洋服とか、車とか、不動産などは金で買えるが 『信頼』や『人間関係』、『人脈』あと、『健康』『命』『時間』といったものは どれだけ 金持ち だろうが、一朝一夕には手に入れることが出来ない。 それらの一朝一夕にを築くことが出来ないものを築くチャンスが訪れたときは金を惜しむな、と教えられた。

 金で買えないものに金を使うことを『活き金』
 金で買えるものに金を使うことを『死に金』というのだと両親は言った。

 また借金についても厳しく指導された。
 絶対に金を貸してはいけない。金を貸すぐらいなら、あげた方がいい。
 それだけの金なら出してやれる。返さなくていい。でも、それ以上はあげられない。ごめん、と言って借金を断れ。と。

 両親はその流儀を貫いて、私が社会人になる頃には憶の借金を清算していた。私は念願の医者にはなれなかったが、なんとか、某公立の教育大学を出て、公務員になることは出来ていた。

 努力は人を裏切らない、というのは嘘だと私は思う。
 ただ、成功した人はすべからく努力している、というのは事実だ。
 私も努力し過ぎないように、でも、怠けすぎないように、必ず一日一時間は筆をとることにしている。継続は力だとは思う。

 私がエメラルドの原石なのか、干からびたグリンピースの塊なのかはまだわからない。

 ただ、憶の借金を返した両親を持つ子供として、 
 『活き金』 と 『死に金』 については 心に刻み込んでいる。

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