自己嫌悪という生存本能
辺り一面が白い壁に覆われた閉鎖的空間。
その殺風景の中、佇む少女は何を感じ、何を見、そして何を描くだろうか?
そんな質問に容易に答えられるほど恵まれていない人間でないことが自分のコンプレックスであり、そして強い自意識と感性を形作っているという矛盾に耐えられないことが、僕の中途半端な人間性を物語っている。
部屋はそれなりに整えられてはいるが、物が多く雑多であるという矛盾。
自信はないのに自我が強く、承認欲を満たすことへの狂おしいまでの矛盾。
とうに器から溢れ出している希死念慮を抱えながら、生存の為の営みを続けている矛盾。
人間が嫌いだが、人間と関わらなければ壊れてしまいそうになるという矛盾。
何より己が矛盾だらけでありながら、何よりも整合性や根拠を求めてしまうという矛盾。
これら全てが何よりも人間らしく、そんな自分が汚らわしい怪物かのように映ってしまう。
自己批判は欺瞞だ。自己を守るための手段である。自分自身を否定することによって、自分自身が描くおぞましい自分を肯定している。
長い長い年月をかけてひび割れ、ある日散らばった破片を搔き集めては、自己批判という名の接着剤を用いて直してゆく。
その繰り返し。直ったように見えるそれは、直ったように見えているだけにすぎない。だからこそ、自らを否定し続け生きてきた。
その殻はいずれ破れ羽ばたくためのものであってほしいわけだが、どうにも蛹にはなり切れない。
美しいと、美しくあってほしいと願い生えてきた羽は、とても醜くおぞましい。
僕は何を求め生きるのだろうか。その疑問はいつか答えが見つかるのだろうか。
見えないものを追いかけ続ける長旅は、先の見えないままさらにさらに続いていく。
楽園を求めて。