君になれたら、
ずっと一緒だよ、ずっと。
そんな約束はそっと、広い広い自意識の中の海原に放つ。
私は今日、いろいろな想いを胸に込めて、彼女とのたった一つの、ただただ大切な約束と思い出を破り捨てる。
さようならは勇気だ。逃げることは怖いことだ。
なんでもない一日のなんでもない空気が私の心を蝕む。心が少しずつ壊れていく、或いは別人のものに変わっていくような、そんな感覚に耐えられなくなる毎日。今日もただ脳を侵すのみの錠剤を幾つか流し込み、効いたフリをして健常者らしい生活を、社会を回すための部品としての生活をする。いや、社会なんて大部分に存在していることすら烏滸がましく、周りにいる「主人公たち」を引き立てる為だけに存在しているようなものだろう。
何者かになれたら。漠然とした気持ちが幾度となく去来してはそれを振り払う。
私は今日、世界から解脱する。
ずっと一緒だよ、ずっと。
私にとってその約束は何よりも美しく、崇高で必要なものだった。
昔から自己否定を繰り返し、自分の居場所が分からないまま生きてきた私にとっては、それが全てだった。
さようならを告げる勇気はなく、逃げることは負けること、失うこと。
いつだって自由奔放で天真爛漫な彼女と過ごす毎日は、怖がりな私に勇気の種を植え付けるには充分すぎる程に美しく、彩りに満ちたものだったけれど、それはいつだってほんの少しだけ、自己否定の材料になった。彼女が紡ぐ物語において、私はどのようにして色をつけることができるのだろうか。ただ一つ、彼女はいつでも「主人公」だった。
何者にもなれない私は、彼女によって何者かになった。そんな小さな自信をくれた。
私は今日も、いつもと変わらない世界を歩いている。
世界を冷たい空気が覆う11月半ばの朝。
私の世界は色を亡くしてしまった。
いつもの待ち合わせ場所にいた彼女は、私の知らない姿で横たわっている。
2人で揃えた真っ赤なネイルをさらに染め上げる赤。知らない色。知らないもの。知らない知らない知らない知らない。
私の知らない全てがそこにあった。
手を握る。冷たい。冬の寒さとは違う冷たさが無理矢理に事実を押し付けてくる。その冷たさに耐えうるだけの温度を、熱を、私は簡単には持てない。持てるわけがない。
でも不思議だ。冷静でいられる。私の熱は奪われたのだろうか?
持てないのではなく、彼女に奪われたのだろうか。
どこか腑に落ちてしまった。理解しようとしなかった、目を背けてきたものに気付いていたからだ。
彼女は何者かであろうとしたことを。何者かでいようとしてくれたことを。
だから私は言った。
「ずっと一緒だよ、ずっと」と。
「一緒だって言ったのにね」
私は笑う。少しだけ、握った手は熱を帯びている気がした。
半ば倒れこむようにして道に寝そべる。
今日私は、彼女にとっての全てになれた気がした。
きっと自己満足だけれど。そんな自己満足が何よりも暖かかった。
「このまま一緒にいていい?なんて駄目だよね」
分かっているよ、と立ち上がる。冬の空気は変わらず冷たいけれど。
きっと彼女は救われたのだから。私だけはそれが分かるのだから。
さようならは勇気だね、でも私はまだ踏み出せないから。
あなたがくれた全てから逃げないでずっと生きてゆく。
ずっと一緒だよ。