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この思想が理解できない人と会話をしたくない
眠れなかった(というよりやけに早い時間に目覚めてしまった)ので早朝からヤケになってみる。
せめて人間であろうとする愚かさがより心を締め付ける。壊れているなら壊れているなりの考え方なり行動なりすればいいのに。
僕はきっと一生僕のことが嫌いだし、それでいて一番大切なんだろうなと思う。自分が幸せになれればそれでいいし、自分が幸せだと思う瞬間が増えればそれがいいと思う。でもそれを許さないのも自分であって、その自己矛盾、自己の思想の乖離が恐るるべきに足るだけの不安定さを産んでいることに気付いている。
こういったものを綴る際に諸事を仰々しく書き連ねておきたいことだって、「それらしさの演出」にすぎないわけだ。底の浅い人間であることと、周りから見えている自分(この時点ですでに破綻しているのかもしれない)のギャップを埋めることとの間を回り続けている。
よく他責思考だと言われてきたが、人は他責はしないのだろうか?それとも自責と他責のバランスが悪いから化け物のままなのだろうか?ぼくは化け物でしょうか?
20代前半で名前の売れない奴はダメだと言われた。一理どころか十里くらいあるとは思ったけれど、僕が死ぬか生きるかの瀬戸際で何とか踏ん張って前向きに創作できるように歯を食いしばって、生み出す苦しさ、弱さを知ること、そして壊れてしまった脳の修復に使った時間はムダだったのだろうか。
大器晩成という言葉を知らないバカ相手の言うことだと切り捨てればいいのだろうか。
人に憎しみを持たないことをポリシーに生きてきたけれど、そこで得られたものは自分を壊すやり方だけでした。それは正しい自責のやり方ではなかったのでしょうね。
自己開示の仕方に問題があることは重々承知だが、人を振り回したくないから自分のことを開示しているつもりである。上記のようなイレギュラーがいつ発生するのか分からないためだ。自己開示しすぎたことは反省しているし、今度は傾聴の姿勢を見せているがあくまでポーズとしか捉えられないようだ。苦しい。
僕はプライドが高いので、人のことが大嫌いだ。ただ生まれ持った性分がひたすらに優しく慈しみに溢れてしまっていたようで、なぜか人に希望を持ち続けてしまう。おこがましい言い方にはなるものの、それが素直な感想なんだと思う。
でも他人は変えられないし、そのために自分を変えるのにはもう飽きているし、まわりがついてくればいいと思う。ついてこられないのであればさっさと消えてくれていい。だから陰口を叩かれたりするのは嫌いだし自分のポリシーに反している。文句があるなら消えてくれ。
まず面倒臭い人間であることは承知である。だから人間臭いだろうとも思う。ここまで人間味があることは魅力にならないんだろうなとも思う。ここまでの結果が物語っている。
ついてきてくれる物好きのためにはもっとあっさりとしていたいと思うが、そうすると人間味がなくなるんだろうなと思う。
心の内にあるものは吐き出しておかないと堆積していつか取り返しのつかない不純物になるが、吐き出して嫌われるのは正直面倒臭い。ただ嫌われてもいいからこの自分本位な文章を書き殴って社会に中指を立てようと思う。
誰も傷つけない逆襲の狼煙をあげましょう。
理解ができないなら消えてくれ。