瀕死体験
みなさん死んだことありますか。その答えを聞くまでもう無いだろうね。にも関わらず、命を軽蔑する様に死という単語をいつも口辺にする青年たちいくらでもあるでしょー、そこ辺のSNSの上で。
そう、わたしも似た様な人だ。だからわたしから批判する様な行為はあり得ない。だって、わたし達若い子に唯一左右出来るのは自分の命ぐらいだけだもの。
命の価値なんとかを語ろうする際にも無理に襲われる頭痛に思考を断られた。ほんとに嫌だ、別に今自分から命を諦めたりもしないのに、なんでわたしばかりにひどい頭痛と弱気を吐く精神だ、痛みの存在を強く主張する様な時々の耳鳴り。なにを考えとしても即刻2度目の吐き気が湧いて胃から喉まで焼きそうなゲロが出来てそう。すごく嫌味されてる、死ぬほど気持ちが悪い、自分から注意しないでも分かる、たぶん今自分の顔色がモノクロみたいに何も染めていないだろう。これくらいの痛みが。
余裕のない痛みだ。そもそも余裕のあるやつは何だろ、と少し考えを込めた……拳を握って強く太ももを殴った。そうするとカラダを自分に無理矢理認知させた。そうだ、あの時も似たような行為したかも。ようやく分かった気がする。
リスカを繰り返す際に何を考えるのかしら、自分にも分からない。て言うか、リスカ自体は痛くないよ、それほどに。医学的に言えばリスカは焦慮による一種の制縛状態から打破しようとする行為だ。つまり追い詰められるシチュエーションに心を守るの代わりに肢体を壊す、とわたしが理解した。
つまりアレは誰かの同情を買うおうと決して有り得ない。
何せよ、余裕のある痛みに類する。
じゃあ問おう、余裕のない痛みはどんなものか。わたしだって自傷ミニア何とかじゃない。ほぼフツーの人間だ、痛みに恋など想像すら不可能さ。
でも1年ほど前6〜7時間ぐらいの手術を受けている、その伴う1週間の入院。つらい、辛かった。一日中の頭痛と全身の痛み、何度も看護士さんにペインキラーが欲しい……鎮痛剤はいいやつだ。
入院の時はお風呂も出来ないし背中の汗は酷いほど臭いがするかも、何日かシャワー浴びていない長い髪もザワザワして苦しい。何せ動かない、だからつらい。自分の意思で何も出来ない。余裕がない。
はーっとずいぶん長いため息をつく、その次の瞬間で胃が覆ってつい最近食べたことを覚えてらせた。何度も何度も繰り返しでれば一日の終わりが来るか、そうさせないよう、小さいピンク色の飴玉みたいな薬を口に降ろす、甘いジュース共に胃に溶かす。クエチアピンがいつでも効いてるから助かる。ちゃんといい子してる薬もあり、どうでもない奴も居る。overdozeなんでしてないよ、悪いのは自分勝手に切れったVenlafaxineくんだ……375mg食べたとしてもあまり効果が見えない、でもいざ薬辞めようとすると自分の存在を強く主張しようとするメンヘラっ子だよ。
再び長いため息をつく、何にも出来ないという状況を無理矢理認識されてだからどうしようもない辛いだ。ソファーにうろついて涙が出てもどうしようもなかった。こんなこと望んでいないのに、何でいつも。
ちょろっとスマホの画面を見てDiscordで知ったばかりに人に勝手に求めてそして今連絡先まで消されたこと。何で自分勝手の人間だ、2日丸ごと薬のせいでしんどかったのに。だから虚しいに感じた、感じられた。
もし生きてなけれって良かった、悩みなんても無い方が良い。健康に生きたい、ほらあの名言。健全な精神は、健全な肉体に宿る、と。積み重ねた結果がこれだ、長年の薬のせいで健康とは無縁なカラダ、いわゆる詰みゲーだ。現実と向き合う度に嫌な思い出しか無いんだ。だからもう飽きた、いっそうもっと激しい痛みに呑まれて死んでみたい。
考えほど体の痛みが上書きしようとする過激になり、手のひらで感じられた額の温度は低くても高いでもない普通だった。熱でもないに熱以上につらい、息も苦しい。
わたしは現実の渦から逃げたい、そして目を閉じた。睡眠薬に全てを託した。